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マチューさんの映画紹介「君たちはどう生きるか」

2024-01-15 22:45:12 | エンタメ

(マチューさんの映画紹介です)

君たちはどう生きるか
宮崎駿 原作脚本監督

君たちはどう生きるか : 作品情報 - 映画.com

君たちはどう生きるか : 作品情報 - 映画.com

君たちはどう生きるかの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。宮崎駿監督が2013年公開の「風立ちぬ」以来10年ぶりに世に送り出した長編アニメーション。ベ...

映画.com

 

(予告編)


元々タイトルが気になって観よう観ようと思っていた。
5ヶ月がすぎ、その間にゴールデングローブ賞までとっていた。
しまったと慌てて、遅ればせながらまだ昼間もやっていた日比谷まで足をのばし、久々に妻を誘って観る。
引退を撤回して七年もかけてつくった超大作。
至るところに散りばめられた宮崎ワールドがそこにあった。なんというイマジネーション。若々しい発想力。ウ〜〜〜〜ム。

エンディングに流れる米津玄師の「地球儀」の歌詞が心に響く。


この作品、どこかで見たような、そんな気持ちになったことがあるような、懐かしさを感じる。

謎のアオサギが怪しい探検の始まり。七人の小人のような愛らしい七人の老婆はあきらかに描き方が違いほっとするキャラクター。
自身の少年時代をベースにしたファンタジーにぐんぐん惹き込まれた。

以下、あらすじです(ネタバレがあるので、映画を観てから読んだ方が良いかも知れません)

ジブリ映画『君たちはどう生きるか』あらすじ・ネタバレ解説!ラストシーンの意味や大おじの正体を考察 | ciatr[シアター]

太平洋戦争中の1944年、牧眞人は、東京を襲った空襲で入院中の母を亡くし、父が経営する戦闘機工場の移転とともに、郊外へ疎開することに。2人を出迎えたのは、母の妹であり、父の再婚相手となったナツコでした。お腹に新しい命が宿っている彼女を、眞人は新しい母親として受け入れることができず、転校先の学校でも孤立してしまいます。そんなあるとき、屋敷の庭の奥に古びた塔を見つけた眞人。そこは母の大おじにあたる人物が建てたものだとか。そして眞人の前に、「あなたの母は死んでいない」と人間の言葉を話すアオサギが現れ、彼は導かれるように塔へ入っていきます。「異世界」へ…

この映画、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」という本とは別物だが、どちらも少年の精神的成長物語

吉野源三郎の著書「君たちはどう生きるか」から、タイトルだけ拝借、と宮崎監督は言っているが、私はそうは思わない。
「君たちはどう生きるか」の本に出てくるコペル君とも、映画の主人公の眞人は同化していたような気がする。本では「叔父さん」との会話、映画では「大叔父」との会話、と代わっているが、何れも少年の精神的成長物語といえる。

君たちはどう生きるか(吉野源三郎)要約&解説

宮崎の愛読書のこの本の中にこんな文がでてくる。
「コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることになるのだ。」


—ものの見方について
これを宮崎作品では大切にしていると感じた。


「異世界」の主になっている大叔父から、「悪意のないお前に自分のあとを継いで欲しい」と求められるが、そんな「異世界」よりも、ままならない現実世界を眞人は仲間や様々なものに影響されながら生きていくことを選ぶ。映画も本も真髄は同じじゃないかと思う。

本人の作品群のなかでは直ぐに私の好きな「ハウルの動く城」や「千と千尋の神隠し」の一場面を連想する人も多いだろう。


すでにご覧になった方も多いだろうが、まるで読書のように幅広い年齢層で其々が感じることが出来るだろう。未だの方は是非、おすすめしたい。(マチュー)

 

 

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丸川珠代・元五輪相「中抜き700万円」報道に「愚か者めが!」という自分の発言がブーメラン。「裏金に安倍首相無関係」説はウソだった。

2024-01-15 18:22:29 | 国政、県政

(中日スポーツの記事より)

丸川珠代・元五輪相『中抜き700万円』報道に「愚か者めが!」ネットから過去の発言ブーメラン

丸川珠代・元五輪相『中抜き700万円』報道に「愚か者めが!」ネットから過去の発言ブーメラン(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース

丸川珠代・元五輪相『中抜き700万円』報道に「愚か者めが!」ネットから過去の発言ブーメラン(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース

 自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金事件について、TBSがノルマを超えた分を派閥に納めない「中抜き」が、最大派閥安倍派(清和政策研究会)の下村博文元文科...

