「砂の器」「Gメン75」丹波哲郎さん死去
俳優丹波哲郎さん死去 国際的活躍、死後の世界にも関心
東京都生まれ。中央大法学部を卒業後、劇団文化座を経て、51年新東宝に入社。翌年、映画「殺人容疑者」でデビューし、陰のある二枚目としておもに悪役で活躍。テレビでは「丹下左膳」の主役で異彩を放った。
60年代にテレビドラマ「三匹の侍」などの個性的な演技で人気を集め、映画では今村昌平監督の「豚と軍艦」のほか、篠田正浩監督の時代劇「暗殺」などに出演し、スターとしての地位を固めた。
また、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の通訳を務めた英語力を生かし、外国映画にも出演。「007は二度死ぬ」ではショーン・コネリーと共演し、話題になった。
その後も、テレビドラマ「キイハンター」「Gメン’75」のボス役で活躍、映画「砂の器」の刑事役では重厚な演技が高く評価された。近年も大河ドラマ「利家とまつ」「義経」などで、渋みある演技をみせていた。
一方、死後の世界に深い関心を持ち、89年にはベストセラーとなった著書を「丹波哲郎の大霊界」として自ら映画化した。
後年のイメージはどうしても「丹波哲郎の大霊界」強し、なのですが
元祖ちょいワル、というか、粋でチャーミングで大人の男性の茶目っ気を
合わせ持ったダンディな男性でした。
悠々自適というか、マイペースで、
最後まで「丹波流」を通された方だったのでは?
ある番組で健康法を聞かれて答えられた
「食べたいものは身体が決める」
「寝なくても死なない」という姿勢、
「寿命がくれば死ぬ、寿命があれば死なない」というおおらかさ、
一種独特の達観したアバウトさ、好きでした。
番組ではけっこうたくさん楽しませていただいています。
最初の出会いは多分『キイハンター』。
すごい「大人の男」のイメージでした(ソフト帽が似合う♪)。
洋画&海外ドラマ(「ハワイアンアイ」「サンセット77」等々)
大好きの母が、けっこうはまっていて、一緒に見ていた記憶があります。
私自身がはまったのは再放送からだと思うのですが(曖昧;
会話が軽妙というか、洒落てるというか、
ちょっと当時の他のTV番組とは一線を画してたと思う。
独特の抑揚のあるしゃべり方で、どんな役でも「丹波色」に染める。
それがまた、今様にはいい感じだったと思います。
なんだかこうして語れば語るほど
寂しく感じます・・・。
ご冥福をお祈りいたします。
KEY HUNTER OP(You Tube)
この部屋のグループは5人
彼らの愛するものは自由
求めるものは平和
彼らの活躍がここにはじまる
彼らの行くところ不可能の文字はなく
彼らを遮る国境もない
彼らはこう呼ばれる
KEY HUNTER
「非情のライセンス」(キイハンター ED)
作詞・佐藤純弥、作曲・菊池俊輔、唄・野際陽子
参考:
公式サイト(丹波哲郎の霊界サロン)
wiki(丹波哲郎)
hatena(丹波哲郎)
キイハンター
キイハンター探偵局
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