テーマのない絵はないと言っていいでしょうか?
どんな絵にも、絵を描きたいと思った動機があるわけだから、それが絵のテーマであるはずです。そう考えたら、テーマのない絵はないのかなと思ったりします。
しかし、私が人に対して、何かテーマのある物を描いた方がいいですよと言うのですから、テーマ性を感じる物と、あまり感じない絵があるんだなと思いつきます。
要するに、絵とは広々とした気持ちのいい風景を描くものだと思って描いているような平凡な絵を見るとそう思うのだなと思います。また誰もが描くようなものをほとんど何も考えずに先生が与えてくれたモチーフで、ただ描いているだけに見える絵の場合、テーマが見えてこないと感じるようです。
だから、言いかえると、他の人が描かないような自分独自のテーマを見つけよということです。そうしたものが感じられるとき、テーマ性があると言っているようです。
自分がなぜ、そんなことを言うのかと分析してみると、そういう意味なのです。
もっと言えば、「平凡でなく、自分独自の描く物を見つけてください」と言っているのです。
ーーーーー
この文章を描きだしたきっかけは、テーマと作品でした。
やっと、前置きを終えて、今一番考えてみたいことに入れます。
テーマが設定されて、それが見る人に伝わる。これが最も良いことです。
そして、その伝える手段が絵画である。と考えてみます。
では、絵は伝達手段なのか?
ある種の絵画はおそらくそうでした。例えば宗教画です。
これは、文字が読めない人に伝えるには、最高の手段でした。
昔は文盲の人がたくさんいました。だから、聖書を見せても読めないのです。
その点、絵画は世界共通語です。だから、説明をするのにとても都合の良い物でした。
この意味では、絵画は手段です。絵の良し悪しは関係ありません。
もちろん、きれいで上手な絵の方が、印象に残ったり、伝わりやすいでしょう。
だから、絵の印象は大切ですが、最も重要なことではなかったのです。
しかし、現代の絵画はそうではありません。それは、写真の発明から違ってきました。
絵の代わりが簡単にできる写真の登場によって、伝達手段としての絵画の役割は減りました。
しかし、テーマが絵そのものではなく、背景に隠れた政治的意図であったり、抽象的なテーマであったりする場合には、絵が手段になっている場合もあります。
しかし、絵が良いか悪いかという価値判断をする場合には、そのテーマがよく伝わるかどうかは、別問題になることもあります。
なぜなら、絵の良い悪いは、抽象的に見るからです。
色が良いかどうかは、抽象的な問題です。構図が良いかどうかも造形要素に照らして、バランスがいいとか、調和が取れているとか、リズムがいいとか、アクセントが聞いているなどという抽象的な問題なのです。
色と形の問題が絵の質の高さを決めます。
だから、この絵は、背景に戦争があって、ピカソがナチスドイツに対して怒って描いたのだというゲルニカは、そう説明されなければ、全く分からない訳です。
何も言わなくても、あの絵を見ただけで分かる人がいたら、天才でしょう。
確かに、なにか異様ではあります。しかし、少しひょうきんな感じがしたり、漫画的であったりするので、それが、そのような深い意味を持った絵であることに私は説明されるまで、気づきませんでした。
むしろ、テーマを伝えると言うことからしたら、言葉の方がよほど伝わりやすい場合があります。ただ、言葉は消えてしまうし、文字にされても外国語では読めないという人が多いでしょう。しかし、絵にした場合には、だれでも見えます。そして残ります。しかもそのことをあのように8メートルもの大きさで描いたということもインパクトがあります。
後から、説明をきいて改めて見直すと、それの持つ意味が言葉よりも何倍も強い印象として残ります。そういう意味では、唯見ただけではわからないものでも、その後の影響力はとても強いということが言えますね。
だから文字ではなく、敢えて絵に描くという意味が生まれます。
伝達手段としての絵画と言っても、馬鹿に出来ない役割です。
ーーーーー
では、絵はテーマを伝えるための伝達手段なのか?ともう一度考えてみます。
もちろん、そういう側面を持つことは否定できませんが、テーマを抜きにしても絵の価値というものがあるということを言いたいと思います。
絵の展覧会で審査をする場合を考えてみると、大抵の場合、その良し悪しの判断は、抽象的です。色や形、造形要素で見ています。テーマが強く感じられる絵は、テーマも作品の評価の要素になりますが、絵の質の高さと言った場合には、ほとんどが抽象的な見方です。
絵の世界がどのように構築されているかという見方をします。
それには、モチーフの統一、リアルさの統一、光の統一、空間の統一なども質の高さにつながります。そして、活き活きした色彩、リズム感、補色の使い方、黄金分割なども要素として入ってきます。これらは、全てテーマが何であるかということとは別の話です。
結論は、
テーマと作品は、価値として別個に考えることができる。一致している物と一致しない物がある。絵の良し悪しは、見ればわかるけれど、テーマは説明されないとわからないものがある。説明をしないで、見る人に考えさせるものもある。気がついた時ハッとすることもある。
別個なので、テーマがなくてもいいかと問われると、テーマ性の弱い絵は、インパクトが弱くて、つまらない気がする。
だから、私が勧める絵は、絵の質が高くて、しかもテーマ性があるもの、見る人がそのテーマに気づいた時、作品そのものの質の高さがさらに高く感じられるような状態になっているものならいいと思う。そういうものを私はみなさんにお勧めします。
どんな絵にも、絵を描きたいと思った動機があるわけだから、それが絵のテーマであるはずです。そう考えたら、テーマのない絵はないのかなと思ったりします。
しかし、私が人に対して、何かテーマのある物を描いた方がいいですよと言うのですから、テーマ性を感じる物と、あまり感じない絵があるんだなと思いつきます。
要するに、絵とは広々とした気持ちのいい風景を描くものだと思って描いているような平凡な絵を見るとそう思うのだなと思います。また誰もが描くようなものをほとんど何も考えずに先生が与えてくれたモチーフで、ただ描いているだけに見える絵の場合、テーマが見えてこないと感じるようです。
だから、言いかえると、他の人が描かないような自分独自のテーマを見つけよということです。そうしたものが感じられるとき、テーマ性があると言っているようです。
自分がなぜ、そんなことを言うのかと分析してみると、そういう意味なのです。
もっと言えば、「平凡でなく、自分独自の描く物を見つけてください」と言っているのです。
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この文章を描きだしたきっかけは、テーマと作品でした。
やっと、前置きを終えて、今一番考えてみたいことに入れます。
テーマが設定されて、それが見る人に伝わる。これが最も良いことです。
そして、その伝える手段が絵画である。と考えてみます。
では、絵は伝達手段なのか?