Yahoo!ニュース

 

 自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金事件について、TBSがノルマを超えた分を派閥に納めない「中抜き」が、最大派閥安倍派(清和政策研究会)の下村博文元文科相や丸川珠代元五輪相側にあったと報道。ネット上では「丸川珠代」などの関連ワードがトレンド入りし、かつて丸川元五輪相が発した「愚か者め!」の言葉がブーメランとなって飛びかった。

 TBSの独自報道によると、安倍派のパーティー収入の一部が議員側にキックバックされ政治資金収支報告書に記載されなかった裏金は5年間でおよそ5億円。それとは別に約8000万円が中抜きされ、下村元文科相側に約500万円、丸川元五輪相側に700万円あることが新たに分かったという。丸川五輪相は記者の取材に無言を貫いた映像も紹介された。

 丸川元五輪相は2010年に、子ども手当を推進する当時の民主党政権に対し「愚か者めが」「このくだらん選択をしたばか者ども」などと激しいヤジを飛ばし、昨年1月に「反省すべきは反省したい」と述べている。

 X(旧ツイッター)では「丸川珠代! お前もか! この、愚か者めが!」「特大ブーメランで自分自身が本当の『愚か者』なんでは?」「『愚か者めが』の真意は、『法律を守ってたら裏金は作れるか、愚か者めが』だった」「今こそアンタの決め台詞の出番だぜ! この愚か者めが!!!」「中抜き型の裏金は政策活動費という言い訳が通じないし、そもそも使途不明金だから脱税でアウトじゃね?」などと厳しい声があふれた。

(TBS NEWS DIGより)

立憲民主党の長妻政調会長は、2010年に当時の民主党が創設した「子ども手当」に関する法律の国会での採決の様子を振り返りました。

立憲民主党 長妻昭政調会長 「参議院の採決のときにはですね、これ私大臣だったんですけれども、自民党のある参議院議員、女性参議院議員がこういうことをおっしゃった。『愚か者めが』」

【参院厚労委 2010年】
「子ども手当支給に関する法律案に賛成の方の挙手を願います」

自民党 丸川珠代参院議員
「愚か者めが。このくだらん選択をしたバカ者ども絶対忘れん」


「子ども手当」は、中学生以下の子どもを持つ世帯に1人あたり月額1万3000円を支給するもので、当時野党の自民党は「所得制限がなく、ばらまきにつながる」などとして強く反発していました。

さらに、長妻氏は… 立憲民主党 長妻昭政調会長 「私もびっくりしたんですが、『この愚か者めが』というふうに書いたTシャツを、自民党の公式グッズで1500円で発売してた」 自民党が党をあげて、罵詈雑言を浴びせていたと批判しました。

(NEWS ポストセブンより)

【裏金問題】「安倍元首相は無関係」説を覆す重大証言 「安倍事務所では昔から裏金を『もどし』『還付金』と呼んでいた」

【裏金問題】「安倍元首相は無関係」説を覆す重大証言 「安倍事務所では昔から裏金を『もどし』『還付金』と呼んでいた」(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース

 いよいよ議員逮捕にまで発展した安倍派の裏金問題。「安倍晋三・元首相はこの裏金の一件を知った時に激怒して改善を促した」──というのが今、各所で報じられている流れだ。過去を振り返ると、桜を見る会でも森友・加計問題でも、安倍氏が関わってきた問題はおしなべて、「安倍さんは知らなかった」と“免罪”された。この構造にこそ疑惑の「本丸」が隠れている。

