ひっぱられ体質(だから霊にもひっぱられるわけでw)
なので、自分でキルゾーンに踏み込んでいきそうっすwww
言いたいことは山ほどあるけど
私も言われることが山ほどあるんだろうし(ドキドキ
まぁ所詮、人間はすべて自己中な動物だと思ってます。
相手に優しい言葉をかけるのも、叱咤激励するのも、
突き詰めれば一種のアイデンティティ強化(自己満足・自己陶酔含む※)
のためだと思ってます。
これは善悪ではなく気持ちの比率の問題。
アイデンティティ強化は人生だと思ってますゆえ。
(無我ってのもアイデンティティの1つという意味で。)
だから、気持ちの配分が変われば、
返す刀で同じ相手を斬ることもできてしまう。
今はちょっと気力も時間もなく、まともに闘える体制にないけど
ご意見ある方はご遠慮なく。
(対応遅れるかも、だけど)
これは確信犯な暴走系独り言、ってことで。
ただ1つ言えることは
まったく完全に何も得ることのない(反論以下の)
負担にしかならない(相手に気持ちが向かわない・入らない)、
義理なつきあい(ロボットのような機械的な)
なのならしないほうがマシだと、私は思います。
(あ、これ、つきあいの対象者に「私」も入ってますから!
てかそれがメインかも・・・筋金入りの自己中なのでw)
※共依存、という言葉を他のブログで勉強したので
調べてみました。私もそうかも?やばい!!(苦笑)
なので、自分でキルゾーンに踏み込んでいきそうっすwww
言いたいことは山ほどあるけど
私も言われることが山ほどあるんだろうし(ドキドキ
まぁ所詮、人間はすべて自己中な動物だと思ってます。
相手に優しい言葉をかけるのも、叱咤激励するのも、
突き詰めれば一種のアイデンティティ強化(自己満足・自己陶酔含む※)
のためだと思ってます。
これは善悪ではなく気持ちの比率の問題。
アイデンティティ強化は人生だと思ってますゆえ。
(無我ってのもアイデンティティの1つという意味で。)
だから、気持ちの配分が変われば、
返す刀で同じ相手を斬ることもできてしまう。
今はちょっと気力も時間もなく、まともに闘える体制にないけど
ご意見ある方はご遠慮なく。
(対応遅れるかも、だけど)
これは確信犯な暴走系独り言、ってことで。
ただ1つ言えることは
まったく完全に何も得ることのない(反論以下の)
負担にしかならない(相手に気持ちが向かわない・入らない)、
義理なつきあい(ロボットのような機械的な)
なのならしないほうがマシだと、私は思います。
(あ、これ、つきあいの対象者に「私」も入ってますから!
てかそれがメインかも・・・筋金入りの自己中なのでw)
※共依存、という言葉を他のブログで勉強したので
調べてみました。私もそうかも?やばい!!(苦笑)
それに、その付き合いが、機械的な付き合いだという判断が正しいとは限らないでしょう。
素直になれないために、お互いに機械的な付き合いだと思い込むこともあるだろうし。
人間は互いの気持は分からない以上、安易に相手が自分を軽視しているとか、自分に気持が向いていないなんて判断できないはずです。
そもそも、自分の気持すら怪しくなってくることがあるのに、「しないほうがマシ」という判断を軽々しくしてしまうのはいかがなものかと。
最後に、自分の意識を掘り返して、結局人間は、自分が好きなのでしかないというもの言いは、無意味だと思いますよ。
そういう、考え方は結局、自分の感情の底を割ってしまい、いろんなものを失うだけだと思います。
言い換えれば、そういう風に考え出すと、大切な誰かなんて存在しないことになるんじゃないでしょうか?
それだけでエゴイスティックだとか判断できるものではないと思います。
だから、いい時のご自分を思い出して思いっきり「好き」になってみると良いかと思います。
まだまだ書けるだけ大丈夫です。(と暗示を一つ…)
というのは、「結局、人間は自分が好き」という考えを否定する意味ではなく、自意識の井戸を掘り返しても、答えは出ないという意味です。
(偶然ですが、自ブログの記事ともシンクロしてます。)
>付き合いが長ければ長いほど、相手に気持が向かないときや、
>機械的に対応してしまう状況が生じるのではないでしょうか?
