毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 打ち鳴らせ希望の暁鐘

2021年01月19日 | 妙法

〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 打ち鳴らせ希望の暁鐘  2021年1月19日

澄み切った空に白雪の富士が悠然と。君よ負けるな、不屈の王者たれ、と語るが如く(2009年1月、池田先生撮影。東京・八王子市内で)
澄み切った空に白雪の富士が悠然と。君よ負けるな、不屈の王者たれ、と語るが如く(2009年1月、池田先生撮影。東京・八王子市内で)
 
「冬は必ず春」とくつの前進

 年頭より日本海側を中心に大雪が続いている。雪深き地域の皆様に心からお見舞いを申し上げるとともに、尊き友の無事安穏を祈り、真剣に題目を送る日々である。
 日蓮大聖人は後半生、佐渡(現・新潟県)、さらに甲斐(現・山梨県)の山で、大雪の冬を堪え忍ばれ、広宣流布と令法久住の法戦を貫かれた。
 ある冬は、近隣の年配者たちに尋ねても口々に「いにしへ・これほどさむき事候はず」(御書一〇九八ページ)と驚くほどの酷寒で、「一丈二丈五尺等」(同ページ)という何メートルにも及ぶ積雪であったと記されている。
 また、深い雪を物ともせず御供養を届けた門下を、「雪の中ふみ分けて御訪い候事 御志定めて法華経十羅刹も知し食し候らん」(同一三八八ページ)とも讃えておられる。
 「無冠の友」をはじめ、雪にも北風にも負けず、誠実に聡明に広布と社会に尽くす同志への御照覧と、拝されてならない。

 

ていがいの春へ

 御本仏・大聖人は、人生の苦難と悲嘆にも退かない女性門下に、「法華経を信ずる人は冬のごとし」(同一二五三ページ)と仰せになられた。
 法華経の信心は、いわば“冬の信心”である。
 「冬は必ず春となる」(同ページ)という生命の法則を確信し、忍耐強く試練の冬に挑み抜き、断じて「福徳と歓喜の春」を勝ち開く信仰なのだ。
 一九五一年(昭和二十六年)一月、恩師・戸田城聖先生の事業が絶体絶命の苦境にあった厳冬、日記に私は書き留めた。
 「冬来りなば、春遠からじ。極寒の冬なれど、春近しを思えば、胸はときめく。いかなる苦難に遇っても、希望を決して捨ててはならぬ」
 ただ師匠をお守りするため、阿修羅の如く戦い抜く日々であった。
 苦境を打開して、この年の五月三日、遂に、戸田先生の第二代会長就任という希望輝く「師弟凱歌の春」を迎えたのである。
 その翌月の十日、先生が晴れ晴れと「白ゆりの香りも高き集い」と詠まれ、結成されたのが、わが婦人部である。
 「ゆり」の花は、古代ローマでも、「希望」の象徴とされていたという。
 今、不安の闇に覆われた世界にあって、何よりも明るく温かい「希望の陽光」を放っているのは、本年、結成七十周年を迎える「太陽の婦人部」であると、私たちは声を大にして宣揚したい。
 全国津々浦々で、自他共に幸の価値創造の喜びを広げている「ヤング白ゆり世代」の友もまた、新時代の希望の花そのものではないか。

 

絶対「大丈夫だいじょうぶ!」

 御聖訓に「月月・日日につよ(強)り給へ」(御書一一九〇ページ)と仰せなるがゆえに、若き日の私は、とりわけ毎年一月より果敢なスタートダッシュを心してきた。
 雪の北海道・夕張を初訪問したのも、一九五七年(昭和三十二年)の一月十三日であった。健気な同志たちの信教の自由が侵害された“夕張炭労事件”に立ち向かい、勝利した年である。幾重にも共戦の歴史が蘇る。
 今年の冬、夕張方面は例年に倍する豪雪と伺った。ご苦労が偲ばれる。
 これまでも夕張はじめ北海道の同志は、炭鉱の事故や自然災害、また経済苦、自身や家族の病気などを、どれほど勇敢に乗り越えてきたことか。
 あの炭労事件の歴史を学び、人権蹂躙の悔しさとともに正義の勝ち鬨を命に刻んだ広布の母は、何があっても「大丈夫!」と、微笑みを湛えた一言で友を励ましてきた。
 自らも癌と闘い続けたこの母が語る「大丈夫!」とは、何とかなるという願望でもなければ、なぐさめでもない。
 「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同一四四八ページ)との御聖訓通り、誓願の題目を唱え抜けば、解決できないことは何もないとの揺るがぬ確信なのだ。
 夕張の偉大な母たちには、使命の大地に根を張り、地下千メートルの坑道の底までも妙法を染み込ませる一念で、広宣流布と立正安国に命を尽くしてきた誇りがある。
 ゆえに、愛する郷土から、福運と人材の宝が無量に湧き出てこないわけがない。絶対に大丈夫!――そう言い切れる地涌のスクラムは、今、試練の時代に挑む地域社会へ、「勇気」即「希望」を限りなく広げているのだ。

 

