希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 「魂の独立」㊦2021年11月25日
- 皆が「仏」! 皆が勝利者
連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は、11・28「魂の独立」30周年を記念して、小説『人間革命』『新・人間革命』から世界宗教の要諦について学びます。
〈1957年(昭和32年)6月初旬のある夜、山本伸一は、学会員への不当な圧迫を開始した北海道の夕張炭労への対策の指示を仰ぐために、恩師・戸田城聖の自宅を訪れる。戸田は広宣流布は権力との闘争であることを述べ、戦時中、軍部政府の弾圧に屈した宗門の歴史について語った〉
一九四三年(昭和十八年)六月、天照大神の神札を祭るように、軍部政府から強要された総本山が、牧口常三郎をはじめ、学会幹部に登山を命じたことに話が及ぶと、戸田の声は震えた。
「あの日、牧口先生と共に、私たちは、急いで総本山に向かった。先生は、来るべき時が来たことを感じておられた。列車の中で、じっと目を閉じ、やがて、目を開けると、意を決したように私に言われた。
『戸田君、起たねばならぬ時が来たぞ。日本の国が犯した謗法の、いかに大なるかを諫める好機の到来ではないか。日本を、みすみす滅ぼすわけにはいかぬ!』
『先生、戦いましょう。不肖、この戸田も、先生の弟子として、命を賭す覚悟はできております』
先生は、大きく頷かれ、口もとに笑みを浮かべられた。
私は、謗法厳誡の御精神のうえから、総本山を挙げて、神札を固く拒否されるものと思っていた。しかし……」
ここまで話すと、戸田は、声を詰まらせたが、ややあって、彼方を仰ぎ見るように顔を上げると、言葉をついだ。
「日恭猊下、日亨御隠尊猊下の前で、宗門の庶務部長から、こう言い渡されたのだ。
『学会も、一応、神札を受けるようにしてはどうか』
私は、一瞬、わが耳を疑った。先生は、深く頭を垂れて聞いておられた。そして、最後に威儀を正して、決然と、こう言われた。
『承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません』
その言葉は、今も私の耳朶に焼き付いている。この一言が、学会の命運を分け、殉難の道へ、死身弘法の大聖人門下の誉れある正道へと、学会を導いたのだ」
(中略)戸田の語気は鋭く、声には重厚な響きがあった。彼は、伸一の眼を見すえながら、一気に話し続けた。
「ほどなく、牧口先生も、私も、特高警察に逮捕され、宗門からは、学会は登山を禁じられた。日蓮大聖人の御遺命を守り、神札を受けなかったがためにだ。権力の威嚇が、どれほどの恐怖となるか、このことからもわかるだろう。しかし、先生は、その権力に敢然と立ち向かわれ、獄死された。
先生なくば、学会なくば、大聖人の御精神は、富士の清流は、途絶えたのだ。これは、どうしようもない事実だ。学会が、仏意仏勅の団体であるゆえんもここにある」
(『人間革命』第11巻「大阪」の章、228~230ページ)
〈宗門は1990年(平成2年)12月中旬、山本伸一のスピーチについて「お尋ね」なる文書で、「大聖人の御聖意に反する」などと難詰してきた。学会は対話を求める一方、「お尋ね」の引用箇所に重要な誤りがあることを指摘。すると宗門は12月末、宗規の改正を理由に伸一の法華講総講頭などの資格喪失を一方的に通知してきた〉
彼らは、学会への理不尽な措置を改めず、僧俗の関係についても、「本質的に皆平等であるとし、対等意識をもって僧俗和合を進めるなどというのは、大きな慢心の表われであると同時に、和合僧団を破壊する五逆罪に相当するもの」とまで言っているのだ。もはや看過しておくわけにはいかなかった。日蓮仏法の根幹を歪め、世界広布を根本から阻む元凶になりかねないからだ。(中略)
宗門は、学会の再三にわたる話し合いの要請を、ことごとく拒否してきたが、大聖人は「立正安国論」で「屢談話を致さん」(御書17ページ)と仰せのように、対話主義を貫かれている。すべての人と語り合い、道理をもって、理解と共感と賛同を獲得していくことを教えられている。武力や権威、権力など、外圧によって人を屈服させることとは対極にある。
対話は、仏法の人間主義を象徴するものであり、それを拒否することは、大聖人の御精神を否定することだ。(中略)
