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大阪の戦い㊤

2023年01月05日 | 妙法

世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第11回 大阪の戦い㊤2023年1月5日

  • 〈出席者〉池田主任副会長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長
師弟不二の道を歩み抜く
ペンを走らせる池田先生(1999年3月、東京・八王子市で)。先生はつづっている。「恩師の『妙悟空』の筆名を『法悟空』として引き継いだ〈人間革命〉は、それ自体が師弟継承の物語といってよい。師の厳しくも温かな眼差しを常に感じながら、先生ならどうされるかを常に問いながら、ペンの闘争に打って出たのだ」
ペンを走らせる池田先生(1999年3月、東京・八王子市で)。先生はつづっている。「恩師の『妙悟空』の筆名を『法悟空』として引き継いだ〈人間革命〉は、それ自体が師弟継承の物語といってよい。師の厳しくも温かな眼差しを常に感じながら、先生ならどうされるかを常に問いながら、ペンの闘争に打って出たのだ」

 
 ◆先﨑 今回から、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」について学んでいきます。小説『人間革命』第10巻には、その歴史と精神が詳細につづられています。
  
 ◇池田 関西の冠は「常勝」です。56年の「大阪の戦い」が、今日まで続く「常勝関西」の源流となっています。
 私にとって、『人間革命』第10巻は、信心の原点とも言える一書です。10巻の連載が聖教新聞で始まったのは、第1次宗門事件が表面化し始めた77年(同52年)の9月3日。終了したのは、78年8月3日です。
 そして、同年11月18日、単行本が発刊されました。この年の4月、私は創価女子学園(現・関西創価学園)に教員として赴任しました。私は10巻を大阪の地で学びました。
 会合に行くと、「大阪の戦い」に参加したという方と会う機会が何度もありました。共通していたのは、池田先生との共戦が、決して過去の思い出で終わらず、現在の戦いや信心のあり方にも生かされていることです。「常勝関西」の強さの源は、ここにあると感じました。
 また、“10巻を読んで、当時の池田先生の心境を初めて知った”と語る方が多かったことも印象に残っています。池田先生は10巻を通して、「大阪の戦い」の精神を、後世の私たちに語り残されているのです。
 10巻には、それまでの9巻とは異なる特徴があります。戸田先生が主人公の物語が、山本伸一の実践を中心とした形で描かれていることです。池田先生は「師の偉大な『構想』も、弟子が『実現』していかなければ、すべては幻となってしまう。師の示した『原理』は『応用』『展開』されてこそ価値をもつ」と、『新・人間革命』第1巻のあとがきに記しています。
 私たちは10巻を通して、池田先生が自らの戦いをもって示した「常勝の方程式」を心に刻み、自らの使命の舞台で、実践していきたいと思います。

『人間革命』第10巻「一念」の章の、池田先生の直筆原稿。右上には「昭和五十二年」に書き始めたと記されている
『人間革命』第10巻「一念」の章の、池田先生の直筆原稿。右上には「昭和五十二年」に書き始めたと記されている
1956年、池田先生の活動の拠点となった関西本部(当時)
1956年、池田先生の活動の拠点となった関西本部(当時)
 
「法華経とは将軍学なり」

 ◆田島 56年5月、山本伸一の指揮のもと、大阪支部は1万1111世帯の弘教を達成します。同年7月には、「“まさか”が実現」と世間を驚嘆させた民衆勝利の金字塔を打ち立てます。この時、伸一はわずか28歳でした。
  
 ◇池田 皆さんと同じ一人の青年です。平日は東京で仕事をし、週末に関西で指揮を執り、再び東京に戻ります。日々の課題を全て成し遂げ、「大阪の戦い」に挑んでいます。その青年が、不可能を可能にする戦いをしたのです。
 伸一は55年(同30年)10月、戸田先生から関西広布の全責任を託されます。当時の関西の会員の世帯数は、わずか3万ほどで、入会して間もない人たちばかりでした。
 関西広布を伸展させるには、いかに戦うべきか――伸一は苦悩に沈みます。10月、11月、12月と、彼は祈りに祈ります。その中で、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし」(新1623・全1192)など、数々の御書の一節が脳裏に浮かびます。まさに、御書を身で読む日々でした。
 56年1月2日、伸一が28歳の誕生日を迎えたその日、「法華経とは将軍学なり」との確信に立ちます。そして、戦いの第一歩を踏み出すに当たって、勝利から逆算します。「目的を成就するためには、なんといっても、信心を根本にした歓喜あふれる折伏・弘教によって、広宣流布への勝利の上げ潮をつくっていかなければならない」と、関西の友への激励を開始するのです。
 恩師から託された広宣流布の構想を断じて実現してみせる――関西の現状が、どれだけ厳しいものでも、伸一の決意は、いささかも揺らぐことはありませんでした。
 日蓮仏法は決して「おすがり信仰」ではありません。自らが誓いを立て、戦いを起こす「誓願の宗教」です。誓いを果たす行動の中に、自身の人間革命があるのです。
  
