市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

レトロな町 駅前商店街

2007-01-18 | 都市論
 駅前商店街にあり、アーケード撤去の世話役として活動してきた久保田利用所付近も、アーケードが完全に姿を消して、町は様変わりしてきた。昨日、その支店の
「ヘアシーンK's」(霧島4丁目)で、店長がぼくの頭の上から興奮したように「駅前商店街は、昭和40年代の町だったんですね、あそこは40年代です、レトロだわ」と話すのだった。彼女の生まれる10年も前の町並みがアーケードで隠されていたのに感動したような興奮を感じられた。

 帰途、そこを通過していると、たしかにレトロ空間になっていきつつある。なんでなっていきつつあるかというと、撤去が終わり、2ヶ月近くになり商店街の営みに生活感が滲み出てくるに連れて昭和40年代が現れだしたのだ。

 ここの黒いアスファルト舗装の工事用道路がいい。建物の古さとしっとりした調和をなしている。その道路の上に置かれた縁台、店先の商品台、開け放しの店で風にゆらぐダウンやジャンバー衣料品、放置自転車、ダンボール箱、赤提灯、下手美味な看板と音楽、どぎつい照明が道路を照らし、人も自動車も混在して通行する。まさにアジア的混沌と猥雑さ、人間くささが街路に溢れていた。こういう空間はもう宮崎市街には消滅してしまったが、ここにはあった。

 また、ここは宮崎市吏員の草刈場でもある。道路上の15センチはみ出し看板の撤去要請、店先の商品台の撤去などなど、「美しい日本」ならず「美しい景観」という「スローガン」だけの幻想の町づくりの。

 店長に人通りはどうなったかと聞いてみると、アーケード撤去の後も変わらないという。これはぼくの予想外だった。減らなかったのだ。ここにしかない匂いのようなものが通行人を安心させるのかもしれない。

 そこで、交通統計を取ることを提案した。そして、市が条例により「美しい景観」にした後の駅前商店街の交通量と比較してもらいたい。そして激減したなら当然、市に損害賠償の請求をすべきであろうかと思う。

 ここにしかない町をつくること、これは差異を売りにする消費社会でのサバイバル戦略である。レトロが駅前商店街の開運になるかもしれない。

 

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