江戸時代の結婚、離婚。不義密通
●溝口健二 「近松物語」1954 香川京子 長谷川一夫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/77/d533f760ec83ce344b6357ef80d674c8.jpg)
溝口映画には女性の解放を願う気持ちがある。なぜなら男たちは下劣で、女たちの犠牲の上に男性中心社会を享受する、という描き方。
江戸と現在の離婚
江戸時代の離婚の話です。「女大学」の道徳律が女性の理想的なあり方として求められたといっても、武家階層のハナシで、大半の女性、日々の暮らしに追われる農村の百姓や、都市で借家の長屋暮らしの町人は、一介の労働者として一家総出で働いていた。そんな大半の女性たちには「女大学」は絵空事。たとえ読んでも縛られない。女大学で「七去・しちきょ」(妻を離婚できる理由)とあっても、そんなの無視。居座る、逃げ出す、婿養子の夫を追い出す…。めずらしいことではなかった。現在の日本でも離婚率は高いが、江戸時代の離婚はそれ以上。古今東西、世界一という人口学者もいる。現在の西欧の離婚率が低いのは婚外子の割合が高いことも関係している。日本は婚外子差別があるので子どもができたら結婚するカップルが多い。
●2019年離婚率と江戸時代比較
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c6/f6d28155ab9c8a50d9d766b0093bd5d8.jpg)
日本では3組に1組が離婚していると言われているが、離婚率は年間の離婚届件数を人口で割って1000を掛けて計算する、「人口1000人あたりの離婚件数」。3組に1組というのは、同じ年の婚姻総数と離婚総数を比較した割合。どうりで実感とは違う。周りをみてもそんなに離婚していないもんね。
●婚姻率と離婚率の推移(1899~2022)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fa/c6ccf6db298dc60c5076123d19aed4a1.jpg)
現在は結婚する人が減少、離婚も微減傾向。ただ、熟年離婚は増加傾向。年金分割制度(離婚すると夫の年金をずっと分割でもらえる)ができてから急増した。
江戸時代の離婚は、家長である夫が一方的に妻を追い出した「追い出し離婚」(専権離婚)ではなく、むしろ、妻が飛び出した、逃げ出した「飛び出し離婚」が多いと考えられている。嫌いな夫のもとから飛び出して実家に戻ってもさほど抵抗なく受け入れられた。婚姻先での労働力や経験のキャリアは評価こそすれ、「きずもの」扱いを受けることにはならなかった。神君家康は子連れシングルマザー大好きの実利主義、「貞女二夫にまみえず」といった儒教的婦徳は大名クラスにも庶民にも、江戸時代にはなかったと思われる。
●明治からの離婚率の推移
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/28/35515bf9b522447819018d4513137111.jpg)
明治時代になっても「飛び出し離婚」の傾向は続き、離婚率の高さは江戸時代と変わらない。明治民法によって、法的な離婚原因に妻の姦通などが定められても離婚はなかなか減らなかった。お上の法律なんか絡んできたら、よけいに夫婦関係も丸くおさまるものが収まらず、女性は飛び出すより仕方なかった?
離婚が減るのは、明治民法で「協議離婚」が制度として採用されてから。大正時代から昭和にかけて、妻の同意がない夫の「追い出し離婚」が協議離婚の多くを占めるようになる。日本では現在90%近くも協議離婚だが、協議離婚制度があるのは、日本以外では、韓国、台湾などごく少数。日本国内で協議離婚をしても子どもの扶養問題などで外国では認められず、離婚が無効になることもある。養育費不払い問題などもあり、協議離婚制度は見直す時期に来ている。外国のように調停や裁判による離婚制度に変えて、シングルマザーへの生活支援と連動させることが求められている。少しでも婚姻率を上げて、子どもを増やしたいと考えるならね。
江戸時代の結婚・武家の場合
●武家の結婚 人を招待した特別な結婚式はなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/32/180877c1d5155cf61b17cb1667531d91.jpg)
江戸時代は武士も庶民も一夫一婦制であった。将軍を始めとする大名は正室以外に妾をもっていたが、家の存続を理由に正当化されていた。「武家諸法度」は私婚を禁止し、1733年にすべての結婚は縁組届が必要になり、妾を勝手に妻に変更するのは禁じられた。
武士の結婚は一般的には出会いもせず、親や主君のいうままに、式の当日まで顔も見ず、当日顔をみてがっかりしたり、安心したりした。結婚は、まず上司に内々の伺いを立てて、判断を仰ぐ。身分や格式に隔たりのある場合は、内伺の段階で許可が下らない。内伺がOKなら正式に藩に願書を出す。藩が関わるのは、武家同士が政略のために結びつくことを防ぐためである。仲人を立て、結納を交換し、そのあと日にちを置かず夜に輿(こし)入れ(結婚式)を行った。陰陽道の影響で陰である女性を迎えるのは夜がふさわしいとされた。実家の両親は結婚式には参加しなかった。