 ◆林 56年の1月4日、5日と大阪に滞在した伸一は、そのほとんどの時間を個人指導に使います。
  
 ◇池田 「至難な目的の達成のためには、まず、一人ひとりの歓喜にあふれた、主体的な活動が不可欠の条件となる」からです。
 5日の夜には、地区部長会が行われました。席上、伸一は次のように語ります。
 「このたびの戦いでも、関西の会員一人ひとりの、強盛な祈りある信心から始めなければなりません」
 広布の戦いは、まず祈りから開始する――これは、永遠に変わらない方程式です。
 伸一の話は、こう続きます。
 「戦う基盤といっても、学会といっても、広宣流布といっても、一人ひとりの会員が、すべての原点です」
 「会員第一」こそ学会を貫く精神です。広布拡大は、一人への励ましから始まります。
 さらに、伸一は強調します。
 「まず、戦いは、全関西の強盛な祈りから始まるわけであります。これが第一の要諦です。ただ、唱題して、祈りに祈っていけばよいかというと、それだけでは、どうにもなりません。第二の要諦は、最高の作戦、最高の行動です。これがなければ、勝機をつかむことは、絶対にできない」
 「この二つの要諦が調和した時、不可能も可能となり、勝利を得ることができると確信いたします。この調和をさせるものは何かというと、それが信心なんです」
 コロナ禍や少子高齢化など、社会が抱える諸課題によって、私たちの活動のあり方も変化していきます。それに的確に対応していく智慧は、どこまでも信心から生まれることを心に刻みたいと思います。

池田主任副会長と、「常勝の方程式」について語り合う、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長(昨年12月、学会本部別館で)
池田主任副会長と、「常勝の方程式」について語り合う、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長(昨年12月、学会本部別館で)

 
 ◆梁島 「脈動」の章では、初めて支援活動に臨む、ある地方在住の学会員が、立正安国の戦いの意義が分からず、東京から派遣されてきた幹部と衝突する場面が描かれています。
  
 ◇池田 56年の参議院選挙において、戸田先生は各方面の責任者に、「あくまでも信心の浸透によって、社会建設の使命を自覚させ、各人の湧き上がる自発的な熱意」の重要性を強調します。恩師は会員の信心による自覚を促すことに徹しました。
 ところが、焦燥感に駆られ、本来の目的や意義も語らず、いきなり支援活動に走らせようとした派遣幹部もいました。そうした行為が会員の心に、信心に対する疑問を抱かせてしまうことになります。
 新たな人材、若いメンバーが活動の意義や目的を理解し、納得してこそ、広布の前進があります。先ほども確認したように、どこまでいっても、「一人の会員」が「原点」です。
 「脈動」の章には、「この活動のなかで、広宣流布の実践における師弟の関係を、単なる師弟の道ととるか、師弟不二の道ととるかが、初めてあらわにされた」と記されています。
 まさに、「大阪の戦い」は、「山本伸一」という一人の弟子が、「師弟不二の道」を歩み抜いた真の弟子であることを証明した戦いでもありました。
 同章にこうあります。
 「師の意図が、脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとる時、初めて師弟不二の道を、かろうじて全うすることができる」
 「そのためには、師の意図の脈動が、何を根源としているかを深く理解し、自らの血管にたぎらせていく、困難にして強盛な信仰の深化を必要とする」
 伸一が「大阪の戦い」に先立ち、数カ月にわたって一念に課した億劫の辛労こそ、「困難にして強盛な信仰の深化」でした。
 今度は私たちの番です。一人一人が、自らの信心の戦いによって、わが地域に広布の凱歌を轟かせる「青年・凱歌の年」にしていきましょう。

 【参照】
 ◆小説『人間革命』=第10巻「一念」「脈動」
 ◆小説『新・人間革命』=第1巻「あとがき」

 「世界広布の源流」の過去の連載はこちらからご覧いただけます(電子版有料会員)。

 

