(RBCの記事より)
伝説のジャズシンガーの妹を「米軍に媚びている」と拒絶した牧師の兄 親米、反米ですれ違った2人の人生
【前編】伝説のジャズシンガーの妹を「米軍に媚びている」と拒絶した牧師の兄 親米、反米ですれ違った2人の人生 | 沖縄のニュース|RBC 琉球放送 (1ページ)
沖縄がアメリカの統治下にあった時代、米軍基地の中で10年にわたってステージに立ち続けて、アメリカ軍人に向けて歌声を届けてきた、ジャズシンガー齋藤悌子さん。一方でそ...
RBC 琉球放送
沖縄がアメリカの統治下にあった時代、米軍基地の中で10年にわたってステージに立ち続けて、アメリカ軍人に向けて歌声を届けてきた、ジャズシンガー齋藤悌子さん。
一方でその兄、牧師の平良修さんは、本土復帰前の沖縄で「沖縄の帝王」と呼ばれたアメリカの高等弁務官の就任式で、挑戦状を叩きつけるような行動に出て世間を騒然とさせた。
輝いて見えたアメリカの文化や生活 歌に夢中だった
戦後、平良家は、父の故郷・那覇へ引っ越した。
高校に進学した悌子さん。歌の才能を教師に見いだされ、米軍基地で演奏するバンドのオーディションを受けてはと勧められた。
1953年、悌子さんはオーディションに合格。高校卒業と同時に、ジャズシンガーの道を歩むことになった。所属したのは、のちの夫となるギタリスト齋藤勝さん率いるバンドである。
「米軍に媚びている感じがして歓迎できない」
兄・修さんは、軍人相手に歌う妹を、冷ややかな目で見ていたという。
平良修さん
「米軍に媚びているような感じがして、気持ちの上では歓迎できない。私の生活の領域と彼女の生活の領域が、同じ沖縄で同じ平良を名乗っているが、どこか違うなという違和感はありました」
基地の外で、牧師としての道を歩んでいた修さん。戦後、修さんはどうしても割り切れないことがあった。軍国主義の化身に見えた教師たちが、平和主義者に変心していたのである。
国、教師と、安心して信じられるものを失い悶々とする中で、ハンセン病患者への差別と闘った牧師と出会い、キリスト教にひかれるようになる。
米軍チャペルの奨学金で、パスポートをもって東京神学大学校に留学。1959年、コザ市(現沖縄市)の沖縄キリスト教団上地教会牧師に就任した。
米軍チャペルとも交流のあった修さんが、明確に基地反対の姿勢を示すようになったのは、1965年のアメリカ留学がきっかけ。当時のアメリカで、黒人は激しい差別に晒されていた。
テネシー州の教育大学で学んでいた修さんは、友人に誘われ、当時、キング牧師らを中心に黒人教会で開かれていた公民権運動の集会に出席。そこで、集会の参加者が、白人による人種差別に怒りを爆発させ、黒人霊歌(ゴスペル)を激しく絶唱している姿に衝撃を受けた。
修さんは妻の悦美さんに手紙を送り、動揺する胸のうちを明かした。
(修さんから妻への手紙)
「沖縄でもこういう叫びがあるはずなのに、僕は聞いていなかったというショックで、後の礼拝がどうだったか、もう分からなかった」
基本的人権を求める黒人たちの叫びや歌声に、アメリカ占領下の沖縄の人々の苦しみが重なった。それ以来、修さんは、牧師として沖縄で泣いている人と一緒に生きることを誓った。
そして1966年、修さんに運命の時が訪れる―
ともに沖縄戦を生き延びた兄妹、平良修さんと齋藤悌子さん。米軍人に向けてジャズ歌ってきた妹に対し、兄は本土復帰前の沖縄で「沖縄の帝王」と呼ばれたアメリカの高等弁務官の就任式で「これが最後の高等弁務官になりますように」と述べ、世間を騒然とさせた。
米軍基地をめぐり、数十年にわたり顔も合わせないほどすれ違ったきょうだい。その2人をつないだのは、90歳になった兄が初めて訪れたライブで妹が歌った『ある歌』だった。
(下のサイトの動画で、この時の経過がご覧になれます)
復帰50の物語 第49話 兄妹がたどった2つのオキナワ
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QAB NEWS Headline
「これが最後の高等弁務官になりますように」就任式で驚きの祈り
修さんのもとに、アメリカから任命された第5代琉球列島高等弁務官の就任式で、牧師として祝福の祈祷をするよう依頼がきた。高等弁務官は、米軍統治下だった沖縄の全てを牛耳る最高権力者だ。
就任式当日。修さんは母に電話し「何があっても心配しないで」とだけ告げた。新しい高等弁務官を前にして「これが最後の高等弁務官になりますように」と述べ、一日も早くアメリカの支配が終わるようにと、神に祈りを捧げた。
沖縄県内外のマスコミは、就任式での発言を大々的に報道した。修さんは、米軍に身柄を拘束されることも覚悟していたが、予想に反して、何のお咎めもなかった。修さんは「私への弾圧の結果、沖縄民衆がさらに反米的になることを恐れて黙殺した」と解釈する。
「大変なことになった」
悌子さんが兄・修さんの発言を知ったとき、そう思った。しかし、すでに沖縄を離れていたこともあって、どこか遠い話であった。
