希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 御書とともに2022年7月4日
- 決めて祈り、行動する時、道は開く!
連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」で引用された御文と、折々の励ましの言葉を紹介します。
いかなる世の乱れにも各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり。
(新1539・全1132)
これが、流罪の地・佐渡にあって、門下を厳然と守りゆかれる大聖人の「祈り」であられた。
人ではない。自分である。広布のリーダーは、まずみずからが祈ることである。
人を動かすのではない。自分自身がエンジンとなって、回転していくのである。そこに、すべての勝利の原動力がある。
とくに青年は、求めてみずからを鍛えなければならない。
若いときからお金もある、何の苦労もない――では人物はできない。民衆を守る偉大な指導者になれるわけがない。
苦労に苦労を重ねて、何があろうとも微動だにしない王者の自分自身を築きあげていただきたい。
(『池田大作全集』第87巻、86ページ)
各々なにをかなげかせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立っておどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか。
(新2145・全1300)
師匠は不惜身命で大難と戦い抜き、そして勝ち抜かれた。ゆえに、その師匠に続く弟子も苦難に立ち向かうのは当然だ。
崇高な使命の闘争に、楽な戦いなどない。試練と戦うからこそ、仏の力が出せる。苦難に打ち勝つからこそ、師と共に仏になれる。これが法華経を貫く師弟の勝利の舞なのであります。
あの大阪の戦いも、皆が地涌の舞を舞いながら「まさか」を実現した。(中略)
ともあれ、大変であるほど、師弟不二の信心の力で、仏の智慧を出して、我らは戦い進む。その姿を、心ある人々は真摯に見つめています。必ず仏縁が結ばれ、味方は広がります。
(『御書と師弟』第3巻、50ページ)


今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。
(新2085・全1451)
私も、わが師と共に、わが同志と共に、幾度となく「此の事にあはん為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあります。同志の皆様もそうでしょう。
大聖人は、これから弥三郎が臨まんとする法論こそ、武士が名を挙げるチャンスである合戦と同じく、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機だと教えられています。
そこで譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。そこは古来、京都に攻め入る際の要衝です。そこを余人に先駆けて突破して名を挙げることに、多くの名将たちも命を懸けたのです。
私にとって、この一節は「“まさか”が実現」と、世間をあっと驚かせた「大阪の戦い」(1956年)の渦中、わが関西の同志と深く拝した御文でもあります。
「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である――こう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻、76ページ)
始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし。さなくして、後悔やあらんずらん。譬えば、鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成って歩みをさしおきては、何として都の月をば詠め候べき。
(新2063・全1440)
いざという時に「やらんかな!」と勇み立つ生命は、金剛不壊の仏の大境涯を開くことができる。
大変だからこそ、大きく「心の財」が積まれるのだ。
戸田先生は、「広布の戦いは、皆が最後は『本当に楽しかった』と言えるまでやり通すのだ」と教えてくださった。
何事も、中途半端では喜びはない。一念を定めて祈り切り、ベストを尽くして走り切る中で、人間革命できるのだ。
「始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし」「信心の歩みを運ぶべし」(新2063・全1440)である。
社会のため、未来のため、楽しく朗らかに動き語り、共々に栄光の峰を登攀しよう!
(創価新報「池田大作先生が贈る 青春勝利の大道」第25回)
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