第11回「地区講義〈上〉」 永遠に「御書根本」の大道を歩む2021年11月26日
- 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉
「こんばんは!」
埼玉・川越駅の近くにある志木支部川越地区の会場に、池田先生の元気な声が響いた。
1951年(昭和26年)9月25日の夜、同地区で初めての「地区講義」が開かれた。23歳の若き先生が担当だった。
参加者は、不思議そうな顔をした。先生があまりにも若かったため、担当の講師だとは思わなかったのである。しかし、題目三唱を行うと、先生の全身からほとばしる気迫に、皆、思わず居住まいを正した。
この年の5月、戸田先生は第2代会長に就任。「講義部」の名称を9月1日から「教学部」に改め、教学の課程を一新した。
初信者に対しては、毎週水曜日、戸田先生が自ら法華経講義を行った。支部長らによる講義や地区講義などが、この課程の中に組み込まれた。一部のリーダーだけに頼るのではなく、庶民自身の手による本格的な教学運動のスタートである。
そこには、一人一人に広布の自覚を促そうとの、戸田先生の強い思いがあった。なにより“戦時中の弾圧で幹部が退転したのは、教学がなかったからだ”との反省があった。
8月末、戸田先生は池田先生に語った。
「御書を通して、深く信心を打ち込み、人を育てるんだ。組織を強化するには、人材の育成しかない。これは、地味だが、七十五万世帯達成のカギを握る大切な作業になる」
恩師の言葉は、御書根本の人材育成が広布推進の不変の鉄則であることを示していよう。池田先生は、川越地区ならびに鶴見支部市場地区の講義担当として派遣された。
“戸田先生の「名代」として講義に行くのだ”“この御書講義は、師の願業を実現するための、突破口を開く戦いの一つなのだ!”
手探りの状況の中、戸田先生と池田先生の“師弟の実践”から形作られていった地区講義は、学会の教学運動の源流となった。
現在、地区座談会などで御書講義を行う形式が定着しているが、まさにこの51年の下半期から、地区を舞台にした御書研さんの流れが始まったのである。
地区講義の担当が決まると、池田先生は仕事と学会活動の合間を縫って、講義を行う御書を何十回と拝読し、研さんを重ねた。
徹底して御書に向かう姿勢は、恩師から直接教え込まれたものであった。戸田先生は折あるごとに愛弟子に御書を講義した。
「『生死一大事血脈抄』の講義をして下さる。夜遅くまで、種々指導賜る」(『若き日の日記』、1950年12月10日)
池田先生は、御書講義での恩師とのやり取りを「私に少しでも真剣さが欠けた時には、先生は言下に叱咤された」と振り返っている。御書に刻まれた日蓮大聖人の精神を真剣勝負で心肝に染めていく――その「剣豪の修行」こそが、戸田先生と池田先生の“師弟の教学”であった。
池田先生は、「青春時代、師のもとで研鑽し抜いた『師弟の教学』が、すべての実践の根幹となっている」と述べている。
地区講義を通じて池田先生が伝えようとしたのも、戸田先生から教わった“師弟の教学”であった。
1951年(昭和26年)9月7日、池田先生は市場地区で講義を行った。
25日には、川越での講義に臨み、「佐渡御書」「聖人御難事」「日厳尼御前御返事」「治病大小権実違目」の4編を研さんした。
先生は「聖人御難事」の「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書1190ページ)の一節を通してこう訴えた。
「師子王の『師子』とは、師匠と弟子であり、師弟を意味しています。つまり、弟子が師匠と呼吸を合わせ、同じ決意に立ってこそ、何ものをも恐れぬ、勇敢な『師子王の心』を取り出していくことができるんです」
師匠の「名代」の自覚をもって広布に進んでほしい――御書を通して、弟子の使命に奮い立つことを強く促した。
先生の川越地区講義は、足かけ3年で10回にわたって続けられた。“師弟の教学”に励む中で、受講者たちの心には、広布に生きる喜びが漲っていった。
子どもを背負って川越地区の講義に通ったある女性は、折伏に励むものの、塩をかけられたり、追い返されたりした。そんな時、先生の講義で「哲学」という言葉を初めて聞く。
「生命の境涯から言うならば、皆さんは大学で学ぶよりも立派なんです。それくらいすごい最高の哲学を学んでいるんですよ」
先生の言葉に、彼女の心は躍った。“最高の哲学”を実践する喜びを抑え切れず、帰り道、思わず学会歌を鼻歌で口ずさんだ。
入会後初めて参加した会合が地区講義だった女性もいた。彼女は病を抱えていたが、先生の講義を聞くと、温かい気持ちに包まれ、“病を治せる”との確信が湧いた。
その後、病は回復し、弘教に励めるように。夫も信心を始め、夫妻はそろって先生の講義を受けるまでになった。地区講義では、御書を学び終えるごとに「修了証書」が渡された。証書が大切な“家宝”となった。
川越地区での最後の講義の日、先生は日記に認めた。「埼玉、川越地区に講義。――『佐渡御書』。受講者、約五十名。次第に、人材、人物が、輩出して来た様子」(同、53年2月10日)
スタート時、10人に満たなかった受講者の数は約6倍に膨れ上がり、同地区は一変。弘教の力も増し、地区が大きく生まれ変わったのである。川越地区の躍動によって、志木支部も大支部に発展していくことになる。
池田先生は、55年の「札幌・夏の陣」、56年の「大阪の戦い」「山口開拓指導」等でも、常に御書を根幹にした実践で勝利の金字塔を打ち立てた。“師弟の教学”とは“実践の教学”であり、師匠から教わった通りに、弟子が“勝利の証しを示す戦い”でもあった。
今月18日、『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊された。コロナ禍で混迷する世界で、“太陽の仏法”が、いっそうの希望の輝きを放っていくに違いない。
先生は、御書新版の序文に寄せた。
「我ら創価学会は、永遠に『御書根本』の大道を歩む」
「この一書とともに、『立正安国』『立正安世界』へ、『万年の外未来までも』、地涌の宝友が師弟誓願の不二の旅を歓喜踊躍して進みゆかれることを、私は心から願う」