裏金システムの全体像を解明するためには、同派前会長だった安倍氏がどう関与していたかを明らかにすることが欠かせないはずだが、疑惑が明るみに出た当初から、「安倍氏は無関係」という報道がなされてきた。

 本誌・週刊ポストは安倍氏の政治活動を支えてきた元事務所関係者から全く別の内容の証言を得た──。

「もどし」と呼んでいた

 安倍氏の父・晋太郎氏の時代から安倍派と安倍家を取材してきた政治ジャーナリスト・野上忠興氏の話も元事務所関係者の証言を裏付ける。

清和会(安倍派)では、晋太郎氏が会長だった時代にはすでに派閥パーティー券のキックバックが行なわれており、その後も引き継がれてきた。晋三氏は晋太郎氏の秘書としてそのやり方を側で見てきたし、議員になってからも清和会で育ったから、キックバックの仕組みや歴史を誰よりよく知っているはずです」  このような実態があるからこそ、今回の裏金問題では安倍派を中心に数多くの自民党の大物議員の名前が挙がっている。にもかかわらず、「安倍氏だけが知らなかった」という流れができていることこそが、病巣の根深さを示している。

報告していないはずがない

 安倍派の裏金づくりは、派閥パーティーの議員へのキックバック分の収入や支出を「政治資金収支報告書」に記載しないという手法だった。

 これは安倍氏自らが用いてきた手段だった。政権を揺るがした「桜を見る会」前夜祭パーティー問題がまさにそうだ。

 安倍氏は首相時代(2013?2019年)、各界の代表者など約1万人を招待して新宿御苑で「桜を見る会」を開き、その前日に都内の高級ホテルで地元から招待した後援者を集めた政治団体「安倍晋三後援会」主催の前夜祭パーティーを開いていた。会費は5000円で、約850人が参加していた。

 ところが、同後援会の政治資金収支報告書にはこのパーティーの開催も、収支も一切記載していなかった。これが問題化し、国会は大紛糾した。

政治評論家の有馬晴海氏が指摘する。

「桜を見る会前夜祭パーティーのような都合が悪い政治資金の収支を“バレなければいい”と政治資金収支報告書に記載せずに隠すのは安倍さんの体質です。それが今回の安倍派の裏金問題にもつながっている。派閥パーティーのキックバックは、自民党では昔から行なわれていたが、最初は政治資金収支報告書に記載していた。しかし、安倍長期政権下で権力に驕った安倍派は『記載しなくても大丈夫』と法律を犯しても平気な集団になっていった。安倍氏の体質が伝染したわけです

 さらに安倍氏がキックバックを止めさせようとしたという報道についても、真相をこう見る。

「安倍さんは以前からキックバックのことを知っていたはずですが、派閥会長になると止めるように指示したと報じられている。安倍さんが会長に就任したのは桜を見る会パーティーで秘書が立件され、罰金の略式命令を受けた後です。だとすれば、前夜祭パーティーで捜査を受けた経験から、キックバックの不記載が違法だと認識していて、派閥会長の自分にも累が及びかねないと考えた可能性がある」(同前)

“隠蔽体質”の継承

 安倍派裏金事件で逮捕された池田佳隆・元文部科学副大臣は、安倍氏に声を掛けられて家業の化学薬品社長から政治家に転じたこともあって、安倍氏を「師」と仰いでいた。その池田氏に裏金の関連資料を廃棄させていた疑いが生じているわけだが、こうした「証拠隠滅」も安倍氏から受け継いだ“悪しき体質”と言える。

 安倍氏をめぐる数々の事件で、証拠隠滅や隠蔽が図られてきたからだ。

 前述の桜を見る会パーティー問題では、野党が招待者名簿などの資料を要求すると、内閣府が大量の名簿を大型シュレッダーにかけて廃棄し、しかも、名簿のバックアップデータはまだ残っていたにもかかわらず、国会で「すでに破棄した」と答弁して隠蔽した。

