正しい食事を考える会

食が乱れている中どういう食事が正しいのかをみんなで考え、それを実践する方法を考える会にしたいと思います。

正しい食事教育と正しい政治ー「日韓併合100年」政府見解検討に反対

2010-07-20 | 食事教育
 戦時中の日本の食事は、食糧が不足していました。そこで朝鮮と台湾から米を運びました。
この「運びました」と言うことは、どちらも日本の支配下にあったので、日本だったのです。そこで国外から日本に輸入したのと違うので「移入」と言います。それでも食糧は不足していたので国が管理統制をしていたのです。それが食糧管理法による統制です。

農家には農家の人が生活できる量(これを保有米といいました)以外は総て国が国の決めた米価(とても安い値段で)強制的に購入したのです。農家にとっては米が不足の時高く売りたいのですが、安い価格で強制的に買い上げると言うより奪ったのと同じ処理です。
それでも米が足りずに米の代用食や雑穀や食べられる物は何でも食べました。食べられない物も何とかして食べました。小麦粉は饅頭という製法は有りましたがパンと言うことは無かったと思います。

うどんやそ-めん、冷や麦、それに団子にして、団子はみそ汁みたいなものに入れて食べる食べ方をしました。この団子汁、私の郷里ではだご汁と言いました。今でこそうどんやソーメンはおいしく食べれますが、これにはいいだしが取れるようになったからです。当時はだしは煮干しでとるぐらいしかありません。今みたいに肉や椎茸やかつお節などは有りませんので、美味しいだしは作れませんでした。

ごはんは大麦を混ぜた麦ごはんを食べ、農家であっても白米は滅多に食べられませんでした。
だごじるは美味しくありませんが食料がないときにはおいしかったのでしょう。後年母が身障者になり一緒に暮らすようになったとき、「だごじるが食べた」いと言いましたので、妻が言われたとおりに作りましたが、思っていた味と違ったのです。当時よりだしを美味しくて食っているのですが美味しくなかったのです。
妻の作り方が悪かったのではなく、小麦粉の団子という食べ方は美味しくないのです。

めんやワンタンうどん等はだしとの接触面積を大きくし美味しいだしをつけて食べるから美味しいのです。
団子では真ん中は小麦粉だけです。美味しくなるわけはありません。せめてワンタンみたいに薄っぺらにすると美味しくなるはずです。

戦時中は兵隊さんも食糧はない中でインパール作戦など過酷な行軍をして、多くの人命を失い食料は現地調達したので悪いことをしたはずです。
国内も食料は不足していました。

そして終戦を迎えたのですが、その昭和20年は40年来の不作で、その中で兵隊の復員、韓国、中国からの引き揚げ、学童疎開の引き揚げ、等々で需要は膨らみ極度の食糧不足になり、ヤミ米なども横行しました。

この中で学校は再開されましたが、欠食児童が多く給食が考えられアメリカに食料援助の要望が出され、脱脂粉乳の給食が始まったのです。
以後は「米と麦の戦後史ー学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略」から」のとおりです。

そして、最初は善意の援助が、最終的にはアメリカの余剰農産物を売る政策に変わり、更に肉を勧めることによってアメリカの農産物が売れるようになるのです。
この肉を勧めるために穀物による家畜の飼育法を日本人に伝授したのです。そして、農家に構造改善とか何とか言って畜産をやらせ、肉をたべさせ、油の美味しさを教え食の欧米化を進めたのです。
しかし栄養学的にはそては「日本人にとっての正しい食事」では無かったのです。アメリカ人にとっても正しい食事ではなかったのです。
そのことを書いたのが前々稿「アメリカが指導した栄養学は健康食では無かったー健康食は和食だったのです」です。
そのアメリカによって歪められた日本の食事を正して行きたいと考えて正しい食事を考える会ようとしているのです。

食も正しい食事にしなければなりませんが、政治も正しい政治をするべきです。
大東亜戦争の正体ー孫のために日本の汚名を晴らす」と言う記事も書きました。これは是非読んで下さい。

