Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

創価ニセ本尊と言えども、嘘は付けない 妙観講の折伏姿勢

2021年07月01日 12時46分14秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 創価のニセ本尊は、筆を太くしたり伸ばしたり、脇書を消したりと、やりたい放題の魔の本尊だが、ある一点、どう隠しても隠しようのない一筆がある。
 それは、日寛上人が記名花押を書かれた後、「奉書写之」という文字がある。
 「之を書き写し奉る」とあるように、明らかに、大御本尊様を書写なされた証拠なのだ。
 それを今の創価は色々理屈を付けて言い訳するが、まごう事なき、大御本尊様が根底にある。
 現在の創価は、大御本尊を否定しているが、自身が日蓮正宗を母体として、そこから抜け出して来た事実は、いくら否定しても否定する事が出来ない。
 日蓮正宗なしでは、自前の教義も本尊も用意できないような、欠陥宗教が今の創価だ。
 数年前、私のお寺寿海寺で、今をときめく妙観講との合同折伏戦が行われたが、あの時、妙観講の皆さんは、創価と聞くと、こちら、日蓮正宗が上であり、創価は下、創価は教導を受ける立場の宗教と、はっきりと理解なされていた。
 あの時のあの活発な妙観講の手際鮮やかな折伏手法は、学ぶべき点がたくさんあった。
 非常に有意義な時間を過ごさせて頂いたと感謝している。