しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

嗚咽

2017-01-24 00:10:20 | 日記
以前紹介した事のある三宝和讃は今でも検索される人気のご詠歌です。

アメリカ映画なんかでも黒人の葬儀で歌われるのがゴスペルです。

ご詠歌は日本のゴスペルと言われる所以ですね。

宗派によってご詠歌に違いがあり母方の浄土宗では光明摂取和讃を通夜と告別式に

事前に配られる歌詞カードを見ながら住職と一緒に親族が歌いましたよ。

この三宝和讃は曹洞宗で歌い継がれたもので西洋に通ずる美しいメロディーが魅力です。

平安仏教の響きは故人が安らかに黄泉の国へと導かれてゆく印象です。

人によっては眠くなるかも知れませんけどね(笑)


平安仏教の響き ご詠歌 三宝和讃



告別式の法要が終わるといよいよ棺が手前に引き出されて仏さんの周囲を花で埋め尽くします。

同じ敷地内に住んでいた初孫でもある男子高校生のS君が嗚咽してた。

それを見た親戚の女性陣が一斉に号泣してた。

スケールの大きいおじいちゃんだったからね。


母方の親戚はいつの間にか女系になってしまい、本家の直系男子は喪主である従弟一人になった。

その長男であるS君もいずれは田中総本家の当主になる男子だから

おじいちゃんから色々と教えを受けたことでしょう。

出棺の時には泣き止んで一緒に棺を運んでくれました。


男子たるは 今まで優しく包み込むように家族を守ってくれた祖父や父親に代わり

これからは自分が母親や妹を守ると葬儀で誓いを立てなければいけない。

今後は人前で涙を見せることがあってはならない!


震災後、父にも内緒で宮城県の南三陸町へボランティアに行く数日前

もしも何かあった時の事を考えて叔父さんの経営する不動産屋へ伝えに行った。

ものすごく喜んでくれて「一族の中にこういう男が居る事を誇りに思う!」って。

財布から1万円札を3枚ほど出して「ちょっと待ってろ」と会社の金庫を開けて

合計10万円を差し出したので「もう準備も整ったし、義援金なら振り込んだ方が確実」と言ったが

「お金は邪魔になるもんじゃないぞ!」って押し付けるから受け取ってしまったけどね。


2回目のボランティアを終えた翌朝、父を救急搬送してその後帰らぬ人に。

私が一人で材木屋を営業してるのを心配して何度も顔を見せてくれた。

やがて叔父も長男に会社を任せて隠居の身分になった。

ボランティアを出来るような年齢じゃないからと叔父夫婦は友達等を誘って

私が通った津波で壊滅した南三陸町を見下ろす高台に建つ「ホテル観洋」に宿泊したそう。

被災地の光景にあまりにもショックを受けたと叔母さんに後で聞かされた。

東北の食材をたくさん取り寄せては「東北全体を元気にしないと!」が口癖だった。


そんな豪快な叔父さんでした。




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6 コメント

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デカい人 (かっつん)
2017-01-24 08:21:38
少なくなりました

合掌
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かっつんさんへ (しゃちくん)
2017-01-24 09:07:09
叔父は体も大きかったのですがそれは余談(笑)

終戦後、焼き尽くされた東京から這い上がった世代にはスケールの大きい人が多かったのでしょう。

東北の被災地は空襲後の焼け野原と同じに見えたそう。
食べるものが無くてひもじい体験をした人は、避難所暮らしの方達の気持ちもよくわかるそうです。
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ご立派な (があこ)
2017-01-24 09:58:21
お人柄が伝わりました
一族の要のような叔父さんだったのですね
ご冥福をお祈りします
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があこさんへ (しゃちくん)
2017-01-24 10:34:31
色んな意味で叔父から受けた影響は大きかったです。

私が甥っ子姪っ子に100km超えのサイクリングを体験させているのもその一つかも。

人生を切り拓くのは自分自身だと、強いメッセージを投げかけて、自身もそれを実践してましたからね。
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 (onecat01)
2017-01-24 12:40:53
 叔父上さまのこと。

しっかりと読ませていただきました。思わず涙がこぼれました。

 こういう方がたくさんおられて、現在の日本があるのだと、そんな感慨に誘われました。父の兄弟にも、似た人がおりましたので、いっそう懐かしくて、心に迫りました。
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onecat01様へ (しゃちくん)
2017-01-24 13:08:18
戦前に生まれた世代はこういう日本人が多かったと思うのです。

法要を営んでくれた2人の住職は親子です。
大住職は90歳台で叔父の夜間高校時代の恩師でした。
お寺の敷地に大きな欅の木があり、叔父が初めて給料をもらってからせっせと植樹しており、以前に住職に教えていただきました。
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