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「異体同心」で心を一つに

2023年04月22日 | 妙法

第28回 「総務の戦い④」 「異体同心」で心を一つに!2023年4月22日

  • 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治
【「若き日の日記」1959年(昭和34年)3月28日】
先生――私を、見守り給え。 
新しき時代と、社会は、われらで築くぞ。
1983年(昭和58年)の5月3日を記念して、池田先生がしたためた「東京凱歌」
1983年(昭和58年)の5月3日を記念して、池田先生がしたためた「東京凱歌」
真の味方づくり

 1959年(昭和34年)3月9日、池田先生は日記に記した。
 「夜、恩師の一周忌についての『大白蓮華』の原稿を書く。折伏・布教を忘れたら――創価学会の存在価値はなくなる
 戸田先生の一周忌となる同年4月2日を目前に控え、池田先生は全国各地での激励行を加速させていく。
 3月22日、愛知・豊橋に第一歩をしるした先生は、豊橋支部の幹部会で「四条金吾殿御返事」を講義。「いよいよ強盛の信力をいたし給え」(新1554・全1143)との御文を通し、「信心は、最後の最後まで戦うということなのです」と、執念の大切さを訴えた。
 翌23日、初めての滋賀指導に訪れ、大津市内の会場へ向かう。「妙一尼御前御返事」を講義し、“純粋な信心”“不退の信心”を貫くことを強調した。
 24日、先生が泊まっていた琵琶湖畔の宿舎に、同志が集ってきた。この時、先生は求道の友を励まし、同志の姿をカメラに収めた。後日、先生が撮影した写真は、全員に届けられた。それは、同志にとってかけがえのない宝となった。
 宿舎を出た先生は、徒歩で大津駅へ向かった。途中、同志の家へ立ち寄り、心の絆を結んだ。駅のホームでは、駆けつけてきた友らと出発時間のギリギリまで懇談を重ねた。
 関西指導にかける当時の思いを、先生は記している。「(戸田)先生が行けなかった土地へ、私が名代として派遣されたのだという決意で、大切な同志を激励した」
 恩師の名代として、一瞬に全精魂を注いで、友の心に発心の種子を植えた。
 滋賀を出発した後、励ましの舞台は福井に移った。これが福井初訪問である。先生は、武生市(現・越前市)での指導会に出席。確信の声が、会場に響いた。“広布のための一切の行動は、必ず無量の功徳が集まり、無辺の善根が広がっていく。忍耐強く、勇気をもって、楽しく前進してください”
 25日も、宿舎で激励が続いた。先生は率直な真情を語った。
 「学会が非難を浴びた時に、耐えていける人を味方というんだよ。私は、その真の味方をつくりに来たのです」

「いよいよ、峻厳なる信心を基(もとい)として、一致団結し、火の玉になって、勝って(戸田)先生にご報告しようではありませんか」――学会の春季総会で烈々と語る池田総務(1959年5月3日、東京・両国で)
「いよいよ、峻厳なる信心を基(もとい)として、一致団結し、火の玉になって、勝って(戸田)先生にご報告しようではありませんか」――学会の春季総会で烈々と語る池田総務(1959年5月3日、東京・両国で)
悔いなき真剣勝負

 1959年(昭和34年)3月25日、池田先生は、京都の福知山に入った。
 約1800人が集った指導会で、先生は「四条金吾殿御返事(此経難持御書)」を講義。自身の苦闘を信心で乗り越えた体験を通して、「皆さん方も本気になって信心し、大きな体験をつかんでいただきたい。体験は確信につながります」と力説した。
 講義の後、質問会が行われた。男性が「妻が学会活動に反対です」と悩みを打ち明けた。先生は端的に語った。
 「奥さんに優しくしてあげてください。あなたに原因があるのです」
 身近にいる家族が、学会理解を深められるかどうかは、自身の一念と振る舞いにかかっている――そのことを、先生は強調したのである。
 翌26日、岐阜へ向かった。先生は岐阜市内の指導会で、京都に続いて、「四条金吾殿御返事(此経難持御書)」を講義し、烈々と語った。
 「世のために尽くそうとする人が必ず迫害を受ける時代です。いわんや宗教革命をやろうという私たちです。難があって当然です。三障四魔と戦うことが、仏法なのです。仏法は勝負です
 中部・関西指導から帰京した先生は、日記につづった。
 「地方指導より帰る。豊橋、大津、福井、福知山、そして岐阜と」「真剣勝負の日程に悔いなし」(『若き日の日記』、1959年3月28日)
 恩師の一周忌の「4・2」を目指し、先生は真剣勝負の激励とともに、聖教新聞の充実にも力を注いだ。3月20日付、27日付、4月3日付の本紙に、「一周忌を迎えて」と題する池田先生の記事が掲載された。その中で、先生は万感の思いを述べている。
 「戸田先生が御逝去あそばされてから一年、短いと言えば短かったが、これくらい長く重く感じられた一年はなかった。しかし、戸田先生の御生存中と全く同じように先生の思想、先生の声、先生の心をまざまざと感ずるのである」
 池田先生の心には、常に戸田先生がいた。胸中の恩師と対話し、恩師の精神を五体にみなぎらせ、全国を駆けた。
 4月5日、先生は中国・九州指導へと出発。6日、山口・岩国で開かれた指導会で、「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」を講義した。
 質問会も行われ、大学受験に失敗し、“どうしたらいいか分からない”との相談があった。先生は質問者を温かく包み込むように語った。
 「受験に失敗したからといって、クヨクヨする必要はありません」「自分自身を変革していくのが、この信心です。生涯、御本尊から離れず、気を大きく持って進んでいってください」
 7日、大分空港(当時)に降り立った。記念すべき大分への第一歩。先生は、高崎山で青年部員が待っているとの報告を受けると、ただちに足を運んだ。
 高崎山は、野生のサルで有名な場所である。大きなサルばかりがエサを取り、小さなサルのエサまで横取りする瞬間があった。その様子を見ながら、先生は言葉に力を込めた。
 「動物の世界は力の強い方が勝つ。ましてや、人間の世界は権力の世界だ。権力の横暴に、ずっと庶民は泣いてきた。だから、私は戦うんです」
 そして、青年たちへの思いを語った。
 「君たち青年の成長を見守ることが、私の心であり、使命なのです」

