住みたい習志野

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夜間中学 英語字幕で発信(10月5日毎日新聞夕刊)

2020-10-06 23:43:51 | 報道

9月17日習志野市で上映された夜間中学ドキュメンタリー映画「こんばんはⅡ」

17日実籾で行われた夜間中学ドキュメンタリー映画上映会の新聞報道 - 住みたい習志野

の英語版ができた、という記事が、10月5日毎日新聞夕刊に載りました。

夜間中学 英語字幕で発信

 義務教育を終えていない人たちが学ぶ夜間中学の記録映画「こんばんはⅡ」(37分、森康行監督)の英語字幕版が完成した。夜間中学は外国籍の生徒が8割を占めるようになっており、日本語教育の場としての側面も持つ。製作した」夜間中学の教師らのグループは、国籍にかかわらず教育を受けることの重要性が、広く認知されるよう期待している。【成田由香佳】

外国籍生徒の「学べる場」周知

日本語版を翻訳

 映画は全国の公設夜間中学や、ボランティアらが運営する自主夜間中学が舞台。授業風景の他、卒業生ら9人が貧困などで自身が学べなかった背景を語る姿を捉えた。うち5人が、カンボジアやミャンマーから来た難民、フィリピン出身の女性など、日本語以外を母語とした生徒だ。
 グループは全国各地で、この映画の日本語版を上映してきたが、外国籍の人々にも夜間中学を知ってもらう必要性を強く感じてきた。そこで、明治学院大経済学部の井川ジュニファー准教授に翻訳を依頼し、1年以上をかけ英語字幕版を完成させた。

日本とつながった

 9月19日に東京都内であった上映会では、夜間中学の卒業生らが英語字幕版への期待を述べた。ネパール出身で都立工芸高定時制4年のビスワカラマ・アニスさん(21)は、父の仕事のため、母国で義務教育を終えないまま2015年末に来日。16年に葛飾区の夜間中学で初めて日本語を学んだ。
 「夜間中学で日本とのつながりが始まった。教科の勉強だけでなく、友達や(日本)文化の勉強もできて、卒業しても先生に会いに行きたいと思える。英語版によって、日本語ができない人にも知ってもらえるのはいいこと」と喜んだ。
 足立区立第四中夜間学級を卒業した女性(67)は結婚を機に40年前、韓国から来日。日本語を学びたかったが育児に追われて、還暦を前に一念発起した。「悔いのないように生きたいと通った学校には、いろんな境遇の人がいて本当に刺激になった」と振り返る。
 文部科学省の推進で全国で夜間中学の新設が相次ぎ、19年度の生徒数は微増したが、ここ20年は減少傾向にある。
 東京都夜間中学校研究会の調査によると、20年度(6月末時点)は新型コロナウイルスの感染拡大で入国できない生徒がいる影響もあり、都内8校の夜間中学に在籍する生徒は16年度(同)の418人から」211人に半減した。
 元夜間中学教諭の見城慶和さん(82)は「生徒数の激減は異常と言っていい。コロナ禍が学びを必要とする人から夜間中学を遠ざけることになってはいけない。完成した英語字幕版がどんな力を発揮するか、楽しみにしている」と話している。
 映画に関する問い合わせは「こんばんはⅡ」のホームページへ。

多様化する入学理由

 夜間中学は学校教育法施行令に基づき自治体が設置する。元々は戦後の混乱の影響で、義務教育を終了できなかった人々が学ぶ場として設置された。現在は外国籍の他、不登校で学校に通えなかった生徒らが在籍するなど入学理由は多様化している。
 2016年成立の教育機会確保法を背景に、文部科学省は「47都道府県すべてに最低一つの夜間中学を設置」することを推進。全国で夜間中学が次々新設されている。
 19年度は埼玉県川口市、千葉県松戸市、今年度は茨城県常総市で各1校が開校し、21年度は徳島県と高知県で全国初の県立夜間中学が開校予定だ。
 文科省の19年度の調査によると、夜間中学に在籍する1729人中1384人(80%)が外国籍。日本語を習得したいというニーズは高く、これまでに夜間中学の教員向けに日本語指導の研修会を開催するなど、指導の充実を図っている。
 

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オスプレイ反対、市民団体が講演(10月6日東京新聞)

2020-10-06 22:29:11 | オスプレイ、安保、平和

(10月6日東京新聞)

オスプレイ反対、市民団体が講演

木更津基地問題 教訓に

陸上自衛隊木更津駐屯地に輸送機オスブレイが暫定配備されてことを受け、市民団体「オスプレイ来るな いらない住民の会」は三日、木更津市富士見の木更津中央公民館で講演会「木更津基地の歴史〜渡洋爆撃からオスプレイまで」を開いた。約60人が参加した。講師を務めた元高校教師の栗原克栄さんは戦後の基地拡張案を地元住民が団結して撤回させた歴史などに触れ「(過去の教訓を)オスプレイ反対運動に生かしてほしい」と語った。
 栗原さんは、1936(昭和11)年5月に海軍木更津航空隊が発足して以降の歴史を紹介。37年7月の盧溝橋事件を機に日中全面戦争となる中、翌8月には木更津航空隊の20機が長崎から海を渡って南京を空襲した渡洋爆撃が行われ、木更津基地の重要性が増したと指摘した。その一方、太平洋戦争末期には木更津基地への空襲が行われ、機銃掃射による死傷者も各地で発生した。
 戦後の基地反対運動については、基地を接収した米軍が拡張工事を図ると、騒音や禁漁に反発した漁民らが計画中止に追い込んだ説明。市議会が68年6月、訓練飛行の即時停止や基地移転の要望を決議した事にも触れた。
 栗原さんは、基地問題は沖縄だけでなく木更津にもあった。今も周りの人々の命を脅かしている」と警鐘を鳴らした。(山田雄一郎)

オスプレイの墜落しやすい構造

オスプレイ墜落大破現場レポート

習志野駐屯地で演習し、習志野・八千代・船橋の上空を飛ぶオスプレイ。不安で眠れぬ日々が来る

こうして墜落した

11月7日に「オスプレイいらない!習志野・八千代・船橋ネットワーク」集会

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