毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

立正安国③

2021年09月30日 | 妙法

〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 立正安国③2021年9月30日

  • 大衆とともに新たな時代を

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は小説『新・人間革命』から、「立正安国」(全4回予定)の第3回を掲載します。

【民主主義の要諦】 人々の「健全な魂」の開花が不可欠

 〈1962年(昭和37年)2月、山本伸一はギリシャのアテネを訪れた。哲人ソクラテスが投獄されたと伝えられる牢獄の前に立ち、彼を死に追いやった、アテネの「民主主義」について考える。そして、伸一は同行の幹部と、ソクラテスの弟子・プラトンについて語り合う〉
 
 プラトンが生涯を捧げたテーマ――それは、どうすれば、この世に「正義」を実現できるのかという根本的な問題であった。その探究の結論が、「哲人政治」の理想であった。
 
 プラトンは、大著『国家』のなかで、いわゆる“哲人王の統治”こそが、国家と人類に幸福をもたらす「最小限の変革」であると主張したのである。
 
 彼は、政治制度の在り方を分類して、第一を哲人王による王制とし、以下、名誉制、寡頭制、民主制、僭主制の五つを挙げている。民主制は、四番目の低い評価である。
 
 民主制は人類の偉大なる知恵であり、発明である。しかし、それも、民主制を担い立つ人間自身のエゴイズムを制御し、自律する術を知らなければ、本来の民主とは全く異質な“衆愚”に陥りかねないことへの鋭い批判の矢を、プラトンは放ったのである。(中略)
 
 人間の魂が正しく健康でなければ、いかなる制度も正しく機能しない。水は低きに流れる。人間もまた、内なる鍛錬、人格の陶冶がなければ、欲望の重力の赴くままに堕落を免れないのである。
 
 ゆえに、プラトンは、引き続いて「魂の健康」「魂における調和」を考察し、“自己の内なる国制”に目を向けるように促す。
 
 “外なる国制”を正義に適った最良のものにしていこうとするならば、必然的に“内なる国制”の整備を必要とするのである。つまり、「魂の健康」を育む哲学こそが、民主制を支える柱なのである。
 
 プラトンは「哲学者たちが国々において王となって統治するか、あるいは現在王と呼ばれ権力者と呼ばれている人々が、真実にかつ充分に哲学するのでないかぎり」、「国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だ」と述べている。(中略)山本伸一は、再び青年たちに語りかけた。
 
 「師のソクラテスのような『正義の人』が、絶対に殺されることのない国家を建設しようと、プラトンは民主制の“落とし穴”を徹底的に解明していった。現代でも、しばしば民主政治に対して“衆愚政治”などという非難があるが、民衆の健全なる魂の開花がなければ、真実の民主はありえない。
 
 結局、民衆を賢く、聡明にし、哲人王にしていくことが、民主主義の画竜点睛であり、それを行っているのが創価学会なんだよ」
 
 (『新・人間革命』第6巻「遠路」の章、114~117ページ)
 
 ※プラトンの『国家』は、田中美知太郎・藤沢令夫他訳。

画・内田健一郎
画・内田健一郎
【公明党結党への期待】 民衆の幸福と平和のための党に!

 〈1964年(昭和39年)5月、日大講堂で行われた男子部幹部会の席上、山本伸一は公明党の結党を提案する〉
 
 仏法者として、立正安国という民衆の幸福と平和を実現していくためには、日本の政治の改革を避けて通るわけにはいかなかった。
 
 日本の政治家には、何よりも、まず指導理念が欠落していた。
 
 たとえば、世界の平和を口にしても、イデオロギーや民族の違いをどう乗り越えるかという哲学をもつ、政治家はいなかった。
 
 それゆえに、仏法の大哲理に基づく、「地球民族主義」という理念を掲げた政党の必要性を、伸一は、痛切に感じていたのである。
 
 「地球民族主義」は、かつて、戸田城聖が提唱したものである。
 
 ――人類は、運命共同体であり、民族や国家、あるいはイデオロギーなどの違いを超えて、地球民族として結ばれるべきであるとする考え方である。公政連の「国連中心主義」の主張も、「地球民族主義」から導き出されたものであった。
 
 また、東西冷戦の構図がそのまま日本の政界に持ち込まれ、既成政党は、片やアメリカに追随し、片やソ連に従うなど、政党としての自主性に乏しかった。イデオロギーや他国の意向に、左右されるのではなく、民衆の幸福と平和の実現を第一義とし、中道の立場から政治をリードしていく政党を、人びとは待ち望んでいるはずである。
 