 今回、安倍派幹部たちは特捜部の聴取に、キックバックは「会長案件だった」と供述しているとも報じられたが、既に亡くなった安倍氏は今回の捜査の対象外とされる。安倍政治の「黒い体質」まで含めてメスを入れ、再評価しない限り、自民党の金権政治の裏にある構造を改めることなどできないはずだ。

 

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沖縄:ジャズシンガーの妹と牧師、親米、反米ですれ違った2人の人生を再び結び付けた歌「ダニー・ボーイ」

2024-01-15 11:14:55 | オスプレイ、安保、平和

(RBCの記事より)

伝説のジャズシンガーの妹を「米軍に媚びている」と拒絶した牧師の兄 親米、反米ですれ違った2人の人生

【前編】伝説のジャズシンガーの妹を「米軍に媚びている」と拒絶した牧師の兄 親米、反米ですれ違った2人の人生 | 沖縄のニュース|RBC 琉球放送 (1ページ)

【前編】伝説のジャズシンガーの妹を「米軍に媚びている」と拒絶した牧師の兄 親米、反米ですれ違った2人の人生 | 沖縄のニュース|RBC 琉球放送 (1ページ)

沖縄がアメリカの統治下にあった時代、米軍基地の中で10年にわたってステージに立ち続けて、アメリカ軍人に向けて歌声を届けてきた、ジャズシンガー齋藤悌子さん。一方でそ...

RBC 琉球放送

 

沖縄がアメリカの統治下にあった時代、米軍基地の中で10年にわたってステージに立ち続けて、アメリカ軍人に向けて歌声を届けてきた、ジャズシンガー齋藤悌子さん。
一方でその兄、牧師の平良修さんは、本土復帰前の沖縄で「沖縄の帝王」と呼ばれたアメリカの高等弁務官の就任式で、挑戦状を叩きつけるような行動に出て世間を騒然とさせた。

輝いて見えたアメリカの文化や生活 歌に夢中だった

戦後、平良家は、父の故郷・那覇へ引っ越した。
高校に進学した悌子さん。歌の才能を教師に見いだされ、米軍基地で演奏するバンドのオーディションを受けてはと勧められた。

1953年、悌子さんはオーディションに合格。高校卒業と同時に、ジャズシンガーの道を歩むことになった。所属したのは、のちの夫となるギタリスト齋藤勝さん率いるバンドである。

「米軍に媚びている感じがして歓迎できない」

兄・修さんは、軍人相手に歌う妹を、冷ややかな目で見ていたという。

平良修さん
「米軍に媚びているような感じがして、気持ちの上では歓迎できない。私の生活の領域と彼女の生活の領域が、同じ沖縄で同じ平良を名乗っているが、どこか違うなという違和感はありました」

基地の外で、牧師としての道を歩んでいた修さん。戦後、修さんはどうしても割り切れないことがあった。軍国主義の化身に見えた教師たちが、平和主義者に変心していたのである。

国、教師と、安心して信じられるものを失い悶々とする中で、ハンセン病患者への差別と闘った牧師と出会い、キリスト教にひかれるようになる。

米軍チャペルの奨学金で、パスポートをもって東京神学大学校に留学。1959年、コザ市(現沖縄市)の沖縄キリスト教団上地教会牧師に就任した。

米軍チャペルとも交流のあった修さんが、明確に基地反対の姿勢を示すようになったのは、1965年のアメリカ留学がきっかけ。当時のアメリカで、黒人は激しい差別に晒されていた。

テネシー州の教育大学で学んでいた修さんは、友人に誘われ、当時、キング牧師らを中心に黒人教会で開かれていた公民権運動の集会に出席。そこで、集会の参加者が、白人による人種差別に怒りを爆発させ、黒人霊歌(ゴスペル)を激しく絶唱している姿に衝撃を受けた。