そうですね。そしてそういう時、
対応することで負荷が出る、と思うブロガーは
無理をして対応しなければいい、というのが今回の私の意見です。
(というか、zippa-zappa様は実践されておられるように思います。)
一応の補足として
>その付き合いが、機械的な付き合いだという判断が正しいとは限らない
この場合の判断者はあくまで私です。
そして、「すべての判断が正しいとは限らない」という意味において
同意します。
記載はすべて「こういう場合」という私の条件として記載しました。
私は私にとって「義理なつきあい=機械的な付き合いと思えるものが嫌いだという意味です。
で、「機械的な付き合い」の定義は個々で違ってくるでしょう。
そこで掘り下げて意見交換ができれば嬉しいです。
>人間は互いの気持は分からない以上、安易に相手が自分を軽視しているとか、
>自分に気持が向いていないなんて判断できないはずです。
同じく、軽視していない、ということも判断できない。
もちろん、通常は判断する必要がない場合が多いのですが。
これは私の意見ですが、コメント交換している相手を軽視する
という考え方は私にはありません(自覚症状としてですが)。
コメント行為としての「スルー」(興味がない・知識がない記事への)はあるでしょうが。
なので、「軽視」という言葉がここで出てくるのが
ちょっと興味深かったです。
で、ここで書いた「自分(誰か)に気持が向いていない」というのは
抽象論ではなく、わりと具体的な現象としてわかってしまう場合です。
で、私はそれに気づくと、相手に確認してしまう暴走系ですが
(相手がたとえば私に「わからせたい」という場合もあると思うのですよ)
それでかえって相手が気を使って義理を続ける危険性も承知しています。
難しい部分です。
別のブロガーを想定した記事ですが
こうして反論いただけることで、
視野が広がるのは非常にありがたい。
読み手も、また思考刺激されるでしょうし、心強いと思います。
(私も思考整理できます。)
そしていつもながら、そういう立場でご参加くださるzippa-zappa様
のようなブロガーが、ここに来て下さることが私の宝だと思っています。
不明点はまたいつでもコメントくださいませ。
(ひさびさにzippa-zappa様流コメントにふれることが出来て、なんだか嬉しい私がおりまする)
コメントを見ていただけている、とわかるだけでも嬉しい、というのは
まさにこういう場合ですね。
共依存、非常に興味深かったので、あれこれ調べました。
以前から、ブログ全般である種のブログコメントに
この傾向が見られるのが気になっていたのですが
モラルハザードの一種(共感することで安心を得て、1人ならしないような
行動や発言をしてしまう、という意味で)として考えていたのですが、
共依存という言葉によって、より自覚的に考えることができました。
このところのuumin3様の記事は、どれも非常に興味深いのですが
コメントさせていただくには力不足&未消化で、
持ち帰って反芻しています。
ちょっと現在進行形のコミュニティトラブル(かどうかも不明なのですが)
に関与するため、お名前をださす失礼いたしました。
暗示、ありがたく頂戴いたします♪
>そもそも、自分の気持すら怪しくなってくることがあるのに、
>「しないほうがマシ」という判断を軽々しくしてしまうのはいかがなものかと。
zippa-zappa様のコメントは、見方をかえれば
1..「しない方がマシ、ということはない」というご自分の判断の提示でしょうか?
2.こういう記事発信(もしくは表現)は「軽々しいからよくない」という個人的見解でしょうか?
3.「しない方がマシ」という表現が間違ってるというご指摘でしょうか?
もし2で、軽々しい判断に見えるとしたら私の表現不足です。
記事化する時ってけっこう本気なんですが・・・。
3.に関しては、私の正直な思いなので、それがzippa-zappa様には
受け付けられないというご意見で、そのまま了解です。
(もしそれで不快に感じられておられたらごめんなさい!!
でもコメントくださるということは見捨ててはいない、ということですよね?
<甘い?)
