毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

「新・人間革命」に学ぶ 第20巻

2020年06月17日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第20巻 御書編  2020年6月17日

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
絵・間瀬健治
 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第20巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。挿絵は内田健一郎。

 

人間は皆、“幸福の鍛冶屋”
 
【御文】
 

 彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり(御書1466ページ、減劫御書)

 
【通解】

 民衆を救った彼ら(仏教以外の教えを実践する人々)の智慧は、その内心においては、仏法の智慧を含み持っていたのです。

 

【小説の場面から】
 

 <1974年(昭和49年)9月16日、山本伸一は、ノーベル賞作家のショーロホフ氏と会見。「人間の運命」について語らいを交わす>
  
 伸一は、『人間の運命』の内容を踏まえて、ショーロホフに質問した。
  
 「人間の運命を変えることは、一面、環境等によっても可能であるかもしれません。しかし、運命の変革を突き詰めて考えていくならば、どうしても自己自身の変革の問題と関連してくると思います。この点はどのようにお考えでしょうか」
  
 ショーロホフは、大きく頷いた。(中略)
  
 「われわれは、皆が“幸福の鍛冶屋”です。幸福になるために、精神をどれだけ鍛え抜いていくかです」(中略)
  
 伸一は、身を乗り出して言った。
  
 「まったく同感です。たとえ、どんなに過酷な運命であっても、それに負けない最高の自己をつくる道を教えているのが仏法なんです」(中略)
  
 ショーロホフは、目をしばたたき、盛んに頷きながら、伸一の話に耳を傾けていた。
  
 彼は、社会主義国ソ連を代表する文豪である。しかし、人間が根本であり、精神革命こそが一切の最重要事であるという点では、意見は完全に一致し、強く共鳴し合ったのである。
  
 人生の達人の哲学、生き方は、根本において必ず仏法に合致している。いな、彼らは、その底流において、仏法を渇仰しているのだ。
(「懸け橋」の章、259~261ページ)
  
  


  
  

陰の善行は明確な善の報いに
 
 
【御文】

 陰徳あれば陽報あり(御書1178ページ、陰徳陽報御書)

 
【通解】

 陰徳があるならば、陽報がある。

 

【小説の場面から】
 

 <山本伸一の第1次訪ソの最終日、モスクワ大学の主催で、歓送のパーティーが開かれた。伸一は、同大学の学生たちに感謝の意を伝える>
  
 学生たちは、滞在中、ホテルで一行と寝食を共にし、荷物の運搬や道案内、車や食事の手配を行うなど、さまざまな面で支えてくれたのである。伸一は、彼らを心からねぎらい、御礼を言いたかった。(中略)
  
 学生たちは、将来は日ソの友好を担って立つ俊英である。伸一は彼らを、「若き友人」と思っていた。(中略)
 彼らは、伸一の訪ソの成功を、わが事のように喜び、コスイギン首相との会談のあとも、こう語っていた。
  
 「山本先生は、ソ日友好の歴史に残る偉大な仕事をされたと思います。そのお手伝いができたことは、私たちの誇りです」
  
 会食のはじめに、伸一は立ち上がると、丁重に御礼を述べた。
  
 「この訪問で、日ソ友好の新しい橋を架けることができました。それを陰で支えてくださった、最大の功労者は皆さんです。私は、心から御礼、感謝申し上げます。ありがとうございました。
  
 東洋の英知の言葉は、『陰徳あれば陽報あり』(御書一一七八ページ)と教えています。人に知られない善行であっても、明らかな善き報いとなって自らにかえってくるということです。これは人間が生きるうえでの大事な哲学です」
  
 皆、笑顔で頷いた。
(「懸け橋」の章、290~291ページ)
  
  

 
  
  

