習志野歴史散歩(番外編)
習志野市に郷土資料館はないけれど…
習志野歴史散歩(全20回)、幸いご好評をいただいたようです。「日頃、知ってるつもりだったが、自分のまちの歴史を知らなかった」といった声を皆さんからお寄せいただきました。その中に、「自分でもいろいろ調べてみたいと思うのだが、習志野市には郷土資料館がないから…。文教住宅都市の看板を掲げているのに、恥ずかしい」と嘆く声もいくつか聞こえてきました。
(他市の郷土資料館)
八千代市立郷土博物館
https://www.yachiyo.ed.jp/yachiyo/sosiki/rekisi/
船橋市郷土資料館
郷土資料館
市川歴史博物館
http://www.city.ichikawa.lg.jp/edu15/111100000.html
鎌ヶ谷市郷土資料館
http://www.city.kamagaya.chiba.jp/sisetsu/kyoudo_2/kyoudo/index.html
千葉市立郷土博物館
https://www.city.chiba.jp/kyodo/index.html
確かに、他市にはあるのに、なぜか習志野市には郷土資料館がありませんし、作る予定もないようです。残念なことです。20回にわたる「習志野歴史散歩」シリーズでご紹介したとおり、習志野市は歴史の宝庫なのにもったいない話です。
図書館のレファレンス・サービスを活用する、という手があります
しかし、郷土資料館がないから郷土資料の調査が出来ないと思うのは早計です。今日は、図書館のレファレンス・サービスをフル活用する方法をお知らせしたいと思います。
https://www.narashino-lib.jp/toshow/asp/index.aspx
習志野市立図書館は今回、大久保図書館が新しい建物になっただけでなく、運営がガラッと変わりました。
従来は市の直営図書館5館(大久保、藤崎、東習志野、新習志野、谷津)がありましたが、藤崎図書館は廃止されてしまい、習志野市直営は中央図書館のみとなりました。その中央図書館が他の3館(指定管理者・株式会社図書館流通センターが運営)を統括する、という形になりました。
図書館法では公共図書館に、「司書」という専門職を置くことになっています。司書(ライブラリアン)とは、図書館資料の収集、整理、保管や、他の図書館との連携・協力、そして利用者にレファレンス・サービスを行う専門家です。医師がいない市立病院などあり得ないのと同様、司書がいない公共図書館などありません。そして、司書の専門的能力が強く問われるのがレファレンス、つまり利用者の資料調査に的確な情報を提供する支援サービスなのです。
日本ではなぜか、図書館を「無料貸本屋」だと思っている人がたくさんいます。「半沢直樹」はいつになったら入るのと、話題の新刊本にばかりリクエストが集中してしまいます。「放課後の子どもの居場所」や「ひまつぶしの場」だと思っている人もいます。どれも決して間違いではないでしょう。しかし、レファレンス・サービスをうまく使いこなさなくては、実はたいへんな「宝の持ち腐れ」なのです。また、郷土史に関することなど、郷土資料館はなくとも図書館のレファレンスによって、かなりのことが調べられるのです。目指す資料が習志野市立図書館になくても、他市や県立、あるいは大学の図書館から取り寄せてもらうことができます。しかも無料で…。これを活用しない手はありませんね。
レファレンスできる情報には限定はありません(但し、個人情報に関わることなどは制限されます)。別に郷土史に限ったことではなく、どの本を調べれば目指す答に行きつくのかわからない、ということはすべてレファレンス・サービスが受けられます。但し、必ず書籍・雑誌・新聞等の「検索」という形で行わなければなりません。例えば司書に「これから値上がりしそうな株の銘柄を教えてください」と聞いても、これは教えてもらえません。しかし、「これから値上がりしそうな株がわかる本や雑誌を教えて」ということであれば、蔵書の中から判断材料になりそうな本や雑誌を紹介してもらえるでしょう。
