牧口先生 生誕150周年に寄せて――〈寄稿〉教育実践から価値哲学へ㊤ 創価大学・伊藤貴雄教授2021年6月9日
- どこまでも「子どもの側に立つ」 時代を超える普遍的な教育思想

今月6日、牧口常三郎先生の生誕150周年を迎えた。これを記念し、5日に新潟県で行われた教育本部主催の講演会には、創価学会学術部員であり、創価大学教授の伊藤貴雄氏がリモートで登壇。この講演内容を踏まえ、牧口先生の思想の卓越した先見性などについて伊藤教授が綴った寄稿「教育実践から価値哲学へ」を上下にわたって紹介する(㊦は11日付で掲載予定)。

牧口常三郎先生は、「真理の認識」と「価値の創造」が教育の二大目的であるとしています。何事に対しても、世間の評価をうのみにせず、「認識した上で評価する」ことを信条としました。また、それだけにとどまらず、学知を生活に応用し、人々の幸福に資する「価値を創造する」ことを重視しました。
事実、カントやヘルバルト、デューイなど、世界の教育学説にも積極的にアンテナを張り巡らしながら、それを机上のものに終わらせず現場の教育に応用し、新しい教授法に昇華させていきました。
国際連盟事務次長も務めた新渡戸稲造は、「君〔牧口先生〕の創価教育学は、余の久しく期待したる我が日本人が生んだ日本人の教育学説であり、而も現代人が其の誕生を久しく待望せし名著であると信ずる」(「我が国将来の教育と創価教育学」)と評しました。

今日、創価教育学はアメリカ、ブラジル、中国など世界各地で研究されています。現代において改めて浮かび上がるその教育的な知恵について、教育実践と価値哲学という二つの観点から考えてみたいと思います。
牧口先生は1871年6月6日(旧暦)、現在の新潟県柏崎市に生まれ、その後、北海道に渡り、北海道尋常師範学校に入学します。21歳で卒業し、同校附属小学校で教師としての第一歩を踏み出しました。
担当したのは「単級学校」でした。これは、全校児童を一学級に編成した教育形態です。文部省(当時)が小学校制度を全国に急いで普及するために考慮したもので、へき地の多い北海道では必要とされていました。
牧口先生は論文「単級教授の研究」で、「単級小学校は真正の教師を造出する高等師範学校なり」というドイツの教育学者の言葉を引いています。異なる学年の児童が一緒にいる中で、どのようにして学習を進めるか――単級学校は、牧口先生にとって“教育とは何か”を深めていく貴重な研鑽の場でした。
その実践記録は、『牧口常三郎全集』第7巻(第三文明社)に収められています。そこには現代の教育にも示唆を与える多くの視点が含まれています。
単級学校では、学年ごとに予備知識が違うため、全員同時に教えることはできません。最初の5分は1年生、次の5分は2年生……というふうに順々に教えていき、その間、他の学年の児童は自分で学習を進めます。
そのため学習管理が困難になるという短所があります。しかし、牧口先生はそれを長所に転換することを考えました。例えば、上級生は下級生の模範でありたいという思いを持っているものです。この思いを生かしてあげれば、上級生の姿勢が下級生にもよい感化を与え、教師がいちいち命令しなくても学級はまとまります。
牧口先生は、「単級の長所は、家族的な関係にある。しかも教師と生徒との間におけるより、むしろ生徒相互間における影響にある。教育の理想を達成する上で、生徒が社会生活をできるようになる上で、不可欠のものが、実はここにある」(「単級教授の研究」より、趣意)と述べています。
単級学校で育まれる支え合いの姿勢が、社会生活の準備になるというのです。
「水平的」教育観への転換を促す
現在、協同学習やインクルーシブ教育(包括的な教育)が注目されています。
協同学習とは、単に教師の説明を聞くだけの“受け身の学び”ではなく、児童が互いに教え合ったり、話し合ったりする“能動的な学び”によって、知識が定着し、応用力が身に付くというものです。
また、インクルーシブ教育は、障がいのある子どもとない子どもが共に学び合うことを通して、価値観の多様化する現代社会で必要な、他者と力を合わせる資質を育もうとするものです。
牧口先生が担当した頃の単級学校は、経済的に貧しい家庭の児童が多く、衛生や素行の面で地域住民からあまり歓迎されていなかったようです。そのなかで子どもたちの学習環境をより良いものにしようとした牧口先生の努力は、現在のこうした新しい学び方の理念とも響き合うものといえるでしょう。
牧口先生が工夫したことが、もう一つあります。
単級学校では異なる学年の児童が一緒に学ぶため、教師が一学年に割く指導時間がどうしても少なくなります。この短所を克服するには、子どもたちの「自主的な学習」が欠かせません。とはいえ、子どもたちにとって、新しい知識を一人で理解することは非常に困難です。
当時の教育界では、授業後の「復習」を重視する見解が主流でした。しかし、家庭環境によっては、復習時間を十分にとることのできない子どももいます。また、時間があったとしても、強い意志力がなければ、なかなか復習には身が入りません。
そこで牧口先生は、授業のなかで、復習と予習を兼ねた「予習的自修」(準備学習)の時間を設けました。昨日の授業と今日の授業とのつながりを明確にすることで、子どもたちが新しい知識に興味を持ち、自主的に学ぶことのできる巧みな設計をしたのです。
いまコロナ禍でオンライン学習が急速に普及するなか、高等教育を中心に「反転授業」が注目されています。従来の“授業で知識を学び、自宅での復習で定着させる”という仕方を反転させ、“予習で知識を学び、授業でそれを使って定着させる”という方法です。
これは牧口先生の考える「予習的自修」に近い発想といえます。ただし、反転授業においては、保護者のサポートを得られない子どもや、オンライン環境が整っていない家庭の子どもが置き去りにされないように配慮する必要があるでしょう。
その点、「予習的自修」は、授業内でできるという長所があります。課題への取り組みを通して子どもたちを“学びの主体者”にする、きめこまかな配慮です。

