絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

Tさんの80号 6

2011-09-21 | 通信指導
Tさんが、描き進めてくれました。



かなり進みましたね。
迫力が出て来ました。

今回は、少し緑を使い過ぎて、染まっている感じがします。
それを少し、気をつけてリアルさをもっと追究してくださいと話しました。

画面の左側は、リアルで立体感や隙間の空間がとてもしっかり感じます。
それに対して、右側がやや平面的で白けています。

光と影の捉え方の違いです。
また、色の問題もありますが、緑だけでなく、暗い青、暗い茶色なども絡めて、
本当の色に近づけることを勧めます。

この絵は、背景を真っ黒に近い状態にしたので、自然主義の絵から外れています。
だから、それに対して、リアルさをとことん追求すると、スーパーリアリズムの表現になって、
説得力が増します。それで勝負する絵だと思います。

私はそのように考えて、指導しました。
本人がそれを分かっているかどうか、また、そのつもりで描いているかどうかわかりませんが、
これを一度経験してもらって、その次の作品の展開につなげていきたいのです。

簡単に妥協したり、アバウトで済ませないで、一度、強いリアリズムも経験してほしいのです。
その後で、ここまでは描けるけど描かないということが起こっても良いと思います。
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退職する前後を振り返って

2011-09-21 | いろいろ
今日は、台風の雨が降っている。
小さいけれど強い台風が、紀伊半島の南にあって、まっすぐ関東に向かっているとニュースは伝えている。
私は、午前中受験生の指導をして、その後、上里のカインズホームの前にあるビッグボーイに来た。雨なので外出は避けようかとも思ったが、一日中家に居ても息が詰まるので、やはり出てきた。ここは、車いす用のトイレがある。このようなファミレス風のお店でも、なかなか車いす用のトイレは、少ない。スロープがあって入りやすくても、トイレまでは完璧でないところがほとんどだ。

私は、車に手で運転のできる装置を取り付けて、一人でどこへでも出かける。しかし、ここ1か月前辺りから、車いすを自分で車に乗せるのが大変になってきた。段々と、今までできていたことができなくなる不自由を感じている。スポーツ選手が引退を決意するのは、こういうことの積み重ねだろう。今までできていたことができなくなるということは、とても悔しいことである。

私が教員をやめたのも、これに近い。
今までは当たり前のようにやってきたことが、できなくなったからである。
形だけ整えて、ごまかせば、できなくはない。できる範囲で精一杯やればいいのだと思えば、やれるだろう。乙武さんでさえ、やろうとするではないか?
と思ってもみる。しかし、できないのだ。

自分には、これまではこうしてきたということができないもどかしさが耐えられない。
それを貫いたなら、倒れることは目に見えている。これまでも、そういう無理は承知でむちゃくちゃやってきた。そして、何度も入院して迷惑をかけた。

これ以上迷惑をかけるまえに辞めて、それよりも、今の状態で自分を精一杯生かせる道を考えたい。自分を生かせるとは、世の中のために何ができるかということである。

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私が辞めるには、大変な問題があった。
それは、美術部の生徒たちの指導をどうするかということである。
私は、自分が病気にでもならない限り、辞めることは許されないと考えていた。
私の指導を求めて入学してきた毎年20名からの部員がいるのである。
その生徒たちは、私がいなければ他の高校に進学した筈である。

私も3年間面倒みますと言い、私に預けてくださいと言って預かったのである。
だから、途中で放り出すわけにはいかない。

理想的には、私の後継者を作って、その新人の先生と共に何年かやり、その後で、私が非常勤講師になり、段々と退いていくのが良いのだ。もう新人の先生に任せられるという状態を作って、退くのである。それなら保護者も納得がいく。

しかし、それは叶わなかった。私学の宿命か、経営的にそんな採用ができないということである。

幸い、私の教え子の竹内君が先生になってくれたので助かった。
この美術部は、経験者でなければ引き継げないからである。
なぜなら、普通の美術の先生なら、絶対にできないと言うだろう。
土日もボランティアで、教えること自体苦痛だろう。

運動部の経験者で、運動部と同じようにやりたいと思う先生ならやれるのだが。
美術の先生でそのような考えの人はほとんどいないだろう。

だから、竹内先生が来てくれなければ、生徒も保護者も困っただろうと思う。

私も退職したら、ほとんど関われないはずのところを竹内君だったので、美術部に顔を出すことが気兼ねなくでき、ある意味で理想のバトンタッチができたのである。

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今は、竹内君の後、芸術コース1期生の棚沢君が引き継いでくれている。棚沢君も竹内君同様にこの美術部の経験者だから、私がやってきたことをそのままできるだけ忠実にやってくれている。
本来は、苦痛な筈だ。

私でさえ、教員になるときの思いは、夏、冬、春と長期休業があって、他の一般企業と比べれば休みが多くていいなどと考えていたのである。それを日曜祭日休みなしということを知った上で、就職しようとはだれも思わない。尤もこれは労働条件ではないが。

私が勝手に作った美術部の条件である。
だから、私が自分に命じるのは何でもない。しかし、人に強制はできない。
新しい先生が自分の方針で変えるならそれに従うしかないのである。
しかし、生徒たちは私と同じように新しい先生もやってくれると期待する。
それがやってもらえるから入学してきたのだという子もいるだろう。

これが、私が退職する前後に、あったことである。

















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