夫との早すぎる別れ 失意から救ってくれたのはやはり歌だった
25歳でバンドマスターの齋藤勝さんと結婚した悌子さんは、30歳を前に沖縄を離れ、鹿児島まで船で渡りオープンカーで1か月かけて夫の故郷・千葉へ。そのころには生活の拠点ができていた。2人の子どもに恵まれ、ライブ活動をつづけながら忙しい毎日を送っていた。
悌子さんの幸せな生活が大きく変わったのは50代のとき。夫の好きな石垣島に移住してわずか2年…勝さんが病気のため亡くなったのだ。
齋藤悌子さん
「本当に優しい主人でしたからね。あっという間に逝っちゃったでしょ。それで私はもうどうしていいかわかんなくなって、しばらく音楽が聞けなかったんですね。音楽が流れるとすぐ涙が出ちゃうから、思い出して」
歌を封印する日々は10年以上続いた。しかし、そんな悌子さんを救ってくれたのはやはり歌だった。ある日、喫茶店から流れてきたジャズを聴いて、もう一度歌いたいという気持ちが湧いてきたのだ。
2022年夏、86歳にして初のアルバム「A Life with Jazz」をリリースする。
兄妹のすれ違いが続く中で、悌子さんのCDデビューの話題は、報道によって修さんのもとにも届く。
この頃までの修さんは、牧師として基地の反対運動に徹し、多忙な生活を送っていた。悌子さんと会うことはほとんどなく、悌子さんの夫・勝さんの葬儀にも参列しなかった。
修さんは、妹が再び歌いだしたことを知って、ジャズがどれほど妹にとって大切なものだったかを理解した。
長いすれ違いを乗り越えたもの
2022年11月、CD発売を記念してライブが開かれた。会場は満員だった。悌子さんは20代の頃のステージ衣装に身を包み、「サマータイム」や「テネシーワルツ」など、基地の中でもよく歌った曲を、丁寧に味わうように歌っていく。
最前列に座る修さんは、悌子さんとは目も合わせず、うつむいて聴いていた。
ライブの中盤、修さんの心を動かした歌があった。それは「ダニー・ボーイ」。
アイルランド民謡の「ロンドンデリーの歌」の旋律に歌詞をつけたこの曲は、大切な人との別れを想起させる。
♪ ダニー・ボーイ
いとしき我が子よ いずこに今日は眠る
戦に疲れた体を休めるすべはあるか
おまえに心を痛めて 眠れぬ夜を過ごす
老いたる母のこの胸に
帰れよ ダニー・ボーイ 帰れよ
悌子さんは会場で、この曲にまつわる米兵との思い出を語った。
齋藤悌子さん
「若い軍人さんと素敵な女性が踊っていらして、よく見ると軍人さんが泣いているの。どうしたんだろうと思って、あとでスタッフに聞いたら、あすベトナムに行くんだと。ショックでした。あの人は生きて帰ったかわからない」
1960年から75年まで、およそ14年半にわたって続いたベトナム戦争。沖縄は最大の後方基地としてアメリカ軍の支えとなっていた。
齋藤悌子さん
「あの頃は、ダニー・ボーイをきれいないい曲だなって歌っていた。でも、内容を聞いたり、歳を重ねるごとに、胸を打たれちゃう。ましてや今でも戦争している所があるじゃないですか。戦争は絶対いけないと思うの」
死を覚悟した兵士の涙や戦争の悲しさを自分なりの言葉にまとめ、歌で伝えようとしている悌子さんの姿を見て、修さんは感激した。そして妹の歌が兵士たちの心を癒していたのだという思いに至る。
平良修さん
「兵士たちは気持ちをほぐされて、休息を与えられて、優しい気持ちを養われて、その場にいたと思う」
ライブ会場が大きな歓声で包まれる中、修さんは無意識のうちに、妹を抱きしめていた。
平和への思い胸に 兄妹で肩を寄せ合い歌う讃美歌
悌子さんの暮らす石垣島は、自衛隊配備で揺れている。
石垣の港の近くにある自宅からは、自衛隊の車両が大量に運び込まれる様子や、迎撃ミサイルPACー3が配備されている様子がよく見える。
物々しい雰囲気に「再び戦争を起こしてはならない」という気持ちが、悌子さんはさらに強くなる。
修さんが悌子さんの歌を聴いた日から半年。今度は、悌子さんが修さんの活動の場を訪ねた。修さんは週1回、普天間基地のゲート前で讃美歌で平和を訴える抗議行動を、2012年から続けている。
米軍にむけて、悌子さんはダニー・ボーイを歌う。騒音に抗うように、声に力が入った。そして兄と肩を寄せ合い讃美歌を合唱。悌子さんは「兄と一緒に夢中になって歌ったのは初めて。今日は最高の日」と話す。
兄妹が、やっと同じ歌を歌えた。修さんはその重みを強く感じていた。
基地をめぐり立場が分かれた兄妹。ふたりは今、平和を願ってともに歌い、失われた時間を取り戻している。
アーカイブ 「イエスと歩む沖縄」 - こころの時代〜宗教・人生〜
沖縄返還から50年となる今年5月、過去に沖縄に取材した2本を「アーカイブ」のシリーズとして放送。沖縄からの問いかけを再考する。牧師・平良修さんは人間の尊厳を大...
アーカイブ 「イエスと歩む沖縄」
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