ここにフォーカス 地球人類という普遍の連帯
 

 1975年(昭和50年)1月10日、国連事務総長との会談を終えた山本伸一は、同日、日本協会の歓迎レセプションでスピーチ。新しき時代を開く哲学について語ります。
  
 伸一は、核兵器や公害など、現代社会が抱える問題の本質を、「欲望とエゴに突き動かされ、自己をコントロールしえない『人間』そのものの問題」と指摘します。
  
 そして、人類が目指す新しい方向について、①人類がもたなければならない価値観とは、全地球的な視野に立ったもの②人間は生命的存在であるという認識に立つこと――と論じます。この二つの視点に立脚して、「地球人類という普遍の連帯をもつ」ことを訴えます。
  
 現実は国家のエゴが渦巻き、人類の「普遍の連帯」を築くことは至難です。しかし、伸一は「あえて、このインポッシブル・ドリーム(見果てぬ夢)を、私の生ある限り追い求めていきたい」と、参加者の前で宣言します。
  
 池田先生は、日本と中国の間に友好の「金の橋」を架け、ソ連とも文化・教育交流の大道を切り開いてきました。あらゆる差異を超え、不信と対立を、信頼と友情による連帯へと転換してきたのです。
  
 人類が現在のコロナ禍を乗り越えるには、国家や民族を超えた協力が不可欠です。「地球人類という普遍の連帯をもつ」という視座は、さらに重要性を増しています。

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緑の地球を守る世界市民に

2020年06月14日 | 妙法

緑の地球を守る世界市民に 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」 2020年6月14日

 【写真の説明】陽光に映える木々の緑。木漏れ日の中を、愛らしいリスが駆け回っている。1996年(平成8年)6月、池田大作先生がアメリカ・デンバーの公園でシャッターを切った。
 今月は「環境月間」。地球温暖化をはじめ、世界的な異常気象は、地球の危険を知らせる一つの“サイン”であろう。環境問題の解決のカギを握るのは、私たち一人一人の意識の変革と具体的な行動である。
 プラスチックごみの削減を目的として、来月からレジ袋の有料化も始まる。「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球的に考え、地域で行動する)」の言葉の通り、節電や節水、リサイクルなど、できることから取り組んでいきたい。緑輝く地球を守るために――。
  

 

池田先生の言葉

 地球では、
 生きものの誕生は
 40億年前という。
 それ以来、
 連綿と、
 命が命を育み、
 命が命を支えて、
 私たちを生んだのだ。
 この“生命の輪”が、
 一つでも欠けていたら、
 あなたは今、
 ここにいない。
  
 自然を壊すのは、
 人間を壊すことになる。
 なぜなら自然は、
 人類の
 「ふるさと」だからだ。
 あらゆる生命も人類も、
 大自然の中から誕生した。
 自然という
 環境の中から
 誕生したものである。
  
 自然を愛する人は、
 人を清らかに愛せる。
 平和を大切にする。
 損得の計算の世界を
 超越した、
 情緒豊かな人生である。
  
 戦争やテロは、
 人間への暴力である。
 環境の破壊は、
 自然への暴力である。
 それぞれ
 別の問題ではない。
 根は一つである。
 その根とは、人間、
 そして
 人間を支える自然・環境、
 全ての
 生命の尊厳の軽視である。
 その根本を
 正さなくてはならない。
  
 人間がそこにいる限り、
 同じ地球に生を営む
 仲間がそこにいる限り、
 全てのことに
 断じて無縁ではないのだ。
 私はそうやって、
 国家や体制の壁や
 価値観の違いを超え、
 信仰を持っている、
 いないにかかわらず、
 地球民族として
 友情を結び、
 世界市民の信頼を
 広げてきた。
 今こそ“母なる地球”を、
 生命尊厳と人間尊敬という
 精神の宝で、
 いやまして
 輝かせていきたい。

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小説「新・人間革命」に学ぶ 第20巻 

2020年06月09日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第20巻 名場面編 2020年6月9日

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
絵・間瀬健治

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第20巻の「名場面編」。心さぶる小説の名場面をしょうかいする。挿絵は内田健一郎。
 

人間の心に境界はない!
 