ある種の絵画はおそらくそうでした。例えば宗教画です。
これは、文字が読めない人に伝えるには、最高の手段でした。
昔は文盲の人がたくさんいました。だから、聖書を見せても読めないのです。
その点、絵画は世界共通語です。だから、説明をするのにとても都合の良い物でした。
この意味では、絵画は手段です。絵の良し悪しは関係ありません。
もちろん、きれいで上手な絵の方が、印象に残ったり、伝わりやすいでしょう。
だから、絵の印象は大切ですが、最も重要なことではなかったのです。
しかし、現代の絵画はそうではありません。それは、写真の発明から違ってきました。
絵の代わりが簡単にできる写真の登場によって、伝達手段としての絵画の役割は減りました。
しかし、テーマが絵そのものではなく、背景に隠れた政治的意図であったり、抽象的なテーマであったりする場合には、絵が手段になっている場合もあります。
しかし、絵が良いか悪いかという価値判断をする場合には、そのテーマがよく伝わるかどうかは、別問題になることもあります。
なぜなら、絵の良い悪いは、抽象的に見るからです。
色が良いかどうかは、抽象的な問題です。構図が良いかどうかも造形要素に照らして、バランスがいいとか、調和が取れているとか、リズムがいいとか、アクセントが聞いているなどという抽象的な問題なのです。
色と形の問題が絵の質の高さを決めます。
だから、この絵は、背景に戦争があって、ピカソがナチスドイツに対して怒って描いたのだというゲルニカは、そう説明されなければ、全く分からない訳です。
何も言わなくても、あの絵を見ただけで分かる人がいたら、天才でしょう。
確かに、なにか異様ではあります。しかし、少しひょうきんな感じがしたり、漫画的であったりするので、それが、そのような深い意味を持った絵であることに私は説明されるまで、気づきませんでした。
むしろ、テーマを伝えると言うことからしたら、言葉の方がよほど伝わりやすい場合があります。ただ、言葉は消えてしまうし、文字にされても外国語では読めないという人が多いでしょう。しかし、絵にした場合には、だれでも見えます。そして残ります。しかもそのことをあのように8メートルもの大きさで描いたということもインパクトがあります。
後から、説明をきいて改めて見直すと、それの持つ意味が言葉よりも何倍も強い印象として残ります。そういう意味では、唯見ただけではわからないものでも、その後の影響力はとても強いということが言えますね。
だから文字ではなく、敢えて絵に描くという意味が生まれます。
伝達手段としての絵画と言っても、馬鹿に出来ない役割です。
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では、絵はテーマを伝えるための伝達手段なのか?ともう一度考えてみます。
もちろん、そういう側面を持つことは否定できませんが、テーマを抜きにしても絵の価値というものがあるということを言いたいと思います。
絵の展覧会で審査をする場合を考えてみると、大抵の場合、その良し悪しの判断は、抽象的です。色や形、造形要素で見ています。テーマが強く感じられる絵は、テーマも作品の評価の要素になりますが、絵の質の高さと言った場合には、ほとんどが抽象的な見方です。
絵の世界がどのように構築されているかという見方をします。
それには、モチーフの統一、リアルさの統一、光の統一、空間の統一なども質の高さにつながります。そして、活き活きした色彩、リズム感、補色の使い方、黄金分割なども要素として入ってきます。これらは、全てテーマが何であるかということとは別の話です。
結論は、
テーマと作品は、価値として別個に考えることができる。一致している物と一致しない物がある。絵の良し悪しは、見ればわかるけれど、テーマは説明されないとわからないものがある。説明をしないで、見る人に考えさせるものもある。気がついた時ハッとすることもある。
別個なので、テーマがなくてもいいかと問われると、テーマ性の弱い絵は、インパクトが弱くて、つまらない気がする。
だから、私が勧める絵は、絵の質が高くて、しかもテーマ性があるもの、見る人がそのテーマに気づいた時、作品そのものの質の高さがさらに高く感じられるような状態になっているものならいいと思う。そういうものを私はみなさんにお勧めします。