で、もし1であれば、zippa-zappa様のこと、およびあるブロガーを理解するうえで、
けっこう重要なポイントなので、お返事いただければ幸いです。
私にとって「義理」はマイナス印象なのですが、それが違うという意見であれば
非常に重要なのです。
人が人を理解するとか親切にするとか愛するとかは、本当はものすごく難しいことなのではないかと思います。誤解したり、迷惑かけたりしながらでも、関わりをもち続けることを望む、何か価値や意義を感じることができる人同士だけが、関係を育てていけるのだと信じています。
何も得ることがない、負担になると感じているお付き合いを続けるかどうかは、その人が選ぶ問題。私の場合でしたらやはり続けませんね。
まったく完全に何も得ることのない(反論以下の)
負担にしかならない(相手に気持ちが向かわない・入らない)、義理なつきあい(ロボットのような機械的な)なのならしないほうがマシだと、私は思います。
まず、付き合いといっても、リアルとネットは全く違うと考えています。(この辺が曖昧でした。)
リアルでは、義理も結構重要だと思っています。
義理での付き合いが、ある日突然、重要な付き合いになってくることもあったので。
だから、リアルでは間違いなく1。
一方、ネットでは、明確に義理だと「私」が確信してしまった場合は、付き合いはしない。
ただし、実際は義理か否かが分からないことが多いので、簡単には判断できないことが多い。
その意味での反論でした。
だから、多分に2の意味が大きい。
しかし、ネットでもリアルと同じく、義理での付き合いが
意外な出会いなんてこともありうるんじゃないかと思っているので、義理での付き合いなんて「しないほうがマシ」と言い切るには抵抗もあります。
まあ、そもそも、ネット上での義理での付き合いをしていないので、経験上なんともいえないというのも本音です。
あくまで一般論ですが、他人との関係をそこまで掘り下げて考えても仕方が無いようにも思います。
私の最近の経験から、自分の気持や相手の気持を掘り下げても得るものは無いように感じているので。
義理について個人的に考えていたので・・・・
たぶんなるもにあさんは義理人情に厚い方なのではないかと勝手に想像しているattitudeです。
義理が大切なこともあるのは確かですが、それがロボットのように機械的でまして負担に感じているのに、それでも「義理を通さなくてはいけない」とご自分に更に負担をかけられることはないのではないでしょうか。
「しない方がマシだ」としか思えないお付き合いだって確かにあります。それが早合点でその先重要な関係に発展する可能性があったとしても、その時それが辛いのなら選択するのはなるもにあさんで、最初の話題にもどるようですが、結局ひとは自分を大切にすることでしか、他人との良い関係も築けないのだと思います。
共依存という言葉は今回はじめて知りました。興味深いです。私も心に留めておきたいです。
ブログ開くのは、記事書くことに依存してるから。
記事書くのは、コメントに依存してるから。
コメントするのは記事に依存してるから。
親しいブロガーに感情移入するのは、当然でしょう。
自分が想いを込めた言葉を、人は記事にするのであって、また、コメントに使うんだと思います。
なる姉さま、「共依存」は病的な関係って思ってません??
検索すると、絶対にそういう風に「理解」してしまうと思います。
「共に存在する」って意味もあると思うのは、わたしだけかなぁ?
なる姉さまはオンタイムでジェットコースターに乗っていらしたようなので、かな~りお疲れのことと思います。わたしなんか、いつまでたっても空気も話も読めない乗り遅れ組ですから、今は実際何が起こったかは、現状をあっけにとられて受け入れるしかないのですよ。悲しいことに。今回は、しりとりする気力も沸いてきません。せっかく仲良くなれたあちらの方にも、何も伝えることが出来ずにいます。
そして、実感します。
「あぁ。依存してたんだなぁ」と。
スタンドアローンはかっこいいけど、わたしにゃ無理です。関わりの度合いが病的=依存って、まちがいです。依存してもいいときがあるって知ってるから。負の意味だけじゃ無い言葉だから、わたしは今ここでなる姉さまにコメント書いてさしあげられるし=物理身体的に存在しているってことです。アンタレスやスピカになりたいとも思うけど、アラマキじゃないとパソキー打てないぢゃないでつか★★★
なる姉さま、ゼットンさまのところに残されたご自身のお言葉を思い出してくださいませ。わたしもまったく同感です☆☆☆