 〈1974年(昭和49年)5月、山本伸一の初訪中が実現。一行は、英国領・香港の羅湖駅から徒歩で中国の深圳駅へ向かう〉

 伸一と峯子は、笑顔で言葉を交わしていたが、あとのメンバーの表情は暗く、皆、押し黙っていた。共産主義の国・中国を初訪問するとあって、緊張しているのである。(中略)
 伸一は、笑いながら皆に言った。
 「もっと嬉しそうな顔をしようよ。私たちは、これから新しい友人に会いに行くんじゃないか。
 どこの国の人も、みんな同じ人間だ。誠実に、ありのままに接していけばいいんだ。話し合えば必ず心は通じ合えるし、わかり合えるものだよ」(中略)
 飛行機の格納庫のような鉄橋を渡ると、カーキ色の軍服を着た、人民解放軍の兵士がいた。兵士にパスポートを見せる――。
 いよいよ山本伸一は、中国・深圳への第一歩を踏みしめたのだ。時計の針は、午前十一時五十分を指していた。
 「こんにちは!」
 日本語が響き、一人の男性と、二人の女性が、小走りで近寄ってきた。男性と女性の一人は中日友好協会のメンバーで、もう一人の女性は広州市の関係者であった。(中略)
 中日友好協会の男性は葉啓滽、女性は殷蓮玉であった。
 葉は、流暢な日本語で語った。
 「ようこそ中国においでくださいました。私たちは皆さんのご案内をさせていただくために、北京からまいりました」
 深圳駅の控室で和やかな懇談が始まった。(中略)
 葉は、伸一の著書である小説『人間革命』を熟読していた。(中略)
 また殷は「小説『人間革命』のテーマを知っています」と言って、「一人の人間における偉大な人間革命は……」と、すらすら暗唱してみせた。
 「すごい! 作者の私でも覚えていないんですよ」
 伸一のユーモアに、笑いが広がった。伸一と青年たちとの触れ合いを目の当たりにして、同行のメンバーがいだいていた中国への“怖い”というような印象は、一瞬にして吹き飛んでしまったようだ。(「友誼の道」の章、23~26ページ)
 


 

中ソの平和の懸け橋に
 

 〈山本伸一は、9月にはソ連を初訪問。コスイギン首相との会見では、第2次世界大戦での、ソ連の人々の過酷な体験に言及したあと、中国への対応について尋ねる〉

 伸一は尋ねた。
 「閣下は、あの第二次大戦の時は、どちらにいらしたのでしょうか」
 首相は静かに答えた。
 「レニングラードがナチス・ドイツに包囲されていた、あの時、私もレニングラードにいました……」
 そう言ったきり、しばらく沈黙が続いた。当時のことを思い返しているようでもあった。
 戦争の悲惨さを知るならば、断じて、その歴史を繰り返してはならぬ。(中略)
 コスイギン首相の目には、平和建設の決意が燃えていた。伸一は、首相を凝視しながら、強い語調で訴えた。
 「ソ連の人びとと同様に、中国の人びとも、平和を熱願しております」(中略)
 語らいは、まさに佳境に入ろうとしていた。(中略)伸一は、三カ月前に中国を訪問した実感を、コスイギン首相に伝えた。
 「中国の首脳は、自分たちから他国を攻めることは絶対にないと言明しておりました。しかし、ソ連が攻めてくるのではないかと、防空壕まで掘って攻撃に備えています。中国はソ連の出方を見ています。率直にお伺いしますが、ソ連は中国を攻めますか」
 首相は鋭い眼光で伸一を見すえた。その額には汗が浮かんでいた。
 そして、意を決したように言った。
 「いいえ、ソ連は中国を攻撃するつもりはありません。アジアの集団安全保障のうえでも、中国を孤立化させようとは考えていません」
 「そうですか。それをそのまま、中国の首脳部に伝えてもいいですか」
 コスイギン首相は、一瞬、沈黙した。それから、きっぱりとした口調で、伸一に言った。
 「どうぞ、ソ連は中国を攻めないと、伝えてくださって結構です」
 伸一は、笑みを浮かべて首相を見た。
 「それでしたら、ソ連は中国と、仲良くすればいいではないですか」
 首相は、一瞬、答えに窮した顔をしたが、すぐに微笑を浮かべた。心と心の共鳴が笑顔の花を咲かせた。(「懸け橋」の章、276~278ページ)
 


