輝きの瞬間〉 11月2022年11月2日
連載「輝きの瞬間」では、師弟の黄金の歴史を紹介する。今回は11月の広布史を掲載する。
国立トリブバン大学での記念講演
池田先生を乗せた飛行機が、アジアの空を飛んでいた。1995年10月末、アジア平和旅へ出発した先生は、初めてネパールを訪れた。
11月2日、先生はネパール随一の最高学府・国立トリブバン大学の卒業生への学位授与式に主賓として出席。「人間主義の最高峰を仰ぎて――現代に生きる釈尊」と題して記念講演に立った。社会へ羽ばたく卒業生一人一人に直接語りかけるように、講演を始めた。
先生は、“人類の教師”釈尊が残した精神遺産を「智慧の大光」「慈悲の大海」の二つの角度から考察。「智慧の大光」が照らし出すメッセージについて、①生命の宝塔を輝かせよ②民の心に聴く③“智慧”よく“知識”を活かす、と論及した。「慈悲の大海」に関しては、①人類の宇宙的使命は慈悲にある②ヒマラヤのごとく悠然と③自他ともの幸福を目指せ、であると強調した。
最後に、ネパールの次代を担う卒業生に、「平和と生命尊厳の21世紀」へ飛翔してほしいと訴え、講演を結んだ。
大学の副総長は、「素晴らしい講演でした。釈尊を語る人はいても、釈尊を実践する人はいません」とたたえた。翌3日には、同大学から「名誉文学博士」の称号が授与された。
授与式の終了後、先生は、首都カトマンズ郊外の丘に向かった。雲がほんのりと茜色に染まり始めていた。かなたには、ヒマラヤの秀峰が浮かんでいる。カメラを向ける先生のもとに、近所の村の子どもたちが駆け寄ってきた。先生は心から励ましを送った。
「ここは仏陀(釈尊)が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。皆さんも同じです。すごい所に住んでいるのです。必ず、偉い人になれるんです」
「釈尊生誕の国」で、心と心が通い合う、一幅の名画のような出会いが刻まれた。
東京富士美術館の開館
東京・八王子の地に“美の殿堂”東京富士美術館がオープンしたのは、1983年11月3日のこと。開館を飾ったのは、「近世フランス絵画展」である。
世界的な美術史家ルネ・ユイグ氏の協力のもと、ルーブル美術館をはじめ、名だたる美術館の傑作が出展された。同展は美術研究者らを唸らせた。
第3代会長に就任以降、池田先生は“芸術を民衆の手に取り戻そう”と、美術館創立のため、あらゆる手を打ち続けてきた。海外を訪れた際には、各国の美術館・博物館などを視察。また、一流の文化人や芸術家と語り合い、友情を深めてきた。
81年に設立準備委員会が設置され、本格的に準備が開始。ゼロからのスタートに、スタッフは悪戦苦闘の日々であった。
先生は、激務の合間を縫って、スタッフと懇談。「世界を語るような美術館になっていくんだ」と励ました。また、“世界との文化交流のために日本一、世界一のコレクションを”との先生の期待を受け、美術品収集にも力を入れてきた。現在、重要文化財を含め、コレクションは約3万点に及ぶ。なかでも西洋絵画の数々は「日本屈指」と評される。
先生が贈った「世界を語る美術館」を指針として、これまで世界各国の美術館等と交流を重ね、「コロンビア大黄金展」「大ナポレオン展」など、48回に上る展覧会を開催してきた。海外での所蔵品展も20カ国・地域で46回以上にわたる。90年、その功績をたたえ、東京富士美術館に「外務大臣表彰」が贈られた。
現在、同美術館の所蔵品は、千葉や富山など、各地の美術館で展示され、好評を博している。
先生はつづっている。
「芸術は『理解の力』である。芸術は『友情の力』である。ゆえに、芸術は『平和の推進力』なのである」
昨年、来館者が900万人を突破。創立者の心をわが心とし、芸術の力で人類を結びゆく東京富士美術館の挑戦は続く。
6日 栃木の日
11日 愛媛の日
