読者から紹介いただいた記事です。
(読売新聞の記事より)
創業者の夫が急逝、継いだのは3人子育て中の専業主婦…「世界の山ちゃん」店舗作りのヒントは小学校のバスケチーム
エスワイフードは、手羽先が名物の居酒屋チェーン「世界の山ちゃん」を運営する。創業者で会長を務めていた夫の急逝を受けてトップを継いだ山本久美代表取締役に「素人」経営者の挑戦を聞いた。
<業界ではカリスマ経営者として知られた夫の重雄氏が2016年8月21日、解離性大動脈瘤で亡くなった>
本当に突然でした。いつもと同じように仕事をして、機嫌良く自宅に帰ってきた日の翌朝、リビングに倒れていたのです。
主人は59歳とまだ若く、誰に次を任せるか決めていませんでした。亡くなった日、主人が横たわっている枕元で、取引先から「後任をやれるのはあなたしかいない」と言葉をかけられました。
当時の私は、中学3年、中学1年、小学2年の3人の子どもを育てる専業主婦でした。それまで経営に関わったこともありません。会社も大事だが、家庭の方が大事だからできないと、泣きながらその場で断りました。
<トップ就任後、ボトムアップ型の組織に構造改革を行った>
それまでは会長が全ての指示、命令を出し、問題が起きれば尻ぬぐいもしてきました。カリスマによるトップダウンの経営です。
素人の私にそれはできません。社員それぞれがスペシャリストになって、底上げをしてほしいと呼びかけました。
<小学校のバスケットボールチームでの監督経験が経営にいきている>
団体スポーツと飲食業はすごく似ています。バスケチームも店舗も作り方は一緒だと感じています。
ミニバスケの小学校男子クラブチームの監督を務めていた時、新たに入ってきた4年生には基本を教えながら、絶対に怒らず、めちゃくちゃかわいがりました。5年生以降は少しずつ怒るんですが、気持ちをつかんでやる気にさせていれば絶対に離れないんです。6年生になると、怒らなくてもやるし、自分たちで(試合を)組み立てられるようになりました。
店舗作りも同じ感覚なんです。店長には「人を思って、寄り添う。愛情をまず先にかけなさい」と伝えています。スタッフの気持ちをつかんで動いてくれるようになっていれば、時に厳しくしても絶対に離れていかないと思います。
トンネル列車火災で生き残った使命感…「あずきバー」の井村屋会長、たどり着いた先は「全社員の活躍と幸せ重視」
トンネル列車火災で生き残った使命感…「あずきバー」の井村屋会長、たどり着いた先は「全社員の活躍と幸せ重視」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
アイスや肉まん・あんまんで知られる井村屋グループの中島伸子会長CEO(最高経営責任者)は、列車事故に遭い、九死に一生を得た経験を持つ。
<1972年、死者30人を出した北陸トンネル列車火災事故に遭った。その後遺症で教師になる夢を諦めた>
20歳の誕生日を実家で過ごすため、夜行列車で帰省している時でした。3人の小さな男の子を連れた若い母親と一緒に4人がけのボックス席に座っていると、トンネルの中で突然、列車が止まりました。真っ暗な車内でアナウンスも何もない。そうしたら隣の食堂車から炎が迫ってくるのが見えました。
その母親が泣きながら言うのです。「3人の子連れで逃げられない。跡取りの上の子だけでも連れて行ってほしい」。私は5歳の子を抱きかかえ、窓から車外へ飛び降りました。黒煙が充満するトンネルではぐれてしまい、必死に子どもの名前を叫んでいるうちに気絶してしまいました。
意識を取り戻したのは、ちょうど誕生日を迎えた2日後。4人の母子が亡くなったことを知らされました。 私自身も、のどからすすの塊が出てきて2年間はほとんどしゃべれませんでした。医師からは一酸化炭素中毒で声帯が麻痺している、声を使う仕事は諦めた方がよいと宣告されました。その後、声は徐々に出るようになりましたが、今でも少ししわがれているでしょう。きつい体験でした。
子どもを救えなかった後悔と無念。目指していた教師になる夢への道が閉ざされた喪失感。ぐずぐずしていた日々から立ち直ったきっかけは父からの手紙でした。「声が出なくても生きていけるし、自分だけのプラス1を探すことだ。『辛』に一本足せば『幸』になる。亡くなった人のためにも一生懸命生きることが使命だ」。この言葉はずっと私の支えとなりました。
高校の同窓生だった主人と結婚した後、23歳の時に近所にあった井村屋の福井営業所で経理事務の募集を見つけ、アルバイトとして働き始めました。
亡くなった子どもたちのことを思うと、どんな仕事でもしっかりやろうと。経理だけでなく、4トントラックを運転して配達もしていましたよ。
ある配達先で「カップアイスのふたが開けにくい」と聞きました。ちょうど全社的に改善活動の募集があったので、ふたの持ち手を大きくするよう提案すると、採用され、社長賞をもらいました。 バイトでも差別なく表彰してくれる会社ってないじゃないですか。感激して25歳で登用試験を受けて正社員になりました。
福井県の自宅から石川県の北陸支店へ午前6時半の電車に乗って通勤していた頃のことです。ある朝、寝坊をしてしまい、これで弁当をつくっていたら遅刻する。遅刻はできない。ふと周りを見渡すと、義母がプランターで育てていたキュウリ、ナス、ピーマン、トマトが目に入りました。とっさにそれらをもいで、ご飯の上にのせ、マヨネーズをかけただけの弁当をつくって高校生の長男に渡しました。
その晩、長男が「友達にこんな弁当を作るなんて本当のお母さんじゃないんじゃないかと言われた」と話すんです。本当につらかった。すると長女が「そんな遠回しに嫌みを言うのはやめて。お兄ちゃんだって、お母さんが生き生きと働いているから家が明るいって言ってたじゃない」と助けてくれたんです。
働くって、家族の応援があってこそです。子どもはそれぞれ独立して仕事をしていますが、親が一生懸命働いている姿を見てくれていたと思うとうれしいですね。
昨秋発売した微細氷入りのアイス「SHALILI(シャリリ)」は20歳代の女性社員のアイデアから生まれました。
経営者は社員の人生に関わっています。本当に責任が重い。一緒に働く社員を大事にしなきゃいけない気持ちは強いし、幸せになってほしい。
あの鉄道事故から生き残った者として、それが社会への貢献だと思っています。
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