ともの幸福勝利へ 「わが発迹ほっしゃく顕本けんぽん」を
創価の春へ、不二の旅を共に――全同志の栄光を祈る日々(2007年3月、八王子市の東京牧口記念会館で)
創価の春へ、不二の旅を共に――全同志の栄光を祈る日々(2007年3月、八王子市の東京牧口記念会館で)
 
平和ちか連帯れんたい

 また、同年(一九五七年)一月には、「永遠の平和の都」たる広島を、初めて訪れた。
 関西青年部への激励と山口開拓指導を戦い切って広島入りし、当時、岡山支部に所属していた広島地区の決起大会に出席したのだ。その日は、一月二十六日であった。
 帰京後、山口闘争、また広島、岡山はじめ意気軒昂な中国の同志の様子をご報告すると、戸田先生は会心の笑みを浮かべて喜んでくださった。
 先生が歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表されたのは、それから八カ月後のことだ。
 さらに、世界の平和を願い、「創価学会インタナショナル(SGI)」が発足したのは、奇しくも広島の同志との新出発から満十八年後の、一月二十六日であった。
 本年、このSGIの記念日を前にして、来る二十二日には、「核兵器禁止条約」が、いよいよ発効の時を迎える。
 “核兵器による悲劇を二度と繰り返させてはならない”との広島、長崎の被爆者の方々の声が、大いなる推進力となった画期的な条約である。
 平和原点の天地・広島、長崎をはじめ、不戦を願う市民社会の連帯を一段と強め、「核兵器のない世界」へ人類の希望の一歩前進を誓い合いたい。

 
「最も偉大なちから

「この世で最も偉大な力」とは何か。
 奇跡と謳われる戦後の広島の復興に心を砕き、尽力された“アメリカの良心”カズンズ博士は、私との対談で語られた。
 「生命の再生能力です。人間は肉体、精神両面において、苦痛や試練を克服し、病を治癒する本然の能力を持っている」と。
 しかし博士は、「それ以上に素晴らしいもの」があると言われた。
 すなわち、「『希望』の力」である。
 「希望こそ私の秘密兵器」――これが、博士の強さの源泉だったのだ。
 御聖訓には「妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり」(御書七二〇ページ)と仰せである。
 社会が希望を失い、苦悩の闇の中に沈んでいる時こそ、仏法の智慧は輝き光る。あきらめという無明の大病を打ち払い、万人に未来への光明を赫々と示していけるのだ。
 そして、現実の病気と闘う友に、「病ある人仏になるべき」「病によりて道心は をこり候なり」(同一四八〇ページ)と、永遠の次元から究極の希望を贈り、蘇生させていくのも、日蓮仏法なのである。

 
いざ我らの手で

 私がアジア歴訪に出発したのは、六十年前の一九六一年(昭和三十六年)一月であった。
 希望の大光を放つ「太陽の仏法」を、アジア、そして全世界の苦悩の民衆に伝えたい――そう願ってやまなかった恩師の「仏法西還」「東洋広布」の夢の実現を誓い、不二の弟子として、勇んで先駆けたのである。
 この旅を前に、私は福岡県の小倉(現・北九州市)で行われた九州の三総支部結成大会に出席した(一月八日)。開会前から会場に響き渡っていたのは、九州で生まれた「東洋広布の歌」である。
 我らの手で新たな広布の道を開かん!――あの日以来、九州の友がどれほど「先駆」の歴史を開いてくれたことか。
 本年「希望・勝利の年」も、“創立百周年の主役は青年!”と、いずこにも先駆けて対話の拡大に走り抜いてくれている。
 その勇気と団結の行動こそ、まさしく「世紀乱舞の人」ともいうべき地涌の躍動といってよい。

 

青年の心で 世紀の舞台へせんせよ!
池田先生の書「世紀乱舞人」。1982年夏にしたためられ、翌春、九州・鹿児島の同志に贈られた。民衆勝利へ乱舞する地涌の友の姿がほうふつと
池田先生の書「世紀乱舞人」。1982年夏にしたためられ、翌春、九州・鹿児島の同志に贈られた。民衆勝利へ乱舞する地涌の友の姿がほうふつと
 
境涯きょうがい開く時は今

 来月十六日は、大聖人が安房国(現・千葉県)に御聖誕されて八百年(数え年)の大佳節である。
 相模国(現・神奈川県)で竜の口の法難を勝ち越え、発迹顕本されて満七百五十年でもある。
 法難当時(文永八年<一二七一年>九月十二日)、大聖人は御年五十歳であられた。今の壮年部の世代と重なる。
 大聖人は頸の座に臨まれて、「今が最期です」と嘆く弟子・四条金吾に対し、「これほどの悦びをば・わらへかし」(同九一四ページ)と雄々しく悠然と励まされた。
 最も大変な時に、最大最上の境涯を開く。これが仏法の真髄である。
 信心に行き詰まりは断じてない。困難を前に、あきらめて、うなだれる必要などない。堂々と笑い飛ばしていけ。創価の負けじ魂を、烈々と燃え上がらせていくのだ。大信力、大行力を奮い起こして祈り戦うのだ。この人間革命にこそ、「わが発迹顕本」もある。
 人類全体の転換期の中で、創価学会は今、新たな発迹顕本の時を迎えているといってよい。
 それは決して遠くにあるのではない。一人ひとりが「私が創価学会だ」「今に見よ!」と頭を上げて不撓不屈の挑戦を続けゆく中に、その実相があることを忘れまい。