その根本には、どこまでも「子どもの側に立つ」という姿勢があります。教師はともすれば数人の優秀な子どもを中心に授業を進めがちです。そこで取り残される子どもがいないようにするためには、「予習的自修」が不可欠であると牧口先生は述べています。
牧口先生が重視した「子ども同士の支え合い」や「子どもの自主的な学習」は、現場感覚から生み出されたものです。
例えば、「教師の説明が多すぎて、生徒がただ受動的に聞く場合や、教師が数人の優秀な生徒ばかり相手に問答する場合、ほとんどの生徒は退屈を感じて学習意欲をそがれてしまう」(「単級教授の研究」より、趣意)と述べています。
知識を持つ者が持たない者に教えるという「垂直的」教育観から、子どもが協力して教え合い学び合うという「水平的」教育観へと転換を促しているのです。これは学校教育のみならず、社会のあらゆる場所において主体的な学びへの道を開くものとして、注目されるべき視点です。
単級学校という困難な環境のなかで、牧口先生は教育関連の新聞や雑誌を読み込み、自身の現場に当てはめつつ改良を模索していきました。その結果、時代を超えて通用する普遍的な教育方法を編み出したのです。
北海道での教育実践を通して、牧口先生は、のちに『人生地理学』や『創価教育学体系』などの著作につながる二つの教育原則を手にします。
第1に、「身近なものから始める」という原則です。これはスイスの教育者ペスタロッチの「実物教授」という考え方に基づいています。身近な物事を題材に得た知識を、段々と遠くの物事にも応用していって、物事に共通する法則を見いださせるのです。
例えば、子どもたちに「川」という観念を習得させるために、①学校のすぐ前を流れる川、②数百メートル離れたところを流れる川、③1キロ離れたところを流れる川について、順番に考えさせることで、川の特徴をつかませていきました。
新たな知識(未知)を、子どもたちが日頃の生活を通して持っている知識(既知)と結び付けることで、学習への興味を自然に持続させる工夫です。
第2に、「多角的な視点で考える」という原則です。これはドイツの教育学者ヘルバルトの「多方興味」という考え方から学んだものです。
ヘルバルトは、物事を観察するときに6種類の興味があるとして、①経験的興味、②思考的興味、③審美的興味、④同情的興味、⑤社交的興味、⑥宗教的興味を挙げました。
この考え方に基づき、牧口先生は、当時、どの家庭にもあった「鰹節」を例にとり、子どもたちに次のような観察をさせています。「どのようにして作られたのか」(思考的興味)、「どういう味か、何に使うのか」(経験的興味)、「何という種類が最も上品か」(審美的興味)、「それはどこで生産されるのか」(社交的興味)。
こうした多角的な観察をさせることで、子どもたちに、自身と社会との多様な接点を深く認識させていったのです。
牧口先生は29歳のときに教職をいったん辞めて上京し、32歳で大著『人生地理学』(1903年)を発表します。
同書では次のように述べています。――人間は数百数千人中の「一郷民」である上に、5000万人(当時の日本の人口)中の「一国民」であり、しかも15億人(当時の世界の人口)中の「一世界民」である。郷土を観察すると必ず、国中のみならず、世界中から流入した文物が見出される。人間は郷土においてこそ「世界民」としての自覚を抱く、と。

これは先ほどの「身近なものから始める」という第一原則の応用です。事実、『人生地理学』は北海道尋常師範学校の「附属小学校」で「教授した草案」からできたことを、牧口先生自ら認めています(「四十五年前教生時代の追懐」)。
郷土を起点にして世界を学ぶ。この視点は、諸国民間のグローバルな協力関係が不可欠となった今日、どれほど強調してもし過ぎることはありません。
その後、牧口先生は、文部省の仕事や、東京の6校の小学校長を歴任しながら、折に触れて自身の考えをメモに残し、59歳から63歳にかけてライフワークの『創価教育学体系』全4巻(1930~34年)に結実させます。

そこでは、「真理の認識」を踏まえた「価値の創造」が、「美・利・善」という観点から論じられています。「美」と「利」を個人的価値、「善」を社会的価値とし、個人と全体の調和、自他共の共存共栄を説き、人間の幸福は「価値の獲得」にあると結論しました。
これは先述の「多角的な視点で考える」という第二原則の応用です。ヘルバルトの6種類の興味でいえば、「真」は思考的興味、「美」は審美的興味、「利」は経験的興味、「善」は同情的興味・社交的興味に当たります。
ただし、牧口先生は宗教的興味に対応する「聖」という価値は立てませんでした。宗教の使命は「人を救ひ世を救ふこと」にあるが、人を救うことは「利」の価値であり、世を救うことは「善」の価値だからです(『創価教育学体系』第2巻「価値論」)。どこまでも現場主義に根ざしたこの価値哲学が、牧口先生の晩年の宗教運動へとつながっていくのです。

〈プロフィル〉
いとう・たかお 1973年生まれ。創価大学文学部教授・東洋哲学研究所研究員。博士(人文学)。専門は哲学・思想史。著書に『ショーペンハウアー 兵役拒否の哲学』など。
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