修さんは妻の悦美さんに手紙を送り、動揺する胸のうちを明かした。

(修さんから妻への手紙)
「沖縄でもこういう叫びがあるはずなのに、僕は聞いていなかったというショックで、後の礼拝がどうだったか、もう分からなかった」

基本的人権を求める黒人たちの叫びや歌声に、アメリカ占領下の沖縄の人々の苦しみが重なった。それ以来、修さんは、牧師として沖縄で泣いている人と一緒に生きることを誓った。

そして1966年、修さんに運命の時が訪れる

ともに沖縄戦を生き延びた兄妹、平良修さんと齋藤悌子さん。米軍人に向けてジャズ歌ってきた妹に対し、兄は本土復帰前の沖縄で「沖縄の帝王」と呼ばれたアメリカの高等弁務官の就任式で「これが最後の高等弁務官になりますように」と述べ、世間を騒然とさせた。

米軍基地をめぐり、数十年にわたり顔も合わせないほどすれ違ったきょうだい。その2人をつないだのは、90歳になった兄が初めて訪れたライブで妹が歌った『ある歌』だった。

(下のサイトの動画で、この時の経過がご覧になれます)

復帰50の物語 第49話 兄妹がたどった2つのオキナワ

復帰50の物語 第49話 兄妹がたどった2つのオキナワ

今年1月から、本土復帰について様々な角度からみつめてきたシリーズ「復帰50の物語」。ニュースでの放送は、きょうの第49話で最後となります。今回は、アメリカ統治下...

QAB NEWS Headline

 

 

「これが最後の高等弁務官になりますように」就任式で驚きの祈り

修さんのもとに、アメリカから任命された第5代琉球列島高等弁務官の就任式で、牧師として祝福の祈祷をするよう依頼がきた。高等弁務官は、米軍統治下だった沖縄の全てを牛耳る最高権力者だ。

就任式当日。修さんは母に電話し「何があっても心配しないで」とだけ告げた。新しい高等弁務官を前にして「これが最後の高等弁務官になりますように」と述べ、一日も早くアメリカの支配が終わるようにと、神に祈りを捧げた。

沖縄県内外のマスコミは、就任式での発言を大々的に報道した。修さんは、米軍に身柄を拘束されることも覚悟していたが、予想に反して、何のお咎めもなかった。修さんは「私への弾圧の結果、沖縄民衆がさらに反米的になることを恐れて黙殺した」と解釈する。

「大変なことになった」

悌子さんが兄・修さんの発言を知ったとき、そう思った。しかし、すでに沖縄を離れていたこともあって、どこか遠い話であった。

夫との早すぎる別れ 失意から救ってくれたのはやはり歌だった

25歳でバンドマスターの齋藤勝さんと結婚した悌子さんは、30歳を前に沖縄を離れ、鹿児島まで船で渡りオープンカーで1か月かけて夫の故郷・千葉へ。そのころには生活の拠点ができていた。2人の子どもに恵まれ、ライブ活動をつづけながら忙しい毎日を送っていた。

悌子さんの幸せな生活が大きく変わったのは50代のとき。夫の好きな石垣島に移住してわずか2年…勝さんが病気のため亡くなったのだ。

齋藤悌子さん
「本当に優しい主人でしたからね。あっという間に逝っちゃったでしょ。それで私はもうどうしていいかわかんなくなって、しばらく音楽が聞けなかったんですね。音楽が流れるとすぐ涙が出ちゃうから、思い出して」

歌を封印する日々は10年以上続いた。しかし、そんな悌子さんを救ってくれたのはやはり歌だった。ある日、喫茶店から流れてきたジャズを聴いて、もう一度歌いたいという気持ちが湧いてきたのだ。