13日 徳島の日
各県で、地域の特色を生かし、自主的な広布拡大の運動を展開していった1973年。その年の11月、栃木、愛媛、徳島の3県は、「県の日」の淵源となる広布史の一ページを刻んだ。
池田先生は6日、栃木県体育館(当時)で行われた県幹部総会に出席。この会合に、尋常小学校時代の担任である檜山浩平先生夫妻を招待した。“お世話になった方の恩には、生涯をかけて報いたい”との思いからである。
幹部総会の席上、先生は栃木の歴史や地理的な魅力を語り、“伝統の長所を失うことなく、新時代を切り開こう”と呼びかけた。そして、「万事、唱題中心で『なにかあったら題目』という心意気で」と指針を示した。
10日、先生は四国に到着。7年7カ月ぶりとなる愛媛訪問を果たした。この日を拡大の実証で飾ろうと、愛媛の配達員らは、聖教新聞の購読推進という、当時としては先駆的な取り組みに挑戦した。
未来を開く新しい発想に対し、先生は、「本当にすごい戦いをしてくださった」「これは、将来の広宣流布運動の基調になるでしょう」とたたえた。
11日の松山市内で開催された愛媛県幹部総会では、地涌の菩薩としての深き使命を自覚し、堂々と“師子の信心”を貫いてほしい、と訴えた。
徳島の県幹部総会は13日に開催された。参加者は“参加できないメンバーも一緒に”との思いで、皆の署名を持参して集った。会場の徳島市内の体育館には、1週間ほど前から草むしりや清掃に励む青年たちの姿があった。“全員参加”の一大行事となった。
登壇した先生は、「『人間性』と『希望』『生命力』こそが現代の財」であると強調。さらに、最高の仏法哲学を持ち、広布にまい進する一人一人が“時代の財”であり、“社会の宝石”ともいうべき存在である、と徳島の友に希望を送った。
不滅の原点を刻む11月――3県の友は、新たな歴史を築く勝利の誓いに燃えている。
秋晴れの東京ディズニーランドへ
三井不動産の会長などを歴任した江戸英雄氏は、東京ディズニーランドの建設に尽力した人物である。各界のリーダーと交流を重ねてきた池田先生は、氏とも親交を結んだ。
1983年、ディズニーランドがオープン。氏は「ぜひお越しいただきたい」と、先生の訪問を熱望した。その声に応え、87年11月10日、先生はディズニーランドに足を運んだ。
先生は江戸氏らと語らい、パーク内で働く社員と握手を交わし、励ましを送った。
パレードも観賞し、カメラに収めた。出演者の中に、学会員がいたことを聞くと、「最初から最後まで皆さんの演技を見せていただきました」「力強い演技でした」と伝言を託し、熱演をたたえた。
短時間の滞在だったが、先生はディズニーランドから受けた所感を署名簿に記した。
「全世界の少年少女の/夢とロマン/“平和”の“金の城”の/永遠の栄光を祈りつつ」
翌日には礼状を送った。
「貴園の素晴らしい環境はもとより、多くの若い職員の方々が礼儀正しく潑剌と働いておられる姿、また謙虚な中にも自らの仕事に誇りと責任を持っておられる姿に、たいへんさわやかな印象を強く受けました」
礼状は、ディズニーランドの運営会社・オリエンタルランドの社内報に全文が掲載された。
パーク内、そして帰路に撮影した写真は、社会部のメンバーや地元・千葉の同志に贈られた。皆の歓喜と決意の原点となった。
江戸氏は翌月、聖教新聞社を訪問。「学会は活気にあふれていますね。素晴らしい大発展ですね」と語った。91年1月にも、東京の創価国際友好会館(当時)を訪れ、先生と対談している。
先生はかつて、正月に帰国できない創価大学の留学生を、ディズニーランドに招待した。それを知った氏は、ポケットマネーで入場券を用意。その真心は、各国で活躍する留学生たちの忘れ得ぬ思い出となった。
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