 さらに、日本の政治改革のためには、腐敗と敢然と戦う、清潔な党が出現しなければならない。政界浄化は、公政連の出発の時からの旗印であり、これまでの腐敗追及の輝かしい実績は、比類がない。
 
 また、日本には、真実の大衆政党がなかった。
 
 保守政党は、大企業擁護の立場に立ち、革新政党はその企業などに働く、組織労働者に基盤を置いている。しかし、大衆は多様化しており、数のうえで最も多く、一番、政治の恩恵を必要としているのが、革新政党の枠からも漏れた、未組織労働者であった。
 
 民衆の手に政治を取り戻すためには、組織労働者だけでなく、さまざまな大衆を基盤とした、新たな政党の誕生が不可欠である。
 
 多様な大衆に深く根を下ろし、大衆の味方となり、仏法の慈悲の精神を政治に反映させゆく政党が、今こそ躍り出るべきであろう。それが衆望ではないか――山本伸一は、こう結論したのである。
 
 (『新・人間革命』第9巻「衆望」の章、360~361ページ)

1974年4月、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で講演する池田先生。仏法の中道主義とは、「アウフヘーベン(止揚)に近い言葉」であり、「物質主義と精神主義を止揚する第三の『生命の道』」であると語った
1974年4月、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で講演する池田先生。仏法の中道主義とは、「アウフヘーベン(止揚)に近い言葉」であり、「物質主義と精神主義を止揚する第三の『生命の道』」であると語った
【「中道政治」とは?】 人間性尊重する慈悲の政治を実現

 〈1967年(昭和42年)1月、東京・日本武道館で行われた新春の幹部会の席上、山本伸一は公明党の創立者として、党のビジョンを語り、「中道政治」について論じた〉
 
 「私どものめざす中道政治とは、一言でいえば、仏法の中道主義を根底にし、その生命哲学にもとづく、人間性尊重、慈悲の政治ということになります。
 
 人間性尊重とは、人間生命の限りない尊厳にもとづき、各人各人の個性を重んじ、あらゆる人が最大限の幸福生活を満喫していけるようにすることにほかなりません。社会のいっさいの機構も、文化も、そのためにあるものと考え、政治を行うのが、人間性尊重の政治であり、それによって築かれる社会こそ、われらの理想社会であると思うのであります」
 
 次いで彼は、資本主義も共産主義も、ともに「人間不在」の政治に陥り、本末転倒の姿となっていることに、本源的な行き詰まりがあると指摘していった。
 
 「資本主義社会においては、利潤の追求が第一義であって、そのため、人間一人ひとりの幸福が犠牲にされることも少なくない。共産主義社会においても、画一的な経済体制、全体主義的な国家形態のもとに、個々の人間の自由は強く抑圧されている。
 
 この結果、資本主義社会は、大衆の犠牲をなんとか少なくしようとする方向へ、修正を余儀なくされております。また、共産主義社会も、個人の自由を認めるように、大幅な修正を加えざるをえなくなっております。
 
 世界の時代の趨勢は、真に人間性に立脚した中道主義、中道政治を求めて動いていることは明らかです。
 
 まさに、中道主義によって、平和と繁栄の新社会を築くことを、全民衆が心から待望する時代に入ったと、私は確信するものであります」
 
 地鳴りのような大拍手が場内を揺るがした。皆、目の前の霧が、一瞬にして晴れていくような思いがしてならなかった。
 
 伸一は、ここで、中道主義によって築かれる社会とは、「信頼と調和」を基本理念とする新しき社会であることを述べた。
 
 そして、国家と国家の抗争も、国内のさまざまな対立も、その根底にあるものは常に相互不信であり、それらを超えゆく指標こそ、「信頼と調和」の社会であることを訴えた。
 
 (中略)この講演は、公明党の進むべき道を示しただけでなく、日本の政治の進路を照らし出すものとなった。
 
 確かな未来像をもち、進むべき指標があれば、希望が湧く。希望は、勇気を呼び、前進の活力となる。
 
 山本伸一が発表した公明党のビジョンを聞くと、同志の支援活動に一段と力がこもった。皆、胸を張り、自信をもって、政治のあるべき姿を訴えていった。
 
 (『新・人間革命』第11巻「躍進」の章、332~333ページ)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハーバード大学講演30周年に寄せ | トップ |  ローザ・パークス »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

妙法」カテゴリの最新記事