 
従藍じゅうらん而青にしょうを信じ

 戸田先生は、未来を切り開く若き地涌の力を信じておられた。
 ゆえに「創価の青年のたくましさを吹き込んでこそ、世界の青年層を力強く蘇らせることができる」と断言されたのだ。
 「阪神・淡路大震災」から二十六年。
 そして「東日本大震災」から十年――。
 創価の青年たちは、艱難の冬将軍に幾たびも打ち勝ち、いやまして、たくましく鍛錬されてきた。今、コロナ禍にあっても、この不屈の心を全世界の「従藍而青」の若人が社会に広げてくれている。
 未来部の若木たちも、何と力強く、また頼もしく伸びていることか。
 地球社会の人道の大城の建設へ、希望の暁鐘を打ち鳴らす「青年部幹部会」の開催も目前だ。
 わが国土、わが街の青年の成長と勝利を皆で祈り、共々に青年の心で邁進しようではないか!

(随時、掲載いたします)

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小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編⑥

2021年01月13日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編⑥  2021年1月13日

  • 連載〈世界広布の大道
絵・間瀬健治
 

絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は「番外編⑥」。小説につづられた珠玉の名言をテーマごとに紹介するとともに、山本伸一の各方面への励ましを掲載する。挿絵は内田健一郎。

 
心のたから

 「豊かな『心の財』を得た幸福境涯というのは、内面的なものですが、それは、表情にも、言動にも、人格にも表れます。
  
 その言動には、感謝と歓喜と確信があふれるものです。そして、思いやりに富み、自分の我を貫くのではなく、皆のために尽くそうという慈愛と気遣いがあります。
  
 さらに、人びとの心を包み込むような、柔和で、朗らかな笑顔があるものです。
  
 また、幾つになっても、向上、前進の息吹があり、生命の躍動感があります。(中略)」
 真実の幸福である絶対的幸福境涯を確立できるかどうかは、何によって決まるか。
  
 ――経済力や社会的な地位によるのではない。学会における組織の役職のいかんでもない。ひとえに、地道な、信心の積み重ねによって、生命を耕し、人間革命を成し遂げてきたかどうかにかかっている。
  
 (第25巻「共戦」の章、155~156ページ)

 
皆に光を

 皆が広布の主役である。ゆえに、一人ひとりにスポットライトを当てるのだ。友の心を鼓舞する、励ましの対話を重ねていくのだ。(中略)
  
 「日蓮大聖人は、四条金吾南条時光をはじめ、多くの弟子たちに御手紙を与えられた。その数は、御書に収録されているものだけでも、実に膨大であります。
  
 それは、何を意味するのか。一言すれば、広宣流布に生きる一人ひとりの弟子に対して、“何があろうが、断じて一生成仏の大道を歩み抜いてほしい。そのために、最大の激励をせねばならない”という、御本仏の大慈大悲の発露といえます。
  
 一人でいたのでは、信心の触発や同志の激励がないため、大成長を遂げることも、試練を乗り越えていくことも極めて難しい。私どもが、個人指導を最重要視して、対話による励ましの運動を続けているゆえんも、そこにあるんです」
  
 (第27巻「正義」の章、209~210ページ)

 

三重の支部婦人部長宅を激励に訪れる伸一(1978年4月)
三重の支部婦人部長宅を激励に訪れる伸一(1978年4月)
 
人間革命

 「現代は、エゴの渦巻く社会です。他を思いやる余裕もなければ、冷酷なほど利己主義が深まっています。家庭には不和、社会には複雑な葛藤、争いが絶え間ない。
  
 その根本的な解決の道は、信心による生命の変革、つまり、人間革命しかありません」
  
 生命の内奥から込み上げてくる人間の感情や欲望は、道徳や規律、また制裁の強化など、制度の改革をもってしても、根本的に抑制することはできない。一切の根源をなす生命そのものの変革、心の変革こそが、個人の幸福を実現していくうえでも、世界の平和を築いていくうえでも、最重要のテーマとなる。(中略)
  
 「わが心を磨き、生命の変革を可能にするのが御本尊の力です。仏法を自分の狭い見識の範囲内で推し量ってはならない。そして、御本尊の無限の力を引き出していく具体的な実践が唱題なんです」
  
 (第29巻「清新」の章、298~299ページ)

 
人材育成

 「忘れないでいただきたいことは、会員の皆さんがいて、その成長のために心を砕き、献身することによって、自己の向上があるということです。つまり、幹部にとって会員の皆さんは、すべて、人間革命、一生成仏へと導く善知識になると確信していただきたい」(中略)
  
 「よく、『何人、優れた人を生むかによって、その指導者の価値が決まる』と言われます。仏は、一切衆生の成仏を使命とされ、喜びとされている。
  
 仏子である私たちも、それぞれの立場で、後輩が自分より立派な指導者に育ち、活躍してくれることを祈り、それを望外の喜びとしていきたい。また、そこに、広宣流布のリーダーの生きがいがあります。どうか、後輩と共に動くなかで、信心の基本を、一つ一つ教え伝えていってください。“共戦”こそが人材の育成になります」
  
 (第26巻「奮迅」の章、369~370ページ)