2022年夏、86歳にして初のアルバム「A Life with Jazz」をリリースする。

兄妹のすれ違いが続く中で、悌子さんのCDデビューの話題は、報道によって修さんのもとにも届く。

この頃までの修さんは、牧師として基地の反対運動に徹し、多忙な生活を送っていた。悌子さんと会うことはほとんどなく、悌子さんの夫・勝さんの葬儀にも参列しなかった。

修さんは、妹が再び歌いだしたことを知って、ジャズがどれほど妹にとって大切なものだったかを理解した。

長いすれ違いを乗り越えたもの

2022年11月、CD発売を記念してライブが開かれた。会場は満員だった。悌子さんは20代の頃のステージ衣装に身を包み、「サマータイム」や「テネシーワルツ」など、基地の中でもよく歌った曲を、丁寧に味わうように歌っていく。

最前列に座る修さんは、悌子さんとは目も合わせず、うつむいて聴いていた。

ライブの中盤、修さんの心を動かした歌があった。それは「ダニー・ボーイ」
アイルランド民謡の「ロンドンデリーの歌」の旋律に歌詞をつけたこの曲は、大切な人との別れを想起させる。

♪ ダニー・ボーイ 
 いとしき我が子よ いずこに今日は眠る
 戦に疲れた体を休めるすべはあるか 
 おまえに心を痛めて 眠れぬ夜を過ごす
 老いたる母のこの胸に 
 帰れよ ダニー・ボーイ 帰れよ

悌子さんは会場で、この曲にまつわる米兵との思い出を語った。

齋藤悌子さん
若い軍人さんと素敵な女性が踊っていらして、よく見ると軍人さんが泣いているの。どうしたんだろうと思って、あとでスタッフに聞いたら、あすベトナムに行くんだと。ショックでした。あの人は生きて帰ったかわからない

1960年から75年まで、およそ14年半にわたって続いたベトナム戦争。沖縄は最大の後方基地としてアメリカ軍の支えとなっていた。

齋藤悌子さん
「あの頃は、ダニー・ボーイをきれいないい曲だなって歌っていた。でも、内容を聞いたり、歳を重ねるごとに、胸を打たれちゃう。ましてや今でも戦争している所があるじゃないですか。戦争は絶対いけないと思うの」

死を覚悟した兵士の涙や戦争の悲しさを自分なりの言葉にまとめ、歌で伝えようとしている悌子さんの姿を見て、修さんは感激した。そして妹の歌が兵士たちの心を癒していたのだという思いに至る。

平良修さん
「兵士たちは気持ちをほぐされて、休息を与えられて、優しい気持ちを養われて、その場にいたと思う」

ライブ会場が大きな歓声で包まれる中、修さんは無意識のうちに、妹を抱きしめていた。

平和への思い胸に 兄妹で肩を寄せ合い歌う讃美歌

悌子さんの暮らす石垣島は、自衛隊配備で揺れている。

石垣の港の近くにある自宅からは、自衛隊の車両が大量に運び込まれる様子や、迎撃ミサイルPACー3が配備されている様子がよく見える。

物々しい雰囲気に「再び戦争を起こしてはならない」という気持ちが、悌子さんはさらに強くなる。

修さんが悌子さんの歌を聴いた日から半年。今度は、悌子さんが修さんの活動の場を訪ねた。修さんは週1回、普天間基地のゲート前で讃美歌で平和を訴える抗議行動を、2012年から続けている。

米軍にむけて、悌子さんはダニー・ボーイを歌う。騒音に抗うように、声に力が入った。そして兄と肩を寄せ合い讃美歌を合唱。悌子さんは「兄と一緒に夢中になって歌ったのは初めて。今日は最高の日」と話す。

兄妹が、やっと同じ歌を歌えた。修さんはその重みを強く感じていた。

基地をめぐり立場が分かれた兄妹。ふたりは今、平和を願ってともに歌い、失われた時間を取り戻している。

アーカイブ 「イエスと歩む沖縄」 - こころの時代〜宗教・人生〜

アーカイブ 「イエスと歩む沖縄」 - こころの時代〜宗教・人生〜

沖縄返還から50年となる今年5月、過去に沖縄に取材した2本を「アーカイブ」のシリーズとして放送。沖縄からの問いかけを再考する。牧師・平良修さんは人間の尊厳を大...

アーカイブ 「イエスと歩む沖縄」

 

 

 

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