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小説「新・人間革命」に学ぶ 第20巻 

2020年06月09日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第20巻 名場面編 2020年6月9日

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
絵・間瀬健治

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第20巻の「名場面編」。心さぶる小説の名場面をしょうかいする。挿絵は内田健一郎。
 

人間の心に境界はない!
 

 〈1974年(昭和49年)5月、山本伸一の初訪中が実現。一行は、英国領・香港の羅湖駅から徒歩で中国の深圳駅へ向かう〉

 伸一と峯子は、笑顔で言葉を交わしていたが、あとのメンバーの表情は暗く、皆、押し黙っていた。共産主義の国・中国を初訪問するとあって、緊張しているのである。(中略)
 伸一は、笑いながら皆に言った。
 「もっと嬉しそうな顔をしようよ。私たちは、これから新しい友人に会いに行くんじゃないか。
 どこの国の人も、みんな同じ人間だ。誠実に、ありのままに接していけばいいんだ。話し合えば必ず心は通じ合えるし、わかり合えるものだよ」(中略)
 飛行機の格納庫のような鉄橋を渡ると、カーキ色の軍服を着た、人民解放軍の兵士がいた。兵士にパスポートを見せる――。
 いよいよ山本伸一は、中国・深圳への第一歩を踏みしめたのだ。時計の針は、午前十一時五十分を指していた。
 「こんにちは!」
 日本語が響き、一人の男性と、二人の女性が、小走りで近寄ってきた。男性と女性の一人は中日友好協会のメンバーで、もう一人の女性は広州市の関係者であった。(中略)
 中日友好協会の男性は葉啓滽、女性は殷蓮玉であった。
 葉は、流暢な日本語で語った。
 「ようこそ中国においでくださいました。私たちは皆さんのご案内をさせていただくために、北京からまいりました」
 深圳駅の控室で和やかな懇談が始まった。(中略)
 葉は、伸一の著書である小説『人間革命』を熟読していた。(中略)
 また殷は「小説『人間革命』のテーマを知っています」と言って、「一人の人間における偉大な人間革命は……」と、すらすら暗唱してみせた。
 「すごい! 作者の私でも覚えていないんですよ」
 伸一のユーモアに、笑いが広がった。伸一と青年たちとの触れ合いを目の当たりにして、同行のメンバーがいだいていた中国への“怖い”というような印象は、一瞬にして吹き飛んでしまったようだ。(「友誼の道」の章、23~26ページ)
 


 

中ソの平和の懸け橋に
 

 〈山本伸一は、9月にはソ連を初訪問。コスイギン首相との会見では、第2次世界大戦での、ソ連の人々の過酷な体験に言及したあと、中国への対応について尋ねる〉

 伸一は尋ねた。
 「閣下は、あの第二次大戦の時は、どちらにいらしたのでしょうか」
 首相は静かに答えた。
 「レニングラードがナチス・ドイツに包囲されていた、あの時、私もレニングラードにいました……」
 そう言ったきり、しばらく沈黙が続いた。当時のことを思い返しているようでもあった。
 戦争の悲惨さを知るならば、断じて、その歴史を繰り返してはならぬ。(中略)
 コスイギン首相の目には、平和建設の決意が燃えていた。伸一は、首相を凝視しながら、強い語調で訴えた。
 「ソ連の人びとと同様に、中国の人びとも、平和を熱願しております」(中略)
 語らいは、まさに佳境に入ろうとしていた。(中略)伸一は、三カ月前に中国を訪問した実感を、コスイギン首相に伝えた。
 「中国の首脳は、自分たちから他国を攻めることは絶対にないと言明しておりました。しかし、ソ連が攻めてくるのではないかと、防空壕まで掘って攻撃に備えています。中国はソ連の出方を見ています。率直にお伺いしますが、ソ連は中国を攻めますか」
 首相は鋭い眼光で伸一を見すえた。その額には汗が浮かんでいた。
 そして、意を決したように言った。
 「いいえ、ソ連は中国を攻撃するつもりはありません。アジアの集団安全保障のうえでも、中国を孤立化させようとは考えていません」
 「そうですか。それをそのまま、中国の首脳部に伝えてもいいですか」
 コスイギン首相は、一瞬、沈黙した。それから、きっぱりとした口調で、伸一に言った。
 「どうぞ、ソ連は中国を攻めないと、伝えてくださって結構です」
 伸一は、笑みを浮かべて首相を見た。
 「それでしたら、ソ連は中国と、仲良くすればいいではないですか」
 首相は、一瞬、答えに窮した顔をしたが、すぐに微笑を浮かべた。心と心の共鳴が笑顔の花を咲かせた。(「懸け橋」の章、276~278ページ)
 