 

1978年2月、東京・立川文化会館の本部幹部会で指導する伸一
1978年2月、東京・立川文化会館の本部幹部会で指導する伸一
 
仕事

 「腰掛け的な気持ちや、“どうせ自分なんか取るに足らない存在なんだ”という思いがあれば、本当にいい仕事はできません。戸田先生は、よく『ただ月給をもらえばよいというのでは、月給泥棒だ。会社のために、自分はこう貢献したというものがあって、初めて、月給をもらう資格がある』と語っておられた。そして、『“信心は一人前、仕事は三人前”してこそ、本当の学会員だ』と厳しく指導されていた。
  
 大聖人が『御みやづかいを法華経とをぼしめせ』(御書1295ページ)と仰せのように、自分の仕事を信心と思い、仏道修行と思って挑戦していくことです。限界の壁を破り、不可能を可能にするという学会の指導や活動の経験も、仕事に生かされなければ意味がありません」
  
 伸一は、“皆が職場の第一人者に!”との祈りを込め、魂をぶつける思いで語った。仏法は勝負である。ゆえに、社会で勝利の実証を示してこそ、その正義が証明されるのだ。
  
 (第24巻「灯台」の章、295~296ページ)

 

健康

 「健康増進のためには、“健康になろう”“健康であろう”と決め、日々、朗々と唱題し、満々たる生命力を涌現させて、勇んで活動に励むんです。
  
 そして、食事、睡眠、運動などに、留意していくことが、健康のためには必要不可欠です。当然、暴飲暴食や深夜の食事は控えるべきですし、必要な睡眠時間を確保するとともに、熟睡できる工夫も大事です。
  
 また、生活のなかに運動を上手に取り入れて、体を鍛えていくことも必要です」
  
 初代会長・牧口常三郎は、七十歳を過ぎても、国家権力の弾圧で投獄されるまで、元気に、広宣流布のために奔走してきた。彼は、心身の鍛錬を怠らなかったのである。(中略)
  
 「健康は、基本的には、自分で守り、自分で管理するしかありません。最終的には、自己責任です。自分の体のことを、いちばんよくわかるのは、自分であるともいえます」
  
 (第25巻「人材城」の章、324~325ページ)

 

白糸の滝の前に立つ牧口常三郎初代会長
白糸の滝の前に立つ牧口常三郎初代会長
 
山本伸一と各方面の友
 
中国
島根県松江市の記念撮影会で励ましを送る(1967年3月5日)
島根県松江市の記念撮影会で励ましを送る(1967年3月5日)
 

 <1967年(昭和42年)3月4日、山本伸一は、中国文化会館(当時)の落成式に臨んだ>
  
 伸一は、全国に先駆けて、中国地方に文化会館が誕生したことが、何よりも嬉しかった。(中略)
  
 彼は、広布の新しき飛翔のために、中国地方を極めて重要視していた。中国は、西日本の大動脈である。中国が大前進を開始すれば、関西にも、四国にも、そして、九州にも、その波動は伝わっていく。まさに、中国こそ、西日本の前進の要であると、伸一は考えていた。
  
 世界で初めて原爆が投下された広島がある中国は、世界の恒久平和を実現する生命の大哲学の、発信基地であらねばならない。
  
 (第11巻「躍進」の章、346~347ページ)

 
四国
「さんふらわあ7」号の四国の同志に手を振る山本伸一(1980年1月14日)
「さんふらわあ7」号の四国の同志に手を振る山本伸一(1980年1月14日)
 

 <1978年(昭和53年)1月20日、山本伸一は香川県の婦人部総会に出席し、四国への期待を語った>
  
 「四国は、方面としては小さいかもしれないが、広宣流布の前進の模範が示せれば、それは、全学会に波動していきます。前進なきところには、仏法の脈動はない。(中略)皆さん方も、“よし、一遍でも、百遍でも、多く題目を唱えていこう”“毎日、一人の個人指導をやり遂げていこう”など、本年は、それぞれが何か一つ、前進の実りを残していただきたい。
  
 その蓄積は、一年後、さらには、それを五年、十年と続けていった時には、想像もできないほどの、生命の財産となり、人間革命の歴史となります」
  
 (第26巻「勇将」の章、229ページ)

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小説「新・人間革命」学習のために 第24巻

2021年01月09日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第24巻 2021年1月9日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第24巻を掲載する。次回は「婦人部」編を21日付2面に掲載の予定。挿絵は内田健一郎。

 

子どもはだいな使命になう人

 子育ては、確かに労作業ではあるが、人間の生命を育む、最も尊貴な聖業である。そのなかに、最高の喜びがあり、生きがいもある。また、子どもを育てるなかで、親も、学び、磨かれていくのである。
 
 核家族化が進むなかでの子育てには、夫婦の協力が不可欠であることは言うまでもない。特に、共働きの場合は、妻の側にばかり過重な負担がかからないように、役割分担を明確にしていくことも必要であろう。
 
 しかし、シングルマザーであれば、一身に育児を担わなければならないケースが多い。その負担は、並大抵のものではあるまい。
 
 育児という労作業に勝ち抜く、強い心をつくるには、まず、「子どもをいかなる存在ととらえるか」、いわば、「どういう哲学をもつか」が極めて重要になる。
 
 御書には「法華経流布あるべきたね(種)をつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ」(1109ページ)と仰せである。
 