江戸時代の結婚・庶民の場合
庶民の結婚は、原則として幕府や藩の許可は必要としないが、領主のちがう村や町の結婚は届が必要だった。現在の戸籍に相当する「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」に妻を夫方に転記しなければならなかった。江戸幕府は「寺請制度」をとった。すべての人はどこかの寺(檀那寺)の檀家となり、邪宗の信者でないことを檀那寺に保証させる制度である。生誕、死去、結婚、移住などで本貫地を移動するときは、必ず檀那寺から「人別送状」と村役人の「送一札(おくりいっさつ)」を先方の寺に渡し、受けた側では「承諾状」を出して、「宗門人別改帳」に転記した。
●宗門人別改帳と記載内容 キリシタン摘発と租税賦課が目的でつくられた。名字の記載はない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/7c/584829b199751e502886711abac8718a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/db/d45d3a263069614bd4ba04bb6f12c9eb.jpg)
幕府は、寺を国家の出先機関として、民衆を監視すると同時に寺も統制するという統治を行い、見事成功した。堕落したのは仏教である。
徳川時代、宗教活動をサボり、戸籍の管理など幕府のお手伝いばかりしていたから、寺は明治になって檀家制度がなくなると、江戸時代やっていた葬式以外、何をしていいかわからなくなった。やったことは僧侶の妻帯禁止を自由化したこと。これで寺は血縁の世襲で安泰。
江戸時代は浄土真宗以外の僧は女性とのセックスは禁止、公になれば破門か、幕府が代行し流刑。男性との色欲は許されていたので、小僧(稚児、少年の修行僧)と関係し、寺は養子をとって継がせていた。
庶民の結婚は、武士と違って身分・格式には緩かったが、やはり家格がつりあう家同士の結婚が多く、親が決めたり、若者宿や娘宿という組織があれば、夜這いを通じて伴侶を決定した。結婚相手を自分で決めても、親や親類、村共同体や五人組という地縁連帯の承認も受ける必要があった。
親の許しのない結婚は「密通」となり、処罰の対象となったが、江戸中期になると、親を無視した結婚は「馴れ合い」とよばれ、今日の「恋愛結婚」が増加していった。
結婚式が派手なのは商家で、見合、結納、婚礼、披露宴、里開き(婿方が新婦の里帰りに同行して挨拶する)というプロセスで、5日間店を休んで、披露目をした。
●江戸の婚礼行列
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/ea/ebf7c15d802089b33e43b5040849439c.jpg)
生涯未婚
生涯未婚について考えてみよう
●江戸時代と現代の50歳時点での未婚率推移
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f3/b33bf3a5dafdeb958d470ab8005699c7.jpg)
江戸時代、「正式な結婚」をしない、あるいはできない男女も圧倒的に多くいた。親も仲人も関係ない事実婚だったり、日雇い労働、賃仕事、奉公などで一生を単身で終えた人々も、ざらにいた。シングルマザーもね。
●江戸時代と現在の配偶率 江戸時代は男性の未婚者が多く、1721年の江戸は人口50万のうち男性32万、女性18万。男余りのせいか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/b7/01f1e97f09226934077ddd880559d9f6.jpg)
時代劇や歴史小説では、武家のハナシが多いので、結婚が当たり前と思いがちであるが、武家は人口の7~8%のマイノリティ。だから、現代の私たちは、ほぼほぼ農民か町人の庶民の末裔。江戸時代の庶民は、共働きで、家制度や家父長制からはかなり自由で男女関係は対等。こんな江戸時代だと男の未婚率が多い。
明治民法で、妻の経済的自立を封じ、家事や育児は妻の役割分担が規範として押し付けられると、結婚は「永久就職」となり、結婚をしないという選択は消えていく。そこで、「お見合い」という家と家を結びつけるマッチングシステムが生まれる。現在でも行政で婚活じみたことをやってるのは、結婚保護政策。自分の魅力で女性を引き付けることに自信がない男には、結婚相談所やマッチングアプリ、行政マッチング政策などは神システムだね。
でも、「結婚しない」「結婚したい」「子どもいらない」「子どもがほしい」というのは、人それぞれだし、状況によって変わっていく。明治民法で国民皆婚を強制された時代は異常だった。(今の民法も明治民法を継続しているのが多い)。子育てでは現在、男女共に苦しんでいる。子育てを支援し、女性の経済的地位を上げ、ジェンダーフリーを実現すれば、男女とも結婚、離婚を自分で選べるようになる。