 

永遠なる「信義の絆」結ぶ
 

 〈12月、第2次中国訪問の帰国前夜、山本伸一は、入院中の周恩来総理から会見の要望を受ける。病状は重く、医師団は会見に反対したが、総理の強い希望で実現に至った〉

 周総理は、中国と日本の友好交流に対する、伸一のこれまでの取り組みを、高く評価していた。
 「山本先生は、中日両国人民の友好関係は、どんなことがあっても発展させなければならないと、訴えてこられた。私としても、非常に嬉しいことです。中日友好は私たちの共通の願望です。共に努力していきましょう」(中略)
 総理は、彼方を見るように目を細め、懐かしそうに語った。
 「五十数年前、私は、桜の咲くころに日本を発ちました」(中略)
 「そうですか。ぜひ、また、桜の咲くころに日本へ来てください」
 しかし、総理は寂しそうに微笑んだ。
 「願望はありますが、実現は無理でしょう」
 伸一は胸が痛んだ。(中略)
 「周総理には、いつまでもお元気でいていただかなくてはなりません。中国は、世界平和の中軸となる国です。そのお国のためにも、八億の人民のためにも……」
 すると総理は、力を振り絞るようにして語り始めた。(中略)
 「二十世紀の最後の二十五年間は、世界にとって最も大事な時期です。全世界の人びとが、お互いに平等な立場で助け合い、努力することが必要です」
 「まさに、その通りだと思います」
 伸一は、遺言を聞く思いであった。
 会見は、三十分に及ぼうとしていた。伸一は、周総理といつまでも話し合っていたかった。しかし、もうこれ以上、時間を延ばしてはならないと思った。
 彼は、「総理のご意思は、必ず、しかるべきところにお伝えします。お会いくださったことに、心より御礼、感謝申し上げます」と言って、会見を切り上げた。(中略)
 周総理と伸一は、これが最初で最後の、生涯でただ一度だけの語らいとなった。
 しかし、その友情は永遠の契りとなり、信義の絆となった。総理の心は伸一の胸に、注ぎ込まれたのである。(「信義の絆」の章、341~345ページ)
 

 
私は「人類に味方します」

 〈1975年(昭和50年)1月、アメリカを訪問した山本伸一は、キッシンジャー国務長官と会談した〉

 伸一が現下の国際情勢について話を切り出すと、長官の目が光った。
 伸一は、キッシンジャーが一九六九年(昭和四十四年)の一月にニクソン大統領の補佐官となって以来、その奮闘に目を見張ってきた。(中略)
 一九七三年(昭和四十八年)には、ベトナム和平協定を推進したことが高く評価され、ノーベル平和賞を受賞している。(中略)
 山本伸一は、そのキッシンジャー国務長官と、世界の平和のために、存分に語り合い、人類の進むべき新たな道を探り出したかったのである。
 長官は、形式的な礼儀作法などにはこだわらない、合理的で、飾らない人柄であった。そして、決して急所を外さず、鋭い分析力をもっていた。いたって話は早かった。
 伸一が、日中平和友好条約についての見解を尋ねると、即座に「賛成です。結ぶべきです」との答えが返ってきた。
 語らいのなかで長官は、伸一に尋ねた。
 「率直にお伺いしますが、あなたたちは、世界のどこの勢力を支持しようとお考えですか」
 伸一が、中国、ソ連と回り、首脳と会談し、さらに、アメリカの国務長官である自分と会談していることから出た質問であったにちがいない。
 伸一は、言下に答えた。
 「私たちは、東西両陣営のいずれかにくみするものではありません。中国に味方するわけでも、ソ連に味方するわけでも、アメリカに味方するわけでもありません。私たちは、平和勢力です。人類に味方します」
 それが、人間主義ということであり、伸一の立場であった。また、創価学会の根本的な在り方であった。
 キッシンジャーの顔に微笑が浮かんだ。伸一のこの信念を、理解してくれたようだ。
 会談では、中東問題、米ソ・米中関係、SALT(戦略兵器制限交渉)などがテーマになっていった。
 平和の道をいかに開くか――二人の心と心は共鳴音を響かせながら、対話は進んだ。(「信義の絆」の章、377~381ページ)