正しい政治という観点から気になり記事がありました。

2010/07/16 21:16 【共同通信】
日韓併合百年で「おわび」検討 政府、韓国国民に
「 政府は16日、「日韓併合100年」を迎える8月に向け、韓国国民に過去の植民地支配へのおわびの意を示す方向で検討に入った。韓国の意向に配慮することで、歴史問題に一定の区切りを付けたい考えだ。
 「首相談話」発表も視野に入れているが、日本国内には閣議決定が必要な首相談話をあらためて出すことへの根強い反発もあり、世論の動向を見極めながら慎重に判断していく。
 これに関連し、岡田克也外相は16日午後の記者会見で、村山富市、小泉純一郎両元首相が「植民地支配と侵略」への反省とおわびを談話で表明したことに触れ、「(日韓併合)100年という区切りの年に、政府としてどう対応するか検討している」と説明した。
 外交筋によると、韓国は日本政府に対し、日本による支配からの解放を祝う「光復節」(8月15日)に合わせた首相談話発表への期待感を伝達している。
 また、在京の韓国政府筋は「同時期に菅直人首相が韓国を訪問すれば、韓日関係が前進するのは間違いない」と述べた。」
と言うことで、韓国に日韓併合したことについて政府はお詫びを考えているというのです。(日韓併合していたので韓国は日本国だったのです。韓国はこれを恨んでいるのです。しかし日本は韓国に良いことをしたという意見もあります。)

過去日本は韓国からいちゃもんをつけられています。ごめんなさいと言っても、土下座しても、何時までも言い続ける、日本ではそんな男は女々しいと言われて軽く見られるのですが、朝鮮人ってそう言うしっつこいところがあるのでしょうか。(日本人が嫌うはずです。)

靖国には行くな、教科書を直せ、竹島は韓国領だ、日本国旗を踏みにじる、・・・大人がいない国です。

そんな国にお詫びをするのは反対です。

村山富市という社会党の党首がひょんな事から首相になり、その時やってはいけないお詫びをしたのです。

その評価は
 《朝日新聞記者の評価すら低い》
 ・「国権の最高機関が採択した決議は、出席者が半数に届かない議場で行われたのだった」・・・「採択の経過でも混乱が際立ち、決議は傷だらけとなった」・・・・・「敗戦から50年。政党間の妥協の産物となった戦後決議は、アジアをはじめとする世界に対する日本からのメッセージとしてはあまりにも内容が乏しい。国際社会の理解はとうてい、得られないだろう」(星浩 朝日新聞政治部 「世界」 1995年8月号)

 《村山談話の閣議決定は「不意打ち」である!》
 ・野坂官房長官は、村山談話の閣議決定を波乱なく終えるよう、「有力閣僚や与党幹部に内容は詳しく説明せずに、『ただただ、頭を下げて』根回しにまわった」と報じられている(産経95年8月16日)。同紙はまた、野坂官房長官が、内容を伏せたまま、ひたすら頭を下げて根回しをする一方で、もし、反対する閣僚が出てくれば「お引取り願うだけ」つまり、辞職してもらうだけだと強気でもあったと報じた。
 当時、談話の内容はごく少数の人間が相談しつつ作成したこと、関わった人物の一人は当時内閣外政審議室長の谷野作太郎氏だったとみられること、自民党内で事前に案文を見せられたのは橋本龍太郎氏や野中広務氏ら極く一部に限られていたことも報じられている。
 こうして望んだその日の閣議の様子を、その日から約10年後、産経新聞は以下のように振りかえった。
 「8月15日午前。閣議室の楕円形のテーブルに着席した閣僚を前に、野坂は『副長官が談話を読み上げますのだ謹んで聞いてください』と宣言した。古川貞二郎は下腹に力をいれて読み上げ、閣議室は水をうったように静まり返った。野坂が、『意見のある方は言ってください』と二度、発言を促したが、誰も発言しなかった」
 事前説明ナシで、突然出された談話に、閣僚の多くは心構えが出来ていなかったのであろう。文字に書かれた文章を一言ずつなぞりながら、その一言一言がどのような意味を持つのかを吟味することナシに、耳から聞いた言葉だけで、直ちに問題点を把握することが、あるいは難しかったのかもしれない。