最後まで全力を
第1回東京総会に際し東京の同志が設置した「七つの鐘」のオブジェを、力強く打ち鳴らす池田先生(2001年4月、東京戸田記念講堂で)
第1回東京総会に際し東京の同志が設置した「七つの鐘」のオブジェを、力強く打ち鳴らす池田先生(2001年4月、東京戸田記念講堂で)

 7日夜、大分市内で指導会が開催され、八女支部や福岡支部などから同志が集った。終了後も、別府の宿舎で激励が続く。
 その場にいた青年は、緊張で顔がこわばっていた。先生は青年に語った。
 「私がいる時は、安心していいんだよ。楽をしていいんだよ。むしろ私がいない時にこそ、緊張感をもって、同志のためにしっかりと戦ってもらいたいんだ」
 師が見ている時は誰でも頑張れる。師が見ていない時、誓いを果たそうとする自分自身なのかどうか――青年は、先生の励ましに決意を深くした。
 8日、先生は宮崎に移動し、指導会に出席。翌9日、青島にも足を運び、友を激励する。その日の夜、鹿児島での野外指導会に臨み、10日には福岡での指導会で御書講義を行った。
 11日に帰京すると、13日に千葉市の指導会へ。14日は千葉・船橋市の指導会で渾身の励ましを送った。16日には、神奈川・横須賀の指導会で御書の「異体同心事」を講義。団結の重要性を語った。
 この4月、統一地方選挙が行われた。同志の真心の支援によって、全国で293人の地方議員が誕生した。
 「選挙のベテランたちを『あッ』といわせるに充分な成績だった」と書く週刊誌があった。「創価学会の進出がめざましく、各区とも当選者が増加している」と報道する一般紙もあった。
 恩師亡き後、“学会は空中分解する”との中傷が吹き荒れた。だが、そんな世間の風評を打ち破り、学会は新たな黎明の時を迎えつつあったのである。
 総務就任1周年となる6月には、参議院議員選挙が行われた。3年前の56年(同31年)、先生の指揮のもと、大阪は“まさかが実現”との勝利の歴史を刻んだ。一方で、東京は苦杯をなめた。同志は、“今度こそ”と対話にまい進した。
 先生は、東京各区を激励に回った。
 ある時は、わずか一日の間で、文京、台東、墨田、葛飾、江戸川へ。またある時は、自転車や軽トラックの助手席に乗り、“一対一の激励”に奔走した。
 各地を駆けながら、模造紙に「団結」などの書をしたため、雪辱に燃える本陣の友の魂を鼓舞した。号令主義ではなく、広布の最前線を率先して歩く。一人の励ましに力を注ぎ、皆の力を引き出す。それは、「大阪の戦い」と同じ方程式であった。
 「東京の戦い」の最終盤、先生は、中野、杉並、練馬の友の集いに出席し、「最後まで全力を尽くして勝利を勝ち取っていこう」とエールを送った。香峯子夫人も、大田・蒲田の同志のもとへと足を運び、友の奮闘をたたえた。
 4月に行われた統一地方選の東京区議選で、学会が支援する候補者は全員当選を果たした。さらに、6月の参院選東京地方区ではトップ当選。2位に大差をつけての圧勝だった。「東京凱歌」の歴史が刻まれたのだ。
 新聞各紙には「なぜ強い創価学会」などの見出しが躍った。56年に続き、世間が驚く勝利劇をつづったのである。
 「東京の戦い」の時、先生は訴えた。
 「今回の戦いは、雪辱戦です。断じて勝たねばならない。そのためには異体同心で、東京が心を一つにして、団結しなければなりません。
 みんなが『勇気、正義、信念の人』であることを証明しなければなりません。広宣流布のために、一人一人が師子の道を歩まねばなりません。
 私たちの戦いです。私たちの信心の戦いです。題目をあげ抜いて、心を一つにして戦えば必ず勝てる!」

「第2東京大文化祭」に出席し、両手を広げながら、同志の奮闘をたたえる池田先生(1998年12月5日、東京体育館で)。先生は、健闘する友へ句と和歌を贈った――「天晴れて 東京第二は 大勝利」「万歳と 勝ち鬨送らむ 全世界 遂に立ちたり 緑の東京」
「第2東京大文化祭」に出席し、両手を広げながら、同志の奮闘をたたえる池田先生(1998年12月5日、東京体育館で)。先生は、健闘する友へ句と和歌を贈った――「天晴れて 東京第二は 大勝利」「万歳と 勝ち鬨送らむ 全世界 遂に立ちたり 緑の東京」
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