<新・人間革命と私> 東京・豊島総区長 丸山直樹さん2021年8月18日
「仏法は勝負」である。ゆえに、広宣流布の戦いは、いかなる逆境が打ち続こうが、断固として勝つことを宿命づけられているのだ。広布の勝利王は、即人生の勝利王となり、幸せの勝利王となる。
<第30巻(上)「雌伏」の章>
1979年(昭和54年)11月、豊島区の東京戸田記念講堂で行われた本部幹部会の席上、山本伸一は会長辞任後、初めて学会歌「威風堂々の歌」の指揮を執る。反逆者や邪宗門の画策により、会合での指導や聖教新聞に出ることができない状況が続く中、伸一の雄渾の指揮に友の心は燃え上がり、反転攻勢の大行進が開始されていく。
初代会長・牧口常三郎先生が殉難され、第2代会長・戸田城聖先生が若き日の池田先生と広布の礎を築かれた豊島区。この三代会長有縁の天地に東京戸田記念講堂が完成したのは、1979年(昭和54年)のことです。
第1次宗門事件の嵐の中、池田先生は「ここを“戸田塾”として、本物の広布の弟子をつくってみせる」と、開館から半年間で18回訪問。会合で指導できないならと、来館者との懇談や学会歌の指揮などで、同志を鼓舞し続けてくださいました。
広布を阻む悪とは断じて戦い、立正安国の旗を打ち立てゆくことこそ、豊島の使命にほかなりません。
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私は1991年(平成3年)から東京戸田記念講堂に29年間勤務させていただきました。配属された当時は邪宗門による師弟分断の謀略が渦巻いていましたが、池田先生はその激闘の中にあっても同講堂を訪問。到着するや、会合役員のもとを訪れ「何か困っていることがあったら、何でも私に言いなさい」と激励してくださいました。いかなる時も陰で戦う友に慈愛を注ぐ先生の姿を、生涯忘れることはできません。
第2の「七つの鐘」が始まる直前の2001年(同13年)4月、第1回東京総会が同講堂で開催された折、先生は東京の有志が4階ロビーに設置した「七つの鐘」のオブジェを力強く打ち鳴らしてくださいました。そして4年前の4月、66回目の訪問の際にも、再びその鐘を鳴らしてくださったのです。私は先生が奏でてくださった鐘の音を、新たな希望の未来を開く暁鐘として命に刻みました。
かつて池田先生は、長編詩の中で「決めた戦いは 断じて勝つ! これぞ 豊島の伝統なり!」と期待を寄せてくださいました。
師弟の魂魄がとどめられた豊島から、勝利の鐘を響かせゆく時は今!――師と同じ心で、眼前の一人を大切にし、信頼と友情の輪を広げてまいります。
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