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小説「新・人間革命」学習のために 「アジア編」

2020年09月18日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「アジア編」  2020年9月18日

  • 雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん
インド・ガンジス川のほとりに立つ池田先生。「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」と詠んだ恩師・戸田城聖先生の東洋広布への思いを胸に、アジアを駆けた(1979年2月)
インド・ガンジス川のほとりに立つ池田先生。「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」と詠んだ恩師・戸田城聖先生の東洋広布への思いを胸に、アジアを駆けた(1979年2月)
 

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「アジア」編を掲載する。次回は「アフリカ・オセアニア」編を25日付2面に掲載の予定。挿絵は内田健一郎。

 

社会への貢献が仏法の正義を証明
 

 <1976年(昭和51年)5月、韓国に、SGI韓国仏教会の前身である“仏教会”が発足。社会貢献への歩みが開始される>
 
 御書には「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(御書1466ページ)と仰せである。つまり、社会を大事にして、社会のために貢献し、活躍していくことが仏法であり、その人が「智者」であるというのである。
 
 韓国の同志は、この日蓮仏法の、また、創価学会の「真実」と「正義」を、なんとしても証明していかなければならないと思った。誤解が誤解のままであれば、「真実」は葬り去られてしまう。誤解を放置しておくことは、「正義」の死を意味する。
 
 “私たちが実際に何をなし、どれだけ社会に貢献できるかだ。その行動のなかに、学会の正しさを証明する道がある”
 
 こう考えたメンバーは、各地域で、自主的に、また、地道に、社会貢献の歩みを開始していったのである。(中略)
 
 社会奉仕の諸活動に勇んで参画し、田植えや刈り入れを手伝う「農村助け合い運動」や、自然保護運動に取り組んでいった。
 
 さらに、一九九〇年代に入ると、メンバーは、大規模な「国土大清掃運動」を展開していったのである。
 
 このほか、教育や福祉にも光をあて、学校への「良書贈呈運動」や、社会的に恵まれない人びとへの奉仕活動も進められた。
 
 仏法の人間主義に基づく韓国の“仏教会”のこうした地道な努力は、着実に信頼の輪を韓国社会に広げていった。
 
 (第8巻「激流」の章、367~369ページ)
 


 

「幸福の花園」は自身の胸中にある
 

 <63年(同38年)1月、香港支部大会で婦人部の陳鮑美蘭は山本伸一に出会う。戦争に翻弄され、広東省や台湾を転々とし、香港にやってきた彼女に伸一は語る>
 
 「幸福への決め手は、何があっても、負けることのない精神の強さ、価値を創造していく智慧、そして、喜びと希望にあふれた、豊かな心をつくり上げていくことにあります」
 
 そして、(中略)「香港を幸福の花園に」と呼びかけたのである。
 
 美蘭はハッとした。彼女は、どこに行けば幸福になれるのかを考え続けてきた。
 
 しかし、生まれた日本をはじめ、台湾にも、広東にも、安住の地はなかった。
 
 伸一の話は、その幸福がどこにあるかを、明確に示していた。
 
 “幸福は、私自身のなかにあるのだ! どんな逆境にも負けない強い心を、価値を創造していける豊かな心をつくる以外にない。
 
 そして、皆が自分を変え、人間革命していくならば、社会の平和を実現することができる。
 
 必ず、この仏法をもって、香港を幸福の花園にしよう”(中略)
 
 美蘭は、メンバーのために、日本での講習会をはじめ、さまざまな機会に通訳として奮闘した。さらに、香港の機関紙「黎明聖報」の発刊が決まると、御書や学会の指導の翻訳を引き受けてきたのである。
 
 彼女は、しみじみと思うのであった。
 
 “激動の歴史に弄ばれてきたように思える自分の人生も、決して無駄ではなかった。
 
 日本語を学び、戦争の恐ろしさを体験してきた私には、香港の人びとの平和と幸福のために、大聖人の仏法を伝える使命がある。
 
 私の半生は、そのためにあったのだ”
 
 (第18巻「飛躍」の章、390~391ページ)

 

一人一人が「広布の大河」の一滴に
 

 <79年(同54年)2月、全インドから集った約40人のメンバーに伸一は訴えた>
 
 「十八年前、初めてインドを訪問した折のことが、昨日のように思われます。その時は、誰一人、メンバーであるインドの方とお会いすることはなかった。
 
 しかし、私は思いました。強く決意しました。
 
 “仏教が誕生した意義あるインドに、地涌の菩薩が出現しないわけがない。また、必ず出現させなければならない!”
 
 以来、インドの地に、数多の同志が誕生することを、日々、真剣に祈ってまいりました。そして、今日ここに、広宣流布の使命に生きようとする約四十人の代表が、喜々として集われた。まさに大聖人が仰せの『地涌の義』です。これほど嬉しいことはありません。皆さん方は、地涌の同志であり、宿縁深い“兄弟”であり、“姉妹”であるとの自覚で、インドの人びとのために、どこまでも仲良く、共に成長していっていただきたい。今や世界の数多くの国に、創価の友がおります。(中略)
 
 その世界の同志は、仏教発祥のインドに注目し、貴国の未来に期待を寄せ、心から声援を送っております。あの雄大にして悠久なるガンジス川の流れも、一滴の水から始まる。同じように皆さんは、インド広布の大河をつくる、源流の一滴、一滴となる方々です。洋々たる未来を信じて前進していっていただきたい。二十年、三十年、五十年後をめざして、広布のガンジスの流れを開いていこうではありませんか!」(中略)
 
 ガンジスの一滴に――それは、インドの同志の誓いとなり、合言葉となっていった。
 
 (第29巻「源流」の章、388~390ページ)

 
永遠なる広布開く師弟の共戦

 <2000年(平成12年)11月、シンガポールとオーストラリアの合同最高会議に出席した伸一は、シンガポールが「獅子の都」を意味することから、仏法で説く「師子」について述べる>
 
 「仏法では、仏を『師子』と呼び、仏の説法を『師子吼』という。大聖人は、『師子』には『師弟』の意義があると説かれている。
 
 仏という師匠と共に生き抜くならば、弟子すなわち衆生もまた、師匠と同じ偉大な境涯になれるのを教えたのが法華経なんです」
 
 一般的にも、師弟の関係は、高き精神性をもつ、人間だけがつくりえる特権といえる。
 
 芸術の世界にも、教育の世界にも、職人の技の世界にも、自らを高めゆかんとするところには、必ず師弟の世界がある。
 
 伸一は、青年たちに力説した。
 
 「『人生の師』をもつことは、『生き方の規範』をもつことであり、なかでも、師弟が共に、人類の幸福と平和の大理想に生き抜く姿ほど、すばらしい世界はありません。この師弟不二の共戦こそが、広宣流布を永遠ならしめる生命線です。そして、広布の流れを、末法万年を潤す大河にするかどうかは、すべて後継の弟子によって決まります。
 
 戸田先生は、よく言われていた。『伸一がいれば、心配ない!』『君がいれば、安心だ!』と。私も今、師子の道を歩む皆さんがいれば、世界広布は盤石である、安心であると、強く確信しています」(中略)
 
 「勇気は、誰でも平等にもっています。勇気は、幸福という無尽蔵の宝の扉を開くカギです。(中略)
 
 どうか皆さんは、勇気を取り出し、胸中の臆病を打ち破ってください。そこに人生を勝利する要因があります」
 
 (第30巻<下>「誓願」の章、421~423ページ)

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