 日蓮仏法では、すべての人間は、「仏」の生命を具え、偉大な使命をもって、この世に出現したととらえる。つまり、子どもは、未来を担い立つ、崇高な人格をもった、使命深き鳳雛と見る。ゆえに、仏法からは、決して、親の所有物などというとらえ方は生まれない。(中略)
 
 わが子を、「仏」の生命を具えた、使命の人と見て、立派な人材に育ってほしいと願うからこそ、ただ、甘やかすのではなく、しっかりとした“しつけ”も、していけるのだ。
 
 (「母の詩」の章、77~78ページ)

 
社会でのとうそうが真のさつどう

 <1977年(昭和52年)1月、山本伸一は、関西で開催された教学部大会に出席。席上、法華経神力品の一節「世間に行じて」について述べた>
 
 「世間とは、社会であり、社会の泥沼のなかで戦うのでなければ、衆生の苦悩の闇を晴らすことは、不可能なのであります。日蓮大聖人が、当時、日本の政治などの中心地であった鎌倉で、弘教活動を展開されたのも、『世間に行じて』との、経文通りの御振る舞いであります。ゆえに、世間へ、社会のなかへ、仏法を展開していかなければ、大聖人の実践、そして、目的観とは、逆になってしまうことを恐れるのであります。
 
 今、私は、恩師・戸田先生が、昭和二十八年(一九五三年)の年頭、わが同志に、『身には功徳の雨を被り、手には折伏の利剣を握って、師子王の勇みをなしていることと固く信ずる』と述べられたことを思い出します。
 
 私どもも、燦々たる元初の功徳の陽光を浴びながら、慈悲の利剣を固く手にし、師子王のごとく、この一年もまた、悠然と、創価桜の道を切り開いてまいりたいと思います」
 
 共感と誓いの大拍手が轟いた。伸一は、社会を離れて仏法はないことを、伝え抜いておきたかったのだ。
 
 荒れ狂う現実社会のなかで、非難、中傷の嵐にさらされ、もがき、格闘しながら、粘り強く対話を重ね、実証を示し、正法を弘めていく。そこに、末法の仏道修行があり、真の菩薩道があるのだ。
 
 原点を見失い、草創の心と実践を忘れた宗教は、形式化、形骸化し、儀式主義に陥り、官僚化、権威化する。そして、民衆を睥睨し、宗教のための宗教となる。それは、宗教の堕落であり、精神の死である。
 
 日蓮仏法を、断じてそうさせてはならない。大聖人の大精神に還れ――仏法厳護のために伸一は、大教学運動の旗を掲げ、決然と、新時代開拓の扉を開こうとしていたのである。
 
 (「厳護」の章、191~192ページ)

 
はいしていさんで行動を

 <1月、伸一は東京の江東・墨田・荒川・中央の四区合同の婦人部大ブロック担当員(現在の地区婦人部長)勤行会で、「愚痴」について語った>
 
 「せっかく頑張っても、愚痴ばかり言っていると、その福運を消してしまうし、功徳もありません。卑近な例で言えば、風邪を治そうと薬を飲みながら、薄着をして、雨に打たれて歩いているようなものです」
 
 もともと、愚痴とは、愚かで、ものの道理がわからないことであり、「無明」を意味する言葉でもある。
 
 「ついつい愚痴を言ってしまう人もいるでしょうが、愚痴の怖さは、言うたびに、胸中に暗雲を広げていくことです。心を照らす太陽が闇に覆われ、希望も、感謝も、歓喜も、次第に薄らいでいってしまう。御聖訓にも、『わざわいは口より出でて身をやぶる』(御書1492ページ)と仰せです。
 
 さらに、愚痴っぽい人というのは、自分では気づかぬうちに、全体の空気を重くし、人のやる気をも奪っていく。
 
 つまり、広宣流布への勢いを削ぎ、戦いの力がみなぎるのを止めてしまっているんです。(中略)だから、皆で、互いに戒め合っていくことが大事なんです。
 
 それに対して、勇んで行動する人は、見るからに、すがすがしいものです。人びとに触発をもたらし、やる気を引き出し、周囲の停滞した雰囲気を打ち破っていきます。
 
 大聖人が『ただ心こそ大切』(御書1192ページ)と仰せのように、大事なことは、どういう一念で信心に励んでいくかです。どうせ信心をするなら、愚痴を言いながらではなく、自ら勇んで、実践していかなければ損です。さっそうと、さわやかに、行動していこうではありませんか!」
 
 (「人間教育」の章、199~200ページ)

 

唱題・しゃくぶくこそれんこくふくちから

 <2月17日、伸一は第1回「農村・団地部勤行集会」に臨み、日蓮大聖人の仏法は「直達正観」(直ちに正観に達する)、つまり即身成仏の教えであると指導。そして、大聖人門下としての信仰の在り方を訴えた>
 
 「人生は、順調な時ばかりではない。事故に遭うこともあれば、病にかかることもある。また、仕事や人間関係の行き詰まりなど、さまざまな苦難や試練があるものです。その時こそ、“必ず信心で乗り越えてみせる!”と、心を定めて唱題するんです。そして、地涌の菩薩の使命に生き抜こうと、仏法を語り抜いていくんです。
 
