日蓮正宗に入り直して、毎日の勤行唱題が楽しい。そのひと時が、貴重で尊く、とても面白く、やっている最中も終わった後も、いい気分がする。
元々、創価学会時代から、勤行は欠かさなかったが、サボる時も多く、何のために祈ってるのかも分からず、ただやみくもに祈っていた感じ。
何せ、ニセ本尊が胡散臭く、あの雑乱した、わざとらしい筆の書き方を見た母は、「何て大袈裟な、気色悪い」と、一度もニセ本尊の前で手を合わせた事など無かった。母には本物と偽物の真贋が分かっていた。
やはり、日蓮正宗の御本尊様は、誰が見ても立派であり、れっきとした、正統性のある御本尊様だと家族一同、一致した意見である。
今は、このコロナが終息に向かい、母と施設でまた一緒に勤行がしたいと思い、望んでいる。