 《自民党にとっての痛恨事》
 当時の自民党は自信喪失のただ中にあった。日本新党結成でブームをおこした細川氏が登場して、自民党は下野した。政権の奪還は、理念の全く異なる社会党と手を組んでようやく実現したものだった。しかも、長年、評価さえしていなかった社会党の一議員を首相に据えた上での政権与党への復帰である。禁じ手を使って与党の座に帰り咲いた自民党は、社会党的な価値観に真正面から反対し、あるいは疑問を呈することができなくなっていたのだ。
 下野を迫られた記憶に金縛りになっていて、自民党が自民党らしさと自信を失っていた空白のような時期に、この村山談話は成立したことになる。 《政治で変わる歴史認識》
 ・心ある保守の人は、この卑劣なる手法で成立した、日本へのあたたかい想いの一片だに感じさせない村山談話に距離を置き、あるいは、破り捨てるほどの「気概」を持たなければならないのである。⇒昔社会党との連立、今公明党との連立。悪夢が続いている。
 堀 力 94歳 (大阪府寝屋川市)正論 平成20年7月号

 ・10年余り前のことであるが、土井たか子女子等が主唱して、戦後50周年を記念して今次戦争について関係各国へ「国会謝罪決議」をする案が有力となった。私は招集され戦場で戦ってきた元軍人として認めることができず、当時自民党幹事長だった森喜朗氏及び郷土の先輩の奥野誠亮氏に手紙し、「われわれは帝国議会に於いて、満場一致できめられた『皇軍将兵感謝決議』を信じて、国家のために命を賭して戦ってきた。この度同じ日本の国会で謝罪決議を行うことは、国民の一人であるわれわれにも『土下座せよ『ということになる」と訴えた
 折り返し、森、奥野両氏から直筆で「そんなことはさせぬ」と返事を頂、結局国会謝罪決議は行わず村山首相談話に後退した。国会議員たる者は、国会の歴史をよく勉強し、軽々しく謝罪決議を考えることは、国のために散った英霊たちにも相済まぬことである
 日下公人(評論家)「正論」平成21年1月号

 何があっても大丈夫なあ日本へ、孤立と摩擦を恐れず「実力」発揮を
 《空爆長更迭にも日本病が》
 ・自国の歴史を語るのに、何故他国に気兼ねをしなければならないのか。それこそ、日本病の典型的な症状といえる。 村山談話を踏襲した政府見解と異なるから、というのも更迭の理由とされたが、そもそも村山談話のような偏見に満ちた歴史観を歴代首相が踏み絵のように踏襲させられる風潮にこそ問題がある。公務員であろうと言論の自由が補償されているはずのわが国で、村山談話は誤りであるという当たり前の主張ですら。「近隣諸国に対する配慮」から口に出来ないのが現実とは理解不能である。  中村 粲(獨協大学名誉教授・昭和史研究所代表)

 ・国家と国民を呪縛する村山・河野談話は速やかに破棄するに如かず。而して首相談話を破棄するには別の首相の一言の談話を以ってすれば足りぬ。侵略戦争を否認するほどの勇気がなければ、「戦争の意味と評価は後世の歴史家に委ねる」と言へば十分であらう。その一言で村山談話は神通力を失って地に堕ちる。気骨ある為政者の一断一決で明日にでも実現できることではないか。(「正論」平成21年1月号)
 遠藤浩一 (評論家・拓殖大学日本文化研究所教授)

 ・「村山談話」が有効である限り、わが国の防衛は「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこう」との一方的な観念に拘束され、自衛隊は領域警備も集団的自衛権行使もできないし、武器の使用も制約が多く攻撃手兵器の保有も禁止されるという雁字搦めの状況から脱却できないといふことになる。

このように問題が多い村山談話、その二の舞となるような政府見解は絶対に反対する。
皆さんも反対の声を上げて下さい。


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