【世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第12回 大阪の戦い㊥2023年1月6日

  • 〈出席者〉池田主任副会長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長
社会のため、民衆のために
大阪城の偉容を池田先生がカメラに収めた(2000年12月)。1956年2月、「大阪の戦い」の指揮を執っていた先生は、大勝利への決意を「関西に 今築きゆく 錦州城 永遠に崩れぬ 魔軍抑えて」との歌に託し、戸田先生に贈った。大阪城の別名である「錦城」と、中国の難攻不落の都城「錦州城」をかけ、関西に鉄壁の民衆城を築かんとの誓いが込められていた
大阪城の偉容を池田先生がカメラに収めた(2000年12月)。1956年2月、「大阪の戦い」の指揮を執っていた先生は、大勝利への決意を「関西に 今築きゆく 錦州城 永遠に崩れぬ 魔軍抑えて」との歌に託し、戸田先生に贈った。大阪城の別名である「錦城」と、中国の難攻不落の都城「錦州城」をかけ、関西に鉄壁の民衆城を築かんとの誓いが込められていた

 ◆先﨑 1956年(昭和31年)4月8日、大阪球場(当時)で、「大阪・堺二支部連合総会」が開催されます。大雨にもかかわらず、およそ2万人のメンバーが集結し、関西躍進のきっかけとなりました。
  
 ◇池田 小説『人間革命』第10巻「跳躍」の章に、「雨の総会は、関西の全会員にとって、一つの成就であった」とつづられています。
 前月の3月、大阪支部は5005世帯という、かつてない弘教を実らせます。さらに、4月に入ると、総会までのわずか1週間で、4000世帯を超す弘教を達成します。圧倒的な広布拡大の上げ潮の中で、戸田先生を関西の地に迎えたのです。
 この拡大の勢いを生んだのが、山本伸一を中心とする、関西の異体同心の団結でした。足し算ではなく、掛け算のように増加していく――それが、団結の力です。だからこそ、池田先生は、団結の重要性を繰り返し強調されてきたのです。
 総会の席上、戸田先生は「創価学会を大きくしたいとか、あるいは、学会をどうこうするといったような、小さな精神の私ではありません」と語ります。そして、学会活動は広宣流布という民衆救済のためであると述べ、こう訴えます。
 「創価学会の確信と行動において、皆さんは、よくこの根本のところを理解し、立正安国のため、社会のため、民衆のための行動であることを知っていただきたい」
 恩師が総会の参加者に強調した一つが、「何のための活動か」ということでした。この「何のため」ということは、折々に確認していくことが、活動を推進する上で大切です。
  
 ◆田島 大驀進を続ける関西でしたが、派遣幹部と地元幹部の間で軋轢が生じ、互いに批判するようになります。
  
 ◇池田 魔の本質とは何か。「分断」です。「結合は善」「分断は悪」です。魔は師匠と同志、同志と同志の絆を引き裂く事象として現れます。
 伸一は「十字御書」の「わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる」(新2037・全1492)を引用して諭します。
 「団結が破れるのも、口から出るんです。味方のなかに起きる批判・中傷は、ことごとく魔の仕業です」
 さらに、「異体同心事」の一節を拝し、「勝つも負けるも、畢竟するところ、私たちの一念が、固い団結で結ばれているかどうかに、かかっている」と訴えます。伸一の師子吼によって、幹部同士が再び団結するようになります。「真剣の一人」がいれば、魔は正体を暴かれ、退散していきます。
 伸一は4月末から5月にかけての1週間で、大阪と東京を2往復します。夜行列車の移動では、車中で原稿を書き、同志への激励の一文もしたためます。
 『新・人間革命』第23巻「勇気」の章に、「率先垂範のリーダーは、自らの行動を通して人に触発を与え、人びとの“やる気”を引き出し、皆の自主性、自発性を呼び覚ましていく。ゆえに、その組織は、明るく、歓喜にあふれ、上昇気流に乗るように、勝利への流れがつくられていくのだ」とあります。
 伸一の率先垂範の姿は、関西に団結を築き、歓喜を生みました。当時、池田先生と共に広布に駆けた方々が、「あの時は、どうしてあんなに楽しかったのだろう。生活も苦しかったし、信心もよくわからなかったのに、あの歓喜は、今もって忘れることはできない」と回想していることが、その証しです。

関西の同志を励ます山本伸一(小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章から、内田健一郎画)
関西の同志を励ます山本伸一(小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章から、内田健一郎画)
“大悪を大善にしてみせる!”との気迫