徳島県立図書館の例
レファレンスサービスの利用方法
新宿区立図書館の例
調べものに役立つ図書館活用方法(レファレンスと蔵書検索)
では、郷土史の話に絞ってみましょう。あなたが「習志野という地名は『篠原に見習え』から付けられた、という話は本当なのだろうか?」と思ったとします。図書館のカウンターに行って「すみません。『篠原に見習え』という話は本当ですか? ウソですか?」という聞き方をしても、これでは答に行き着きません。「『篠原に見習え』という話が登場するのは、いつの何という本からでしょうか?」と、本に結び付けて尋ねるのが上手な聞き方です。なお、このように文字資料の上に初めてその話が記録されたのがいつ、どんな形でなのかということを「初出(しょしゅつ)」といいます。初出に遡(さかのぼ)って出典を調べるのは歴史の基本で、初出を調べずに、ある話が本当だ、いやウソだと言ってみても話になりません。『篠原に見習え』であれば、例えば大正何年のこういう本に、その著者が明治何年に誰々からそう聞いたと書いてある、などということかも知れないし、文字資料として現れるのは意外に新しく、昭和も戦後のことだ、などということかも知れません。もちろん戦後だからウソだということにはなりませんが、さらに考証を進めていく手掛かりにはなるはずです。こうして一歩一歩、謎解きしていくことが、郷土史を知る醍醐味(だいごみ)ですね。
全国の図書館で「習志野」について、こんなにレファレンスがあります
最近ではこうして利用者のレファレンスに答えた後、図書館側でもこれをネット上のデータベースに蓄積しています。他の図書館でも同じような問い合わせを受けたとき、参考になるからです。
レファレンス協同データベース(レファ協)
https://crd.ndl.go.jp/reference/
因(ちな)みに、ここに「習志野」と入れて検索してみましょう。全国の図書館で「習志野」について、利用者からどんなレファレンスが出ているのか、見ることができます。いくつか拾ってみると、
〇修学旅行の始まりはどのようなものであったのか。(岡山県立図書館)
修学旅行の始まりはどのようなものであったのか。 | レファレンス協同データベース
〔修学旅行の始まりは、明治19年2月に東京高等師範学校が行った「長途遠足」。11泊12日、全行程260キロメートル余に及び、千葉県銚子港方面を見て回った後、習志野練兵場において2日間の野外演習を行った。〕
〇習志野市や佐倉市のロシア捕虜収容所について調べている。ロシア人捕虜が列車で送られてくる様子が書かれた千葉県の新聞記事や、佐倉でロシア人が街中を歩いていたという記事を探している。(千葉県立中央図書館)
習志野市や佐倉市のロシア捕虜収容所について調べている。ロシア人捕虜が列車で送られてくる様子が書かれた... | レファレンス協同データベース
〇明治41年(1908)に千葉県の習志野や下志津などで陸軍の軍事演習があったが、当時陸軍士官学校に在籍していた東久邇宮稔彦王・北白川宮成久王・朝香宮鳩彦王の3人がそこを訪れたという新聞記事を探している。(千葉県立中央図書館)
1908(明治41)年3月から4月に、千葉県の習志野や下志津などで陸軍の軍事演習があったが、そこを当... | レファレンス協同データベース
〇大正4年頃、東本願寺(浅草)にドイツの俘虜(捕虜)が短期間捕われていた時の写真あるいは新聞が見たい。(台東区立中央図書館)
大正4年頃、東本願寺(浅草)にドイツの俘虜(捕虜)が短期間捕われていた時の写真あるいは新聞が見たい。 | レファレンス協同データベース
〇第一次世界大戦当時スペイン風邪が流行し、ドイツ人捕虜の多くが習志野にいた4年間に死亡したことが記載されている新聞が見たい。(台東区立中央図書館)
当時スペイン風邪が流行し、ドイツ人捕虜の多くが死亡したことが記載されている新聞が見たい(習志野にいる... | レファレンス協同データベース
〇谷津干潟について、昭和30年頃の地図や、昔の様子がわかる資料が見たい。潮干狩りができた等と聞いたことがある。(千葉県立西部図書館)