 強盛に、自行化他の信心という根本姿勢を貫いていくならば、絶対に事態を打開できるという、大確信と勇気と智慧が涌現します。その智慧をもって最高の方法を見いだし、聡明に、満々たる生命力をもって挑戦していくんです。これが、『直達正観』の信仰の直道であることを知っていただきたい。
 
 それと正反対なのが、いざという時に、信心を忘れ、題目を唱えようとせず、右往左往して策に走る姿です。そこからは、所詮、小手先の浅知恵しか出てきません。それでは、問題の本当の解決もなければ、宿命の転換もありません。かえって、つまずきの要因をつくることにもなりかねない」
 
 悲しみにも、苦しみにも、喜びにも、常に題目とともに! 常に折伏とともに! その実践ある限り、道は必ず開かれる。(中略)試練の暗夜にあっても、胸には、希望の火が、勇気の火が、歓喜の火が、赤々と燃え上がる。強盛なる信心を奮い起こして題目を唱え抜くこと自体が、「直達正観」なのである。
 
 (「灯台」の章、367~368ページ)

 

母は最初の教師

 <「母は、子どもにとって最初の教師であり、生涯の教師でもある」――山本伸一の人間主義、平和主義の哲学も、その源流には、若き日の母の姿があった>
 
 空襲を受けた時のことだ。夜が明け始めた空に、一つの落下傘が見えた。高射砲で撃墜された、「B29」から脱出した米軍の兵士であろう。
 
 落下傘は、見る見る地上に近づき、伸一の頭上を通り過ぎていった。
 
 彼は、その米兵の顔を、しっかりと見た。二十歳を過ぎたばかりだろうか。十七歳の自分と、それほど年齢も違わない、若い米兵の姿に、伸一は、少なからず衝撃を覚えた。
 
 「鬼畜米英」と教えられ続けてきたが、目の当たりにしたのは、決して「鬼畜」などではなかった。色の白い、まだ、少年の面影の残る若者であった。
 
 伸一は、この米兵がどうなったか、気がかりでならず、大人たちに聞いた。
 
 ──米兵の青年は、集まって来た人びとに、棒でさんざん殴られたあと、やって来た憲兵に目隠しをされて、連行されたとのことであった。
 
 伸一は、敵兵とはいえ、胸が痛んだ。
 
 家に帰り、その話を、母に伝えた。母は、顔を曇らせ、悲しい目をして言った。
 
 「かわいそうに! 怪我をしていなければいいけど。その人のお母さんは、どんなに心配していることだろう……」
 
 母の口から、真っ先に出たのは、若い米兵の身を案ずる言葉であった。
 
 米英への憎悪を煽り立てられ、婦人たちも竹槍訓練に明け暮れていた時代である。しかし、四人の息子の生還を願い、心を痛めていた母は、米兵の母親に、自分を重ね合わせていたのであろう。
 
 わが子を愛し、慈しむ母の心には、敵も味方もない。それは、人間愛と平和の原点である。その母の心に立ち返る時、どんなに複雑な背景をもち、もつれた国家間の戦争の糸も、必ず解きほぐす手がかりが生まれよう。
 
 伸一は、母から、気づかぬうちに、人間そのものに眼を向けて、平和を考える視点を教えられていたのかもしれない。
 
 (中略)
 
 明るく、忍耐強かった母。どんな時も、笑顔を失わなかった母──。
 
 伸一は、その母が、声を押し殺し、背中を震わせて、すすり泣く後ろ姿を目にしたことがあった。一九四七年(昭和二十二年)五月、長兄・喜久夫が、ビルマ(ミャンマー)で戦死したとの公報が届いた時である。
 
 悲嘆に暮れる母の姿に、伸一は、残酷な戦争への激しい憤怒が込み上げてきた。とともに、子を思う母の愛の深さを、まざまざと感じ、兄の分まで自分が母孝行しなくてはと、固く心に誓った。
 
 (「母の詩」の章、46~49ページ)

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第24巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。

 第24巻「解説編」はこちら

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番外編⑤ 小説「新・人間革命」に学ぶ

2021年01月06日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編⑤ 2021年1月6日

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
 
絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は「番外編⑤」。小説につづられた珠玉の名言をテーマごとに紹介するとともに、山本伸一の各方面への励ましを掲載する。挿絵は内田健一郎。
 

 
一念

 学会本部の師弟会館で行われた新年勤行会に出席した山本伸一は、あいさつのなかで、法華経寿量品の「毎自作是念」(毎に自ら是の念を作す)について言及した。

 「『毎自作是念』とは、一言すれば、常に心の奥底にある一念といえます。
 仏の『毎自作是念』は一切衆生の成仏にあります。仏は、すべての人びとを幸福にすることを、常に念じ、考えておられる。

 私どもも、奥底の一念に、常に何があるのか、何を思い、願い、祈っているのかが大事になるんです。そこに、自分の境涯が如実に現れます。

 御本仏・日蓮大聖人の久遠の弟子である私たちは、大聖人の大願である広宣流布を、全民衆の幸せを、わが一念とし、わが使命と定めようではありませんか。

 そして、日々、久遠の誓いに立ち返り、広布を願い、祈り、行動する一人ひとりであってください」

 (第26巻「法旗」の章、113~114ページ)
 