 ◆林 5月に入ると、障魔の嵐はさらに激しさを増します。一部のマスコミが、創価学会を「暴力宗教」と報じます。
  
 ◇池田 56年5月15日、6人の学会員が暴力事件の容疑で、不当に逮捕されます。すでに解決済みの個々別々の出来事を蒸し返し、組織的な暴力があったかのように見せる警察の思惑でした。その日の夕刊には、大阪の新聞という新聞がそろって、学会が「暴力宗教」であるかのように報じました。
 同日の夜、戸田先生は大阪市中央公会堂での御書講義に臨みます。席上、「瑞相御書」を通して、「私どもは、末代に生きております。悪人も、釈尊在世中とは比較にならないほど多い。質も悪い。したがって、その瑞相も、比較にならないほど大きなものが現れるというんです。しかも、それは大悪として現れる」と語ります。
 さらに、恩師は「いつ、どこで、私たちが暴力を振るって信仰を強制したというのか。暴力で信心するような人が、今時、一人でもいたら、私はお目にかかりたい」と述べます。
 この言葉に象徴されるように、学会に対するデマは常に、「いつ」「どこで」「誰が」ということが不明確です。
 戸田先生は講義の最後、「御書に照らして申すならば、このたびの事件は、関西勝利の瑞相だと、私は確信するものであります」と宣言します。
 「難」を「勝利」の瑞相と捉える――それは、楽観的な未来予想ではありません。“この大悪を大善にしてみせる”との烈々たる気迫であり、決意です。
 伸一は事件の善後策を講じるために奔走。17日、「電光石火」と大書します。
 この日に行われた早朝の御書講義では、彼は関西の同志の動揺を吹き払い、自身の真情を力強く語ります。
 「正しい仏法が、正しい信仰が、最後に必ず勝たないわけがない。世間や新聞が、なんと中傷しようと、それに紛動されては、せっかく信心してきた多くの会員が、幸せになれるものを、むざむざ捨てることになります。そうなっては、一月から今月まで、一生懸命にやってきた何万という大阪の学会員が、かわいそうです」
 広布の戦いは、さまざまな形で魔が蠢動します。そんなものに信心を破られてはなりません。互いに励まし合いながら、前進していきたいと思います。

1956年5月、吹き荒れる障魔の嵐の中、関西本部で「勇戦」と大書する池田先生
1956年5月、吹き荒れる障魔の嵐の中、関西本部で「勇戦」と大書する池田先生

 ◆梁島 男子部は今、「我、新時代の山本伸一なり!」とのスローガンを胸に、“電光石火”の言論戦に挑戦しています。
  
 ◇池田 頼もしい限りです。『人間革命』第10巻「険路」の章に、「真実は、叫ばなければわからない。力の限り訴え抜いていくなかにこそ、『正義』が『正義』として輝く」とある通り、青年が先頭に立って、正義を叫び抜いてもらいたい。
 6人の学会員の逮捕から3日後、戸田先生は記者会見を開きます。そこで、警察の捜査がいかに不当であるかを語り、記者の質問に一つ一つ答えながら、学会に対する曲解を解くことに努めます。
 夜、戸田先生は大阪一円の班長会に出席し、こう語ります。
 「こういう、けしからん事件が大阪で起きたのも、現代社会のばかげた一面です。そこには、政治権力の意図がある」
 「高潔にして有能な政治家が、今ほど必要な時はない」
 「諸君、われわれの力で、ひとつ思い切りやってみようではないですか。絶好のチャンスです。魔の蠢動の息の根を止めるのも、われわれの信心が、一歩も退かなければいいんです」
 その先頭に立った伸一は、連日、激励を続けます。回った座談会場が10カ所を超えた日もありました。各地の座談会は、信心の喜びにあふれ、入会希望者も相次ぎます。
 関西本部は、各地から報告に来る幹部であふれました。その勢いは、“建物が軍艦のように揺れ動いた”とも伝えられています。
 56年5月、大阪支部は1万1111世帯の弘教を成し遂げます。この「不滅の金字塔」は、警察の不当捜査やマスコミの偏見に歪んだ報道など、迫害の中で築かれたのです。
 競い起こった障魔を、関西の同志は信心と団結の力で、勢いに変えていきました。いかなる時も、信心の歓喜と確信は、難を乗り越える原動力です。

 【参照】
 ◆小説『人間革命』=第10巻「跳躍」「険路」
 ◆小説『新・人間革命』=第23巻「勇気」

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