対話主義の根底には、万人尊重の哲学と人間への信頼がある。そして、それは、すべての人が等しく「仏」の生命を具え、崇高なる使命をもっているという、万人の平等を説く仏法の法理に裏打ちされている。
しかし、日顕ら宗門は、その法理に反して、日本の檀家制度以来の、僧が「上」、信徒は「下」という考えを踏襲し、それを学会に押しつけ、隷属させようとしたのだ。
日蓮大聖人が根本とされた法華経は、「二乗作仏」や「女人成仏」が示すように、身分など、あらゆる差別と戦い、超克してきた平等の哲理である。それゆえに、世界の識者たちも、生命の尊厳を説き、人間共和と人類の平和を開く法理として、仏法を高く評価しているのである。
大聖人は、「僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)と、僧俗も、性差も超えた、人間の平等を明確に宣言されている。(中略)もしも、宗門によってその根幹が歪められることを放置すれば、横暴な宗門僧らの時代錯誤の権威主義がまかり通り、不当な差別を助長させ、混乱と不幸をもたらしてしまうことになる。
(『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章、300~302ページ)
〈“衣の権威”で信徒を隷属させようと躍起になってきた宗門は、1991年(平成3年)11月末、正法正義を貫く学会に「破門通告書」を送付。学会は30日、全国各地で「創価ルネサンス大勝利記念幹部会」を開催する。山本伸一は創価国際友好会館での集いに参加し、スピーチした〉
「本日は、緊急に“祝賀の集い”があるというので、私も出席させていただいた」とユーモアを込めて切り出すと、爆笑が広がり、拍手が起こった。明るく、伸びやかな、喜びと決意がみなぎる集いであった。
伸一は、宗門が十一月二十八日付で学会に破門通告書を送ってきたことから、こう述べていった。
「十一月二十八日は、歴史の日となった。『十一月』は学会創立の月であり、『二十八日』は、ご承知の通り、法華経二十八品の『二十八』に通じる。期せずして、魂の“独立記念日”にふさわしい日付になったといえようか」(中略)
魂の“独立記念日”――その言葉に、誰もが無限の未来と無限の希望を感じた。
伸一は、日蓮大聖人の仰せ通りに、学会が不惜身命の精神で妙法広宣流布を実現してきたことを再確認し、力を込めた。
「これ以上、折伏・弘教し、これ以上、世界に正法を宣揚してきた団体はありません。また、いよいよ、これからが本舞台です。戸田先生も言われていたが、未来の経典に『創価学会仏』の名が厳然と記し残されることは間違いないと確信するものであります」
まさしく、仏意仏勅の創価学会であり、広宣流布のために懸命に汗を流す、学会員一人ひとりが仏なのである。
「宗教」があって「人間」があるのではない。「人間」があって「宗教」があるのである。「人間」が幸福になるための「宗教」である。この道理をあべこべにとらえ、錯覚してしまうならば、すべてが狂っていく――伸一は、ここに宗門の根本的な誤りがあったことを指摘し、未来を展望しつつ語った。
「日蓮大聖人の仏法は『太陽の仏法』であり、全人類を照らす世界宗教です。その大仏法を奉ずる私どもの前進も、あらゆる観点から見て、“世界的”“普遍的”であるべきです。決して、小さな閉鎖的・封建的な枠に閉じ込めるようなことがあってはならない」(中略)
そして彼は、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(御書1618ページ)との「日興遺誡置文」を拝した。時の法主であるといっても、仏法に相違して自分勝手な教義を唱えれば、これを用いてはならないとの厳誡である。
伸一は、どこまでも、この遺誡のままに大聖人に直結し、勇躍、世界広布へ進んでいきたいと訴え、結びに、こう呼びかけた。
「どうか、皆様は、『世界一の朗らかさ』と『世界一の勇気』をもって、『世界一の創価学会』の建設へ邁進していただきたい。そして、大勝利の学会創立七十周年の西暦二〇〇〇年を迎えましょう!」
(『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章、330~333ページ)