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SDGs特集

2020年06月08日 | 妙法

SDGs特集〉SDGsジャパン政策顧問の稲場雅紀氏に聞く  2020年6月8日

  • 危機克服の道示す羅針盤がここ

 新型コロナウイルスがもたらした危機を乗り越え、人類社会がより発展していくための「道しるべ」として、国連のSDGs(持続可能な開発目標)が掲げる理念が改めて注目されている。第2次世界大戦以来の「最大の試練」といわれる危機を、「誰も置き去りにしない」社会を築く契機へと転じていくには何が必要なのか。日本のNGOやNPOなど130の団体からなる「SDGs市民社会ネットワーク(SDGsジャパン)」で政策担当顧問を務める稲場雅紀氏に、話を聞いた。(聞き手=高瀬光彦)

 【プロフィル】1969年生まれ。90年代初頭から横浜市寿町で日雇い労働者の保健・医療の活動に従事。その後、LGBT(性的少数者)の人権や、エイズの問題に取り組む。2002年から、NPO法人「アフリカ日本協議会」の国際保健部門ディレクターとして、感染症や国際保健に関する調査や政策提言を行う。現在、一般社団法人「SDGs市民社会ネットワーク」政策担当顧問。
 【プロフィル】1969年生まれ。90年代初頭から横浜市寿町で日雇い労働者の保健・医療の活動に従事。その後、LGBT(性的少数者)の人権や、エイズの問題に取り組む。2002年から、NPO法人「アフリカ日本協議会」の国際保健部門ディレクターとして、感染症や国際保健に関する調査や政策提言を行う。現在、一般社団法人「SDGs市民社会ネットワーク」政策担当顧問。
 
社会の百八十度の転換

 ――コロナ危機によって、世界的に社会の在り方が大きく変化しています。
 
 これまでの社会では「つながっている」ことが重視されていました。グローバルな単一市場の重要性が強調され、“どんどん人と接触せよ。お金の取引をせよ”ということで、いわば世界の果てまで手を伸ばして利益を拡大することが目指されていたわけです。
 
 しかし今回の危機によって、誰もが家にいなければいけないことになった。これは社会の百八十度の転換といってよいでしょう。
 
 この急速な変化の中で、新型コロナの罹患者や一部の国などに対する差別や偏見が強まっていく可能性があります。一時的なものかもしれませんが、急速な大転換の渦中にあって、どのような方針をもって事態の対応に当たっていくべきか。その原則に、私はSDGsを据えるべきだと考えています。
 

 

新型コロナ対策の三つの提言
 

 ――SDGsジャパンは、感染の拡大を受けて3月27日に声明を発表しました。
 
 ええ。声明ではSDGsの理念に基づき、新型コロナの対策として三つの提言を行いました。
 
 まず、最も厳しい状況に置かれた人たちを最優先に支援する必要性についてです。
 
 ソーシャルディスタンス(社会的距離)に基づく緊急対策によって、学校に通えない子どもたちや職を失った人たちのほか、支援の停滞などにより紛争や迫害等で苦しむ人々が深刻な“しわ寄せ”を受ける結果ともなりました。
 
