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「新・人間革命」学習のために 「中南米」

2020年09月04日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「中南米」編  2020年9月4日

  • 新しき開拓の朝だ! 中南米のあの地、この地に 人間勝利の栄光の旗を!
池田先生が新しき広布の開拓に挑む中南米の友を激励。小説『新・人間革命』第11巻「開墾」の章には「中南米のあの地、この地に、人間勝利の栄光の旗は、誇らかに翻っている」とつづられている(1984年、ブラジルで)
池田先生が新しき広布の開拓に挑む中南米の友を激励。小説『新・人間革命』第11巻「開墾」の章には「中南米のあの地、この地に、人間勝利の栄光の旗は、誇らかに翻っている」とつづられている(1984年、ブラジルで)
 

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「中南米」編を掲載する。次回は「欧州」編を11日付2面に掲載の予定。挿絵は内田健一郎。

 

さつの使命果たす人生を!

 <1965年(昭和40年)8月、伸一はメキシコ支部長のラウロ・イワダテと懇談。「メキシコが大好きになった」と語る彼に訴える>
 
 「自分のいるところが好きにならなければ、そこで、使命を果たし抜いていくことはできません。いやだなという思いがあれば、どこかへ行きたい、日本へ帰りたい、という心が働き、すぐに逃げ腰になってしまい、本当の仕事はできないものです。自分が、そこを好きになれる“良さ”を見つけることから、価値の創造は始まっていくといえます。
 
 (中略)戸田先生が夢にまで見られたメキシコを、私は大発展させたいんです。三年後には、オリンピックがありますが、それまでに、盤石な広宣流布の基盤を築きましょう。イワダテさん、時は“今”ですよ。
 
 あなたがメキシコに渡って四十年。それは、なんのための歳月であったか。仏法の眼から見れば、すべて、メキシコの広布に立ち上がる準備期間だったんです。
 
 いよいよ、これからが人生の本舞台です。やりましょう! 戦いましょう! メキシコに真実の幸福の風を起こすために」
 
 イワダテは、頰を紅潮させて頷いた。(中略)
 
 「イワダテさん、人の一生には限りがあります。その限りある人生をなんのために使うかです。自分の小さな幸福を追い求めるのも人生です。しかし、あなたには、メキシコの広宣流布に生き、この国の人びとを幸福にしていく使命がある。御書に照らして考えるならば、あなたは、そのために、地涌の菩薩として出現したんです。どうか、メキシコの民衆の、幸福と平和のパイオニアとして、また、リーダーとして、生涯、広宣流布に生き抜いてください」
 
 (第10巻「幸風」の章、158~160、163ページ)
 

 
最も苦労した人がだれよりも幸せに

 <74年(同49年)3月、学会への誤解があり、ビザが発行されず、伸一のブラジル訪問は中止となる。翌月、ブラジル理事長の斎木安弘は、アメリカのサンディエゴに滞在中の伸一を訪ね、現地の様子を伝える>
 
 斎木は、喜々として報告した。
 
 「先生のブラジルへのご訪問がなくなったことをメンバーに伝えました時には、皆、悔し涙にむせびました。しかし、『先生がいらっしゃらないからといって、泣いているような弱虫でどうする! 私たちの手で、文化祭を大成功させるのだ。それでこそ真の弟子じゃないか!』と語り合いました。
 
 そして、みんなが“先生、見ていてください”との思いで、懸命に挑戦しました。
 
 文化祭は大成功でした。出席した各界の来賓も、感動し、学会への理解を深めております。また、みんなが、あらゆる機会に、学会の正義と真実を、勇気をもって語り抜いてきました。そうしたなかで、オザスコ市のように、市をあげて先生の平和行動を賞讃するケースも出てまいりました」
 
 伸一は、斎木の顔を見つめて言った。
 
 「みんな、さぞかし悔しかっただろう。辛かっただろう……。しかし、そのなかで立ち上がった。ブラジルはきっと大発展するよ。二十一世紀の“世界広布の雄”となることは間違いない!」
 