 

希望

 前進の活力は、希望から生まれる。希望の虹は、歓喜ある心に広がる。

 山本伸一は、学会が「人材育成の年」と定めた一九七九年(昭和五十四年)元日付の「聖教新聞」に、「希望の暁鐘」と題する一文を寄稿した。

 「御書にいわく『所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(788ページ)と。またいわく『歓喜とは善悪共に歓喜なり』(735ページ)。またいわく『歓喜踊躍』(722ページ)と。

 すなわち、苦しみや悲しみさえ、希望と喜びに変えゆくのが、仏法の偉大な功力なのであります。

 苦楽は所詮一如であり、むしろ苦難の中にこそ希望と歓喜を見いだしていける人が、厳たる人生の勝利者なのであります」(中略)

 伸一は、その清新の出発にあたり、強盛なる信心の力によって、無限の「希望」と「歓喜」とを胸中にみなぎらせ、不撓不屈の大前進を開始するよう呼びかけたのである。

 (第29巻「清新」の章、235~236ページ)

 

創価文化会館を照らす初日の出と山本伸一
創価文化会館を照らす初日の出と山本伸一
 
スピード

 「学会の勝利の源泉はスピードにあった。

 日蓮大聖人も、門下が病気であると聞かれれば、すぐに手紙を出して励まされている。大聖人の御振る舞いは、常に、極めて迅速であられた。

 ましてや現代は、スピードの時代である。だから、私も同志から報告を聞いたら、すぐに反応し、激励するように努力している。

 たとえば、本部に会員の皆さんが報告に来られる。私は、伝言を託すなど、すぐになんらかの行動を起こしてきた。これがリーダーの鉄則です。

 この迅速な反応、行動がある限り、学会は発展していくし、君たちも、そうすることによって、成長することができる。

 それがなくなれば、みんなは不安になるし、やがて不満を感じるようになってしまうものです。(中略)
 いつも真っ先に立ち上がるのが青年部ではないか」

 
 (第5巻「勝利」の章、261~262ページ)
  

 

げきれい

 「時には、共に涙し、共に御書を拝し、共に祈り、粘り強く激励の対話を重ね抜いてきました。そのなかで、多くの方々が信心で立ち上がり、苦悩を克服してきたんです。

 友を励ましてきた人は、苦悩を分かち合った分だけ、喜びも分かち合い、信心の確信も増し、大きな功徳を実感しています。

 一方、励まされた人にとって、最も苦しかった時に、同苦して自分を激励・指導してくれた同志の存在は、無二の友であり、終生、大恩の人となっています。

 人間にとって今生の最高最大の財産は、どれだけの人と苦労を共にして励まし、信心を奮い立たせてきたかという体験なんです。

 したがって、何人もの、いや、何十人、何百人もの人から、『私は、一緒に悩み、祈ってくれたあの人のことを、生涯、忘れない』『あの人がいたから、今の私の幸せがある』と言われる人になることです」

 (第27巻「求道」の章、358ページ)

 

宮城県幹部会で指導する山本伸一(1978年5月)
宮城県幹部会で指導する山本伸一(1978年5月)
 
そうふう

 どんなに多忙でも、人を励まそうという強い一念があれば、さまざまな工夫が生まれる。

 伸一は、会合に出席しても、指導する時間があまり取れない時には、懸命に学会歌の指揮を執り、激励したこともあった。

 全精魂を注いで、皆と万歳を三唱して、励ましたこともある。

 また、記念撮影をして、共戦の誓いをとどめることもあれば、生命と生命を結ぶ思いで、一人ひとりと握手を交わすこともあった。

 さらに、歌や句を詠んで贈ったり、激励の伝言を託すこともあった。

 それは、“今を逃したら、もう、励ます機会はないかもしれない。最愛の同志を、あの人を、この人を、断じて励ますのだ!”という、伸一の一念の発露であった。

 心という泉が、必死さ、懸命さに満たされていれば、創意工夫の清冽なる水は、ほとばしり続ける。

 (第24巻「灯台」の章、352ページ)
 

 慈悲

 伸一は、この「健康」「青春」「福運」「知性」「情熱」「信念」「勝利」の七項目を人間革命の指標として示したあと、さらに、これらを包括し、仏法者の規範として確立されなければならないものこそ、「慈悲」であると訴えた。

 伸一は、慈悲について戸田城聖の指導を通して論じ、「私たち凡夫の場合は、勇気をもって行動することが慈悲に変わるのである」と力説。
 そして、慈悲と勇気の実践である広宣流布に生き抜くことの大切さ、尊さを訴えたのである。(中略)

 「たとえ、名誉や財産があろうとなかろうと、真実の法をもって、人のため、社会のために尽くす人こそ、真実の“尊貴の人”であり、その人の生命は菩薩であります。

 最も苦しんでいる人に救済の手を差し伸べ、蘇生させてきた団体が創価学会です。また、そのために命をなげうってきたのが、三代の会長なのであります」

 (第19巻「陽光」の章、231ページ)

 

山本伸一は米国サンタモニカで青年部の友を励ました(1974年4月)
山本伸一は米国サンタモニカで青年部の友を励ました(1974年4月)
山本伸一と各方面の友
 
東海道
箱根・芦ノ湖から富士山を望む。堂々たる日本一の富士のごとく、東海道の同志は不動の信心を貫く
箱根・芦ノ湖から富士山を望む。堂々たる日本一の富士のごとく、東海道の同志は不動の信心を貫く

〈1979年(昭和54年)4月24日、山本伸一は会長を辞任。26日、静岡研修道場を訪れ、“大楠公”をピアノで奏でた〉

 ひたすら弟子の成長を願い、一心に、時に力強く、魂を込めた演奏が続いた。

 “立てよ! わが弟子よ、わが同志よ。勇み進め! 君たちこそが伸一なれば!”