谷津干潟について、昭和30年頃の地図や、昔の様子がわかる資料が見たい。潮干狩りができた等と聞いたこと... | レファレンス協同データベース
〇昭和33年の習志野市の電話帳を閲覧したい。(千葉県立中央図書館)
昭和33年習志野市の電話帳を閲覧したい。 | レファレンス協同データベース
〇千葉県内にあった3つの百貨店(松屋船橋店、銚子十字屋、津田沼高島屋)の開店・閉店について記事や広告を探したい。(千葉県立中央図書館)
千葉県内3つの百貨店(松屋船橋店、銚子十字屋、津田沼高島屋の店舗)の開店・閉店について記事や広告(開... | レファレンス協同データベース
〔松屋船橋店というのがあったんですね。現在の、本町セントラルビルだそうです〕
どうでしょう。「こんなことを聞いても、かまわないんだ」と思われたのではないでしょうか。例えば、JR津田沼駅北口が区画整理される前の地図が見たい。サンポー(三宝)ショッピングセンターは、今のどこにあったのだろう、などという質問も立派なレファレンスになります。
(「津田沼の今昔」より)
図書館は情報の宝庫、使わないと「損」
まさに図書館とは「情報の宝庫」なのです。「どうせわからないだろう」「こんなことを聞いては笑われるのではないか」などと尻込みしてはもったいない。充分に活用すべきなのです。
なお、司書にも得意分野、不得意分野があります。場合によっては、すぐその場でいい答が出ないかも知れません。しかしその場合、他の司書と相談したり、他市の図書館にその分野が得意な人がいれば問い合わせてくれたりするものです。また、若い司書であれば、そうやって経験を積むことで腕を上げていく。言い換えれば、利用者が司書を育てるといった側面もあるのです。そういう意味でも、「公営無料貸本屋」としか思っていない、などということは実に「損」なことなのです。
最後に、図書館のホームページにはこんな情報も出ています。
習志野市立図書館/デジタルアーカイブ「昔の写真で見る習志野の歴史」
習志野市立図書館/デジタルアーカイブ「昔の写真で見る習志野の歴史」
習志野市の歴史に関する基本的資料
https://www.narashino-lib.jp/TOSHOW/pdf/narashinoshi%20rekisi.pdf
習志野市に関する新聞記事見出し(平成14年4月分から)
https://www.narashino-lib.jp/TOSHOW/html/kyoudo_gyousei.html#kg02
図書館を上手に活用して、あなたも習志野の歴史を発掘してみませんか。そして、面白い史実がわかったら、ぜひ「住みたい習志野」に投稿してください。お待ちしています。
〔実践例〕
大久保の「馬頭観音」について調べてみると…
大久保の八幡公園にある軍馬慰霊碑の中に「馬頭観世音 坂西謹書」と書かれているものがあります。「坂西」とは誰なのでしょうか。
まず、陸軍将官総覧といった類の本を見て、坂西という将軍(碑の揮毫きごうを頼まれるような人は高級将校でしょう)を探してみます。すると、坂西は「ばんざい」で、坂西利八郎(陸軍中将、1871~1950)、坂西一良(陸軍中将、1891~1946)という人が見つかります。さらに読み進めると、一良は利八郎の養子であるとか、利八郎は砲兵科出身、一良は歩兵であるといった情報が集まります。しかし、二人とも騎兵ではなく、習志野にいた部隊に勤務した様子もありません。
「馬頭観世音」と書いてあるのですから、軍馬の慰霊碑でしょう。そこで今度は、坂西という軍人で馬に関する著作がある人はいないかとレファレンスをしてみると、次のような古い児童書が見つかりました。
戦時絵本 馬ノオヒタチ 吉澤廉三郎他画/坂西平八(陸軍少尉)文 (株)日本保育館 昭和18年 | 古書 古群洞 kogundou@jcom.zaq.ne.jp
戦時絵本 馬ノオヒタチ 吉澤廉三郎他画/坂西平八(陸軍少尉)文 (株)日本保育館昭和18年 ¥15,000海老根駿堂/澤井一三郎/立野道正/...