 

永遠なる「信義の絆」結ぶ
 

 〈12月、第2次中国訪問の帰国前夜、山本伸一は、入院中の周恩来総理から会見の要望を受ける。病状は重く、医師団は会見に反対したが、総理の強い希望で実現に至った〉

 周総理は、中国と日本の友好交流に対する、伸一のこれまでの取り組みを、高く評価していた。
 「山本先生は、中日両国人民の友好関係は、どんなことがあっても発展させなければならないと、訴えてこられた。私としても、非常に嬉しいことです。中日友好は私たちの共通の願望です。共に努力していきましょう」(中略)
 総理は、彼方を見るように目を細め、懐かしそうに語った。
 「五十数年前、私は、桜の咲くころに日本を発ちました」(中略)
 「そうですか。ぜひ、また、桜の咲くころに日本へ来てください」
 しかし、総理は寂しそうに微笑んだ。
 「願望はありますが、実現は無理でしょう」
 伸一は胸が痛んだ。(中略)
 「周総理には、いつまでもお元気でいていただかなくてはなりません。中国は、世界平和の中軸となる国です。そのお国のためにも、八億の人民のためにも……」
 すると総理は、力を振り絞るようにして語り始めた。(中略)
 「二十世紀の最後の二十五年間は、世界にとって最も大事な時期です。全世界の人びとが、お互いに平等な立場で助け合い、努力することが必要です」
 「まさに、その通りだと思います」
 伸一は、遺言を聞く思いであった。
 会見は、三十分に及ぼうとしていた。伸一は、周総理といつまでも話し合っていたかった。しかし、もうこれ以上、時間を延ばしてはならないと思った。
 彼は、「総理のご意思は、必ず、しかるべきところにお伝えします。お会いくださったことに、心より御礼、感謝申し上げます」と言って、会見を切り上げた。(中略)
 周総理と伸一は、これが最初で最後の、生涯でただ一度だけの語らいとなった。
 しかし、その友情は永遠の契りとなり、信義の絆となった。総理の心は伸一の胸に、注ぎ込まれたのである。(「信義の絆」の章、341~345ページ)
 

 
私は「人類に味方します」

 〈1975年(昭和50年)1月、アメリカを訪問した山本伸一は、キッシンジャー国務長官と会談した〉

 伸一が現下の国際情勢について話を切り出すと、長官の目が光った。
 伸一は、キッシンジャーが一九六九年(昭和四十四年)の一月にニクソン大統領の補佐官となって以来、その奮闘に目を見張ってきた。(中略)
 一九七三年(昭和四十八年)には、ベトナム和平協定を推進したことが高く評価され、ノーベル平和賞を受賞している。(中略)
 山本伸一は、そのキッシンジャー国務長官と、世界の平和のために、存分に語り合い、人類の進むべき新たな道を探り出したかったのである。
 長官は、形式的な礼儀作法などにはこだわらない、合理的で、飾らない人柄であった。そして、決して急所を外さず、鋭い分析力をもっていた。いたって話は早かった。
 伸一が、日中平和友好条約についての見解を尋ねると、即座に「賛成です。結ぶべきです」との答えが返ってきた。
 語らいのなかで長官は、伸一に尋ねた。
 「率直にお伺いしますが、あなたたちは、世界のどこの勢力を支持しようとお考えですか」
 伸一が、中国、ソ連と回り、首脳と会談し、さらに、アメリカの国務長官である自分と会談していることから出た質問であったにちがいない。
 伸一は、言下に答えた。
 「私たちは、東西両陣営のいずれかにくみするものではありません。中国に味方するわけでも、ソ連に味方するわけでも、アメリカに味方するわけでもありません。私たちは、平和勢力です。人類に味方します」
 それが、人間主義ということであり、伸一の立場であった。また、創価学会の根本的な在り方であった。
 キッシンジャーの顔に微笑が浮かんだ。伸一のこの信念を、理解してくれたようだ。
 会談では、中東問題、米ソ・米中関係、SALT(戦略兵器制限交渉)などがテーマになっていった。
 平和の道をいかに開くか――二人の心と心は共鳴音を響かせながら、対話は進んだ。(「信義の絆」の章、377~381ページ)

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