 今後の経済政策として社会全体の経済的な損失を最小限に抑え、景気を浮揚させることは当然、必要ですが、その上で、最も厳しい状況に置かれた人々の生命と生活を救うことに最大限の力を注ぐ必要があります。国内にあっても国際的な政策においても、「誰も取り残さない」という視点が不可欠です。
 
 2点目として、社会的距離を保つことは生命を守る上で不可欠な行動ですが、それが罹患者をはじめ一部の人に対する不必要な差別や、社会からの遮断などの人権抑圧につながることがあってはならないと強調しました。
 
 そして3点目は、危機への対処の一環でさまざまな規制が行われていますが、その手続きは民主主義と法的手続きを順守し、透明性と公開性が担保され、かつ科学的な根拠に基づいた政策でなければなりません。さらに、差別や偏見、虚偽情報をなくすために最大限の方策をとることにも尽力すべきだと考えます。

 

アメリカ・ニューヨークの国連本部内に設置されたSDGsの各目標を紹介するバナー
アメリカ・ニューヨークの国連本部内に設置されたSDGsの各目標を紹介するバナー
 
公共の保健医療制度の充実を
 

 ――17あるSDGsの目標のうち、目標3には「すべての人に健康と福祉を」とうたわれています。今回のコロナ危機に学ぶべき教訓は何でしょうか。
 
 鳥インフルエンザやSARS(重症急性呼吸器症候群)などの先行事例があったにもかかわらず、より感染力の強い感染症が発生した場合にどのように抑え込み、終息させていくかという筋書きが、世界的に共有されていなかった。それが今回、非常に大きな被害につながった一因であると思います。
 
 もう一つは、医療制度が充実していると思われていた欧米においても、保健システムを迅速に機能させられませんでした。背景の一つに、公共の保健医療制度に対する財政支出の低下があります。過度な民営化によって、制度が極めて弱体化していたという事態がありました。
 
 今の時代、パンデミック(世界的大流行)の脅威は、テロリズムや2国間の戦争といった旧来の国家安全保障が想定しているものよりもずっと大きく、地球規模の脅威になっています。
 その意味で今回の教訓は、公共の保健医療制度に対して、資金を含めた政策的な優先順位を格段に上げなければいけないということでしょう。

 

新型コロナウイルスの感染者らを検診した後、消毒を受けるフィリピンの医療従事者。多くの人々によって、地域の保健衛生が支えられている(5月、EPA=時事)
新型コロナウイルスの感染者らを検診した後、消毒を受けるフィリピンの医療従事者。多くの人々によって、地域の保健衛生が支えられている(5月、EPA=時事)
 
“コロナ後”の持続可能な社会の建設へ 今こそ準備と行動を

 ――これまで実施されてきたSDGsの取り組みに、新型コロナのパンデミックはどのような影響をもたらしたのでしょうか。
 
 最も警戒すべきは、“SDGsが忘れ去られてしまう”という事態です。
 
 “新型コロナを克服さえすれば、経済はV字回復する”という考え方は、問題の本質的な解決にはならず、コロナ危機を“なかったことにする”という発想につながっていく懸念があります。19世紀の欧州で、ナポレオン没落後に生じた“ナポレオンはいなかったことにする”という態度に似たものです。その方向に社会が進めば、格差は再び広がっていきかねません。
 
 ゆえに新型コロナと闘っている今こそ、持続可能な社会を志向して準備・行動することが大切なのです。コロナ危機を克服した後の世界を、ウイルスが登場する前の世界よりも一段と持続可能なものにする。それができなければ、SDGsの視点そのものが忘れ去られてしまう危険性さえあります。
 
 私たちの社会、経済の在り方が、どのように今回の危機を生み出してしまったのかという教訓を踏まえ、次の社会への準備をする。これができれば、逆にSDGsの実現にとって非常に大きな後押しになるでしょう。