古書 古群洞 kogundou@jcom.zaq.ne.jp
戦時絵本 馬ノオヒタチ 指導・陸軍省馬政課・農林省馬政局・日本馬事会、画・吉澤廉三郎他/文・坂西平八(陸軍少将) (株)日本保育館 昭和18年
今度は、この著者・坂西平八の経歴を調べてみましょう。坂西利八郎中将の弟です。
明治38年 陸軍士官学校卒業(17期)、砲兵少尉
昭和6年 砲兵大佐、独立山砲兵第1連隊長
昭和8年 野砲兵第26連隊長
昭和11年 陸軍少将、野戦重砲兵第1旅団長(国府台)
昭和13年 予備役
兄・利八郎と同じく砲兵科で、騎兵ではありません。また、習志野にいた様子はありませんが、国府台に勤務しています。ここで、砲兵もまた、重い砲車を引かせるのに馬が必要だったことが思い出されます。馬だから騎兵、と思うのは早計というものでしょう。
こうした材料から、「馬頭観世音」の碑は坂西平八少将が揮毫したのだろうと推理されます。なぜ、国府台にいた坂西少将の筆になる碑が習志野にあるのか。それはさらに調べていかなければなりませんが、もしかするとこの碑は八幡公園に移される前、騎砲兵連隊にあったのかも知れません。そうであれば、砲兵科の坂西少将に揮毫を頼んだということもあり得ないことではないのではないか。そんなことも考えられるのです。
公園の片隅にある碑が、誰の書か。そんなどうでもいいようなことでも、郷土史を復元していくジグソー・パズルの一コマです。そして、古い書籍の情報からそんなことを推理することも出来るのです。面白いと思いませんか?
またお会いしましょう
さて、これまで習志野歴史散歩の記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。20回にわたる歴史散歩シリーズを一覧でご紹介したいと思います。また皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。(ニート太公望)
第1回
習志野歴史散歩:谷津球場、巨人軍発祥の地 - 住みたい習志野
第2回
習志野歴史散歩:寅さんと谷津遊園の大観覧車 - 住みたい習志野
第3回
習志野歴史散歩:谷津遊園の中にお城みたいな映画撮影所があった - 住みたい習志野
第4回
習志野歴史散歩:戦争中、習志野にB29が墜落していた - 住みたい習志野
第5回
習志野歴史散歩:「習志野」の由来と宮本武蔵 - 住みたい習志野
第6回
習志野歴史散歩:袖ヶ浦東小学校のSLは大正生まれのドイツ製 - 住みたい習志野
第7回
習志野歴史散歩:平安時代の「更科(さらしな)日記」に習志野市が出てくる - 住みたい習志野
第8回
習志野歴史散歩:鷺沼から頼朝が出陣! - 住みたい習志野
第9回
習志野歴史散歩:習志野にも来た伊能忠敬の日本地図が世界史を動かした - 住みたい習志野
第10回
習志野歴史散歩:習志野は何藩の領地だった? - 住みたい習志野
第11回
習志野歴史散歩:鷺沼村出身の「いせ辰」 - 住みたい習志野
第12回
習志野歴史散歩:忘れられた金メダリスト(大久保の騎兵連隊にいたバロン西) - 住みたい習志野
第13回
習志野歴史散歩:室町時代、30年も続いた関東の内戦と七年祭の起源 - 住みたい習志野
第14回
習志野歴史散歩:習志野のロシア人捕虜の世話をしたニコライ主教(「ニコライ堂」を造った人) - 住みたい習志野
第15回
習志野歴史散歩:騎兵旅団の光と影 - 住みたい習志野
第16回
習志野歴史散歩:戦車部隊の最期をふりかえり、不戦を誓う - 住みたい習志野
第17回
習志野歴史散歩:「習志野の森」と毒ガス - 住みたい習志野
第18回
習志野歴史散歩:鉄道連隊のこと(今のJR津田沼駅周辺) - 住みたい習志野
第19回
習志野歴史散歩:習志野市の市域が決まるまでのお話 - 住みたい習志野
第20回
習志野歴史散歩:国立博物館の「小倉コレクション」、かつては習志野市にあった - 住みたい習志野
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