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~嵐慧子さんを偲ぶ

2021年01月22日 | 妙法

北国の華】 ~嵐慧子さんを偲ぶ~

投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 4月 9日(土)08時55分14秒   通報
【北国の華】 ~嵐慧子さんを偲ぶ~

五月四日

明日を生き抜き
世紀を築く
北海の白蓮華と
咲きゆけ

嵐 慧子様
池田室長

■嵐桜よ 永遠(とこしえ)に
            池田大作

 北国の春は遅く、短かい。
 五月の初旬、花々は春を待ちかねていたかのように、一時に咲き競う。アカシアの白い房、すずらんの香り、ライラックのふじ色の輝き……。
 長い冬の桎梏から解き放たれて、萌えいずる緑。百花は新緑に映え、たまゆらの春に、美事な〝生〟の交響詩を奏でてくれる。

 私は北海道の春が好きだ。毎年、花の便りに、北国の春に想いを馳せる。そして、まっさきに、私は一本の桜を思い出すのだ。
 その桜は、名木や巨木ではない。どこにでもある平凡な桜かもしれぬ。しかし私にとっては、忘れ難い人の面影を、今にとどめる、大切な、尊い桜である。ゆく春も、くる春にも、その桜は北海道第二本部の庭に、清楚な薫り高き花びらをつけてくれる。
 その名――〝嵐桜〟。

 嵐さんが逝いて幾星霜。桜はいくたびか咲き、散った。そして今年十二月には、嵐さんの十三回忌を迎える。時の経過は、多くの事象を静かに過去へと流していく。が、嵐さんの功績は、時の経過と共に、広布の進展のなかで、ますます光彩を放っていこう。
 今なお嵐さんは、北海道の同志(とも)の呼び合う心と心のなかに生き、桜花となって戦い人の魂に勇気と希望を与え続けているのである。

 彼女は、北海道の草創期を、欣然と担ってくれた一人である。
病身でありながら、妙法への帰命を決定(けつじょう)し、ひたむきに、いさぎよく戦ってくれた。私は彼女に、限りない感謝をささげ、冥の照覧あるを信じたい。
 静かに目をつむると、折伏の法旗を高く揚げ、北海の原野を思う存分駆け回る、彼女のけなげな姿が、鮮明な像となってあらわれる。
 花の香ただよう春も
 草いきれのする夏も
 かりがねの鳴く秋も
 凍てつく冬も
……彼女の行動はとどまるところがなかった。ひとたび選んだ使命の道を、迷わず、惑わず、ただひたすら走ってくれたのだ。

 よしや相見ること叶わなくとも、私はよもや忘れまい。彼女の広布にかけた短くも、美しい青春乱舞は、救国の乙女ジャンヌ・ダークのようであった。まさにその名のごとく慧眼と聡明さとをもって、人生の究極を見つめ、嵐のごとき、可憐な生涯を送ったのである。
生前、私は幾度となく、病身の嵐さんを気づかった。厳しく休むようにも叱責したし、回復も祈った。北海道の友だちの願いもそうであったろう。しかし、今思えば、彼女は自らの使命を立派に果し切って、人間王者の道を見事に走破して、悠々と公布の途上に逝いたように思えるのである。妙法に生命の活力を求め、更賜寿命の日々を、彼女は、精一杯、戦ってくれたのだ。

 北海道は、私にとって由縁の地である。恩師・戸田先生の故郷は、荒涼と北風の吹く厚田の村である。恩師と共に、私はよく北海道を訪れた。夏季折伏、指導等と、珠玉の思い出は尽きないが、忘れがたい出来事は、やはり小樽法論であり、炭労事件である。両者は未聞の開拓の道を歩む学会の前途に、厳しくたちはだかった障魔といってよい。
 その夜を日についでの激闘の最中に、私は嵐さんと出会った。たしか小樽法論の時であったと記憶している。彼女のすずやかな目には求道の輝きがあり、広布の行き末をしっかと見すえて、情熱が光っていた。小柄な容姿は、闘志でゴムマリのように弾んでいた。

 私はただただ、民衆勝利のために戦った。
 どんな労苦も、むしろ爽快であった。汗は必ずや未来を開く滋養となる、と確信していた。もとより、どんな作業もいといはしない。北海道の可愛い友のため、是非とも勝たねばならなかったのだ。

 その頃の共戦の同志が懐かしい。吹き荒れる嵐のなかを、よくぞ喜々として最前線に立ち大聖哲の旗を振り続けてくれたと思う。なかでも嵐さんは、その雪のような純な生命で広布の暁を信じ、学会の発展を心に描いて戦い、惜しまれながら、殉教の誉れをもって二十六歳の若き生命を散らした人だけに、私はいとおしくもあり、忘れてはならない人、と決心している。
 〝臨終只今にあり〟と月々、日々、嘆きの友のため、悩める隣人のため、病魔を越えて激励に歩み、学会のうず潮のなかですすんで訓練をうけた嵐さんは、広布を大願とする全ての同志の鏡といえるだろう。あなたの歩んだ栄光の道を、今はあなたの後輩たちが陸続と歩んでいることを、伝えたいのだ。
 三世諸仏総勘文教相廃立に云く「生と死は生死の夢の理なり、妄想なり、顛倒なり。本覚の寤を以て我が心性を糾せば、生ずべき始めも無きが故に死すべき終りも無し」

 刹那の一瞬に永劫の未来を込め、私は再び爽やかな告別の歌を、新生の、地湧の賛歌を送りたい。
 嵐さん、どうかおすこやかに。そしてまた悲しみのなかから毅然と立った慧子さんのおかあさん、妹さん、弟さん、お元気で――。
 あなたは再び〝生〟ある人として、広布第二章の戦列へ、欣然と加わっていることだろう。かたみを宿す嵐桜は、永遠(とこしえ)に、北海道の妙法回天の旅路を見続けることであろう。

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