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開道の旅路 兵庫躍進の源

2022年06月15日 | 妙法

開道の旅路 兵庫躍進の源流2022年6月15日

  • 皆が団結し、悔いなく戦い切ってこそ勝利がある

 池田先生が兵庫に第一歩を刻んだのは、1957年(昭和32年)。それから10年後の67年(同42年)、先生は広布の未来を見据え、“兵庫の戦い”に力を注いだ。この年から翌年にかけての激励行は、兵庫広布史の一つのエポックとなった。

 「躍進の年」と銘打たれた1967年(昭和42年)の1月9日、池田先生は兵庫を訪れた。
 この兵庫訪問には、二つの大きな意義があった。
 1点目は、この年の地方指導が兵庫から開始されたこと。「躍進」の幕は、兵庫から上がったのである。
 2点目は、兵庫本部(現・灘文化会館)の開館式が、師を迎えて開催されたこと。
 それまでの中心会館だった神戸会館は、兵庫の友が集うには、手狭になっていた。新しく誕生した兵庫本部は、阪急電鉄・西灘駅(現・王子公園駅)の近くに完成した。交通至便の場所に建った法城に、同志の歓喜が広がった。
 池田先生は開館式で、学会の使命はどこまでも庶民の味方として戦うことである、と強調。どのような事態に直面しても一喜一憂せず、信心の確信を強く、前進していこうと訴えた。
 さらに、皆が団結し、一人一人が悔いなく戦い切ってこそ、歴史は築かれると述べ、リーダーの団結が一切の勝利の要諦であると語った。
 師の激励に、兵庫の友の「関西魂」は燃えた。翌2月、兵庫総合本部は関西トップの弘教を成し遂げる。4月には、関西を牽引する対話を拡大。池田先生の第3代会長就任7周年の「5・3」を、関西の先駆を切る勝利の実証で荘厳した。
 開館式から7カ月が経過した8月12日、再び兵庫本部を訪れた先生は、上半期の躍進を心から称賛。広布開拓の苦労は必ず、わが身を飾る福運となっていくと訴え、兵庫の同志が異体同心の団結固く、今再びの前進を開始することを呼び掛けた。

池田先生が兵庫本部を訪問(1967年8月12日、神戸市灘区内)
池田先生が兵庫本部を訪問(1967年8月12日、神戸市灘区内)
心豊かに題目を

 兵庫本部が完成し、池田先生が焦点を当てたのは、「人材育成」である。なかんずく、最前線のリーダーの育成は急務だった。一人でも多くの友の心に誓いの種子を蒔こうと、先生は記念撮影を行った。
 そのスタートは、姫路から切られた。67年11月23日、姫路・加古川方面の班長・班担当員との記念撮影が行われる。
 約4200人との撮影は、15グループに分かれて進められた。先生は撮影が終わるたびに、“私はこれからも、皆さんと共に広布に戦っていきます”“心豊かに題目を唱え、福運に満ちた人生を築いていってもらいたい”などと励ましを送った。
 撮影の合間には、場外に集まった友ともカメラに納まるなど、寸暇を惜しんで一人一人と心の絆を結んだ。
 年が明けた68年(同43年)も、先生は兵庫の友との記念撮影を続けた。1月27日、淡路島を初訪問。淡路島・明石総支部の班長・班担当員らとの記念撮影に出席し、約1800人の同志と出会いを刻んだ。
 淡路島では、58年(同33年)に初めて班が結成されていた。以来、10年間で1総支部6支部の陣容にまで発展。先生は撮影会で、淡路島広布の伸展を心からたたえた。
 68年4月14日には、豊岡へ向かい、豊岡・丹波・宝塚総支部のリーダーとの記念撮影に臨む。約1400人の同志とカメラに納まった。
 先生は、各部の友を激励しつつ、一つの繁栄の時代を築くには、大変な苦労と忍耐の連続が必要であると強調。仏道修行においても、粘り強い実践によって境涯が開かれると訴えた。
 終了後、先生は場外でも約700人の同志との撮影に応じた。さらに、豊岡会館(当時)の開館式にも出席。広布に生き抜く人生の偉大さを語り、「妙法と唱うる外の遊楽なきなり」と認め、豊岡の友に贈った。

姫路・加古川方面の同志との記念撮影(1967年11月23日、姫路市内で)
姫路・加古川方面の同志との記念撮影(1967年11月23日、姫路市内で)
淡路島・明石総支部のメンバーとの記念撮影(1968年1月27日、洲本市内で)
淡路島・明石総支部のメンバーとの記念撮影(1968年1月27日、洲本市内で)
豊岡・丹波・宝塚総支部のリーダーとの記念撮影(1968年4月14日、豊岡市内で)
豊岡・丹波・宝塚総支部のリーダーとの記念撮影(1968年4月14日、豊岡市内で)
全精魂を注いで

 68年5月11日、先生は神戸市立中央体育館で行われた兵庫本部の幹部会に出席した。
 「5月11日」は61年(同36年)に神戸、兵庫の2支部合同の結成大会が開催された節目である。
 先生は幹部会で、一段と朗らかに、たくましい兵庫の前進をと語った。
 また、広布の活動にあっては、どのような役職であっても、一人一人が大切な使命を担う尊い存在であることを強調。皆が個性を発揮し、互いが尊敬し合っていくところに、万事を成就する源泉があると訴えた。
 幹部会の翌月も、先生は兵庫を訪れた。6月9日、西宮市内で約4100人の青年部との記念撮影に臨んだ。
 先生は、恩師と共に歩んだ青春時代を述懐し、どこまでも師弟の道を貫くことを強調。さらに、“じっとこらえて今に見ろ”との決心で、10年先、20年先を目指して前進をと望んだ。
 青年たちとの撮影が、前年からの記念撮影の締めくくりとなった。姫路、淡路島、豊岡、そして青年部――。先生は4回の撮影や諸会合などを通して、兵庫全域、さらに全世代の友へ励ましを送ったのである。 
 青年部との撮影の折、一人の役員が、会場の準備が整ったことを伝えるため、足早に先生のもとへ向かった。
 すると、先生は控室で、タオルを額に当て、体を横たえていた。だが、ひとたび会場に向かうや、何事もなかったかのように、全精魂を注いで激励に次ぐ激励を重ねた。
 2時間20分に及ぶ兵庫青年部との記念撮影は、命を削る“戦い”そのものであった。青年に全幅の期待を寄せる師の姿を、役員はまぶたに焼き付けた。
 撮影の終了後、先生は西宮会館(当時)へ。居合わせた同志と勤行し、懇談のひとときを持った。
 ◆◇◆ 
 67年から68年の上半期にかけて、先生が兵庫で刻んだ魂の激励行――。それは、誓願の使命に生きる幾多の地涌の友を呼び起こし、兵庫躍進の源流を開いた「開道の旅路」であった。
 68年7月24日、尼崎市体育会館で開催された兵庫本部の幹部会。先生は訴えた。
 ――いかなる紆余曲折が生じようと、いやまして信心を深め、堅持する兵庫の皆さんであっていただきたい。

兵庫青年部との記念撮影(1968年6月9日、西宮市内で)
兵庫青年部との記念撮影(1968年6月9日、西宮市内で)
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