「産めよ殖やせよ」的な政策や、「家族制度」を単位とする社会保障や税などのしくみでは、江戸時代にあった自由は戻ってこないが、いまだに「お国のために」という思考回路の政府はそればかりいじっているね。
不義密通はご法度
●歌舞伎「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり」 大坂の油屋の娘お染(中村雀右衛門)と丁稚(でっち)久松(中村雁治郎)の心中
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/0d/181b93cacf620fd23aefb642b49a5a19.jpg)
「武家も町家も不義はご法度」。歌舞伎「お染久松色読取」の中のセリフである。不義密通は、「婚姻関係以外の全ての性的関係」を指す言葉。既婚者はもちろん、未婚男女の恋愛すら処罰の対象だった。女性にだけ貞節を求め、家父長制の家の存続、血統の維持から、自由恋愛、自由結婚は、法的に強力に禁止されていた。妻の不義密通は死をもって償わればならないし、密通した男と女を重ねておいて真っ二つに斬り上半身と下半身を斬り離す(重ねて四つ)という私的制裁権も認められていた。娘(未婚)の刑罰は妻よりは軽いが、父親に娘の結婚の決定権があるので、家を飛び出して密通相手と夫婦になっても、その結婚は無効だし、制裁権もあるので、父親は娘の密通相手と娘を殺すこともあった。下男下女が密通した場合は主人に引き渡し、主人は気持ち次第でどのようなこともできた。
妻の性は夫が、娘の性は父親が、奉公人の性は主人が、管理できる。
女性の性は閉じ込め、それに対し、男性は武士も町人も経済力さえあれば妾を囲うことができるし、遊女と楽しむこともOK。こんなダブルスタンダードがまかりとおったのが江戸時代から(明治、大正、昭和…、まだ残っていた?)。江戸時代も終盤になると、貨幣経済の進展に従い、不義密通は示談金で解決する方向になり、支配側の意図に反して性規範は緩んでいく。歌舞伎に「重ねて四つという野暮もしめえが」というセリフがある。男女関係への厳しい処罰は庶民感覚では「野暮」。たしかに、妻を寝取られた情けない夫が妻と相手を制裁するのは「野暮」だよ。
たった一度の人生。親が決めた相手ではなく、好きな男(女)と添い遂げたい。あちこち馴れ合い結婚(恋愛結婚)だらけになった。
国学の恋愛擁護
●本居宣長(1730~1801) 宣長は、賀茂真淵の手紙による通信教育で学んだが、師説批判の自由、弟子たちの自由な議論、通信教育、本の貸し借り、出版などで、全国的に国学を広めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/11/893a3ca09e574178cc8abf7cf0394bfe.jpg)
知識人(江戸時代の知識人の存在は身分制度からはみ出した存在。それだけ学問の自由があった?)などから恋愛を擁護する思想があらわれ、国学者の本居宣長は、「源氏物語」を道徳論ではなく、人間の情を重視する「ものの哀はれ」論によって高く評価した。恋のうたを送られた女が男に「哀れと思ひて、父母に隠れて密かに逢ふこと」はものの哀れを知るからで、「折にふれ事によりては、此方も彼方も忍びがたく哀れなることもあるければ、二人になびけばとて、あだなるといふべからず」(「紫女要領」)。複数の相手との恋愛も肯定している。
知識人を中心に、女性を家長である夫への絶対服従ではなく、内助という役割でもなく、互いの個性と自由を認め合う新たな夫婦関係が広がっていき、慌てた江戸幕府は寛政の改革で朱子学以外の学問を禁止し、封建的人間類型を再生しようとしたが、藩校が爆発的に増えたため、教育が普及し、幕臣すら必ずしも幕府に沿った思考をしなくなった。
●歌舞伎「桜姫東文章」鶴屋南北作 片岡仁左衛門(権助&清玄)&坂東玉三郎(桜姫) 絶望的な格差社会、性別、年齢、容姿、障害の差別の嵐。桜姫はふつうのお姫様じゃない。初上演はペリーが浦賀沖に来た年で、人気を得た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/93/f39e578c5604654c5a6b3c50e2209eb4.jpg)
江戸時代末期には、女性たちが幕藩制支配秩序から降りようとしていた。鶴屋南北や滝沢馬琴の作品には、さまざまな「悪女」が登場する。「悪女」というのは、儒教道徳にもとづく女性像を無視して行動する女のことである。自然発生的、個別的であるので、権力からは危険視されることはない。犯罪者として処罰されるが、行ったことは恋愛結婚、妻からの離婚要求、経済的自立…などで、人間として当然すぎるほど当然。政治が硬直化し、時代から取り残されているのに気づいていないのは現在のずれまくり政権と同じ。
次回は江戸時代の離婚について書きます。(koki)
「ジェンダー」のブログ記事一覧-住みたい習志野
コメントをお寄せください。
<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す