 (第30巻〈上〉「大山」の章、108ページ)
 
 〈5月5日、伸一は神奈川文化会館で、誓いを込めた書を認めた〉

 「正義」――その右下には、「われ一人正義の旗持つ也」と記した。(中略)

 “私は断じて戦う。たった一人になっても。師弟不二の心で断固として勝利してみせる。
 正義とは、どこまでも広宣流布の大道を進み抜くことだ!”

 (同章、122ページ)
 

 

信越
山本伸一は、若き日から深く心に刻み、暗唱してきた、アメリカの民衆詩人ホイットマンの詩の一節を信越の友に贈った
山本伸一は、若き日から深く心に刻み、暗唱してきた、アメリカの民衆詩人ホイットマンの詩の一節を信越の友に贈った

 〈1978年(昭和53年)2月、山本伸一は、立川文化会館に集った信越男子部に指導した〉

 「当面の課題、戦いに、全力でぶつかり、今を勝つことです。

 それによって、自分の苦悩を一つ一つ乗り越え、自身の境涯を開いていくことができる。

 すべての広宣流布の活動は、自分が幸福になり、人生に勝利するためにある。(中略)

 時は決して待ってはくれない。今、立つんです。

 最後に、もう一度、あのホイットマンの詩の一節を読み上げたい。

 『さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 
 決められた決勝点は取り消すことができないのだ』」

 (第26巻「奮迅」の章、378~379ページ)

 

※ホイットマンの詩は富田砕花訳

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 新春を飾る“箱根駅伝”――全ての若人の力走と団結に大喝采を送りたい。  

2021年01月04日 | 妙法

〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉 わが家わが街は常寂光の都  
2021年1月4日

 

  

 新春を飾る“箱根駅伝”――全ての若人の力走と団結に大喝采を送りたい。
 
 我らの創価大学駅伝部は見事なチームワークで、感激の劇を創ってくれた。開学50周年という佳節に、皆で心を一つに勝ち開いた壮挙、誠におめでとう!
 
 ◇ ◆ ◇ 
 
 年越しの厳しい寒波に見舞われ、北国・雪国の方々はご苦労もひとしおであろう。全国、全世界の宝友の健康と無事安穏を、いやまして強盛に祈らずにはいられない。
 
 御本仏・日蓮大聖人は佐渡での厳冬を耐え忍ばれ、仰せになられた。
 
 「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」(御書1343ページ)
 
 大聖人は、御自身があらゆる大難を乗り切られつつ、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と、いかなる逆境も絶対に打開できる「希望・勝利」の道を開いてくださった。
 
 ゆえに、ありのままの自分が、今いるその場所から、妙法を行じていけばよいのだ。題目を唱えるわが生命が、さながら「宝塔」であり、御本尊ましますわが家が、広布を進めるわが街が、さながら「常寂光の都」なのである。
 
 ◇ ◆ ◇ 
 
 恩師・戸田先生は、「今年こそは」という新年の決意を大切にされていた。
 
 大宇宙と同じく我ら人間にも、一切をより良く転換させていける妙法の大生命力がある。信心をしていながら、それを自覚できなければ、自分が損をしてしまうからだ。
 
 正月は、心新たに、この生命力のスイッチを入れる時である。そして、宇宙運行の妙なるリズムの軌道に乗り、その年の生活に、「人間革命」の実証を晴れ晴れと示すのだ、と恩師は教えられた。
 
 まさに「一身一念法界に遍し」(同247ページ)である。
 
 1956年(昭和31年)1月4日、戸田先生の名代として、私は「大阪の戦い」の出陣をした。
 
 関西の不二の同志と「我らは勝った!」と宣言したのは、この日この時である。
 
 「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(同998ページ)との御聖訓を心肝に染め、民衆の幸福と平和のために、断じて勝利をと誓い合ったのだ。
 
 65星霜を経て、生命尊厳の哲理を掲げる「立正安国」の対話の大光は、今や人類を遍く照らし始めている。
 
 ◇ ◆ ◇ 
 
 凍てつくロシアの大地でも、わが友は意気軒高だ。
 
 国内で10時間の時差がある広大な国土にあって、連携を取り合い、励まし合いながら、「異体同心」のスクラムで新年を出発したと、うれしい報告が届いた。
 
 若き創価の世界市民を旗頭として、新たな一年、足元の地域社会にも、遠大な地球社会にも、人間主義の「希望・勝利」の連帯を、一段と築き広げていこうではないか!

 

 

 

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