 経文には「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)とある。
 
 今、いかなる決意で、どう行動しているのか――それによって、未来の結果は決定づけられていくのだ。
 
 誰よりも労苦を背負いながら、黙々と広宣流布のために戦う。その人こそ、誰よりも強く、誰よりも幸せになり、誰よりも栄光をつかむのだ。それが、因果の理法である。
 
 (第19巻「陽光」の章、233~234ページ)
 

 
と努力で「くつの勝利王」たれ

 <93年(平成5年)2月、伸一はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、集った友に語る>
 
 「ひとたび太陽が東天に昇れば、その大光は遍く全世界を照らす。同様に日本に聖誕された大聖人の『太陽の仏法』は、全地球の全民衆を赫々と照らし、妙法の大慈悲の光を注いでいきます。そして、この大聖人の仏法の世界性、普遍性を見事に証明してくださっているのが、アルゼンチンの皆様の活躍です。(中略)
 
 アルゼンチンのことわざに『太陽は皆のために昇る』とあります。
 
 (中略)大聖人は『皆のために』――末法万年のすべての民衆のために、大法を説き残された。信仰しているか、信仰していないかによって、人間を偏狭に差別するものでは決してありません。どうか皆様は、心広々と、太陽のように明るく、アルゼンチンの全国土、全民衆に希望の光彩を送っていただきたい。
 
 (中略)人生は、悩みとの戦いです。大事なことは、自分にのしかかる、さまざまな苦悩や問題を、いかに解決していくかです。『悩み』を越えた向こう側にある『勝利』に向かって、知恵を絞り、努力を重ねることです。もし、こんな悩みがなければ――と現実を離れ、夢を見ているだけの生き方は、敗北です。どうすれば、今の課題を乗り越え、価値と勝利に変えていけるか――常に、その前向きな努力をなす人が『勝つ人』なんです。
 
 自分の一念が、そのまま人生となる――この真理を、見事なる勝利の劇で証明する『名優』であっていただきたい。また、周囲にも『自信』をもたせる『励ましの人』であっていただきたい」
 
 伸一は、アルゼンチンの同志が一人も漏れなく「不屈の勝利王」であってほしかった。
 
 (第30巻<下>「誓願」の章、366~368ページ)
 

 <93年(平成5年)2月、伸一はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、つどった友に語る>
 

アンデスえたり われは勝ちたり

 <93年(平成5年)2月、伸一は海外50カ国・地域目となるチリを初訪問。広布旅を振り返る>
 
 思えば、どの国も、一つ、また一つと、全精魂を注いで歴史の扉を開く、真剣勝負の広布旅であった。
 
 戸田城聖は、第二代会長に就任した翌一九五二年(昭和二十七年)の正月、「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」と詠んだ。(中略)
 
 しかし、恩師は、一度も海外に出ることはなかった。伸一は、戸田の言葉を遺言として生命に刻み、師に代わって世界を回り、「太陽の仏法」を伝えてきた。
 
 (中略)その海外訪問も、このチリの地で、いよいよ五十番目となるのだ。
 
 彼の脳裏に和歌が浮かんだ。
 
 「荘厳な 金色に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり」(中略)
 
 チリSGI総会で伸一は、チリの各地で活動に励む同志の労苦を思いながら、「逆境に負けずに頑張り抜いてこられた皆様には、アンデスの山並みのごとく、限りなく功徳が積まれていくことは絶対に間違いない」と賞讃した。
 
 さらに、このチリで、海外訪問は五十カ国・地域となったことを伝えた。三十三年前、富士の高嶺を仰ぎつつ、世界平和への旅を開始して以来、五大州を駆け巡ってきた。そして、日本とは地球のほぼ反対側にあり、「チリ富士」といわれるオソルノ山がそびえるチリを訪れたのである。伸一は、烈々たる気迫で呼びかけた。
 
 「戸田先生は、さぞかし喜んでくださっているにちがいない。しかし、いよいよ、これからが本番です。常に皆様を胸中に描き、日々、共に行動している思いで、全世界を、楽しく朗らかに、駆け巡ってまいりたい!」
 
 (第30巻<下>「誓願」の章、382~383、386ページ)

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