 

学生部が主催したシンポジウム(昨年12月、都内で)。青年部が取り組む「SOKAグローバルアクション2030」では、SDGsの普及・推進を柱の一つに掲げる
学生部が主催したシンポジウム(昨年12月、都内で)。青年部が取り組む「SOKAグローバルアクション2030」では、SDGsの普及・推進を柱の一つに掲げる
 
前向きな思考へ“自分を変える”ことが重要

 ――新型コロナ終息の道筋が見えない今、社会の先行きに不安が広がっています。
 
 他者との交流を控えなくてはいけない状況では、どうしても悲観的になってしまいがちです。非常に難しいことではありますが、思考のパターンを、“前向き”なものに変えていく努力が必要ではないでしょうか。
 
 つまり、“コロナさえなければ、こんなことにはならなかった”といった受け止め方を変えていかねばならないと思っています。
 
 この状況に対して自らをどのように適応させ、乗り越えていくのか。その先にどんな未来を望むのか。前向きな思考を持てるよう、“自分を変えていく”ことが、今、何よりも大事ではないかと考えます。
 

 
解説

 SDGsの目標3「すべての人に健康と福祉を」は、あらゆる年齢の人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進することをテーマとしている。
 掲げられているターゲットの内容は、妊娠中や出産後の女性と子どもの健康、伝染病や感染症の終息、大気・水質・土壌の汚染による死亡と病気の減少など幅広い。
 日本においては、“心の健康”の維持や、自殺率の削減に、社会全体で取り組むことも課題となっている。

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子どもは「人類の未来

2020年06月07日 | 妙法

子どもは「人類の未来」 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」  2020年6月7日

 【写真の説明】緑の豊かな大地を、悠然と流れるドナウ川。1981年(昭和56年)5月、池田大作先生がオーストリアの首都ウイーンで撮影した。
 ドナウ川はドイツ南西部を水源とし、欧州諸国を経て、黒海に注ぐ。全長2860キロに及ぶ美しい流れは、大地とともに人々の心を潤してきた。
 幾多の支流が合わさって大河となるように、広宣流布もまた、後継の人材によって永遠の流れとなる。
 きょう6月7日は、高等部の結成記念日。同部をはじめとする未来部は、池田先生が第3代会長に就任後、最初に結成された部である。師の心を受け継ぎ、真心の励ましで人材の大河を築きゆこう。
 

 
池田先生の言葉

 子どもたちは
 「未来の宝」である。
 かけがえのない
 「地球の財産」である。
 その貴重な生命を守ることは、
 人類の未来を
 守ることにつながる。
  
 未来部の皆さんにとって、
 学ぶことは、
 かけがえのない権利だ。
 特権である。
 勉強をすれば、
 自分の視野が広がる。
 活躍の舞台が大きくなる。
 今まで見えなかった世界が、
 はっきりと
 見えてくるようになる。
 大空から大地を見渡す「翼」を
 手に入れるようなものだ。
 ゆえに、
 今は大いに学んでもらいたい。
  
 決意した通りに
 勉強できる場合もある。
 できない場合も
 多いかもしれない。
 調子がいい時も、
 悪い時もある。
 しかし、
 どんな時も、へこたれないで、
 「また頑張ろう」と決意する。
 あきらめない。
 その人が最後には伸びていく。
  
 栄養を与えるほど、
 木は大きく育つ。
 同じように、
 魂にも「滋養」を
 与えることである。
 そのためには読書である。
 十代、二十代に読んだ本は
 一生の財産となる。
  
 皆さん方のお父さん、お母さんは、
 偉大な民衆の歴史を
 切り開いている。
 そして後継の皆さんは、
 若き正義の英雄なのである。
 世界広布の先頭を走る、
 若き後継の未来部を、
 皆で応援しよう!
 皆さん方の成長を、
 世界が待っている。
 勉学第一を、
 そして
 親孝行を頼みます。

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