シャンソンの流れるお好み焼き専門店「しぇ・こぱん」でのインタービューはうまくまとまって文化記事になっていた。心配気であった山崎も感心した。ぼくはさっそく彼女に電話、今回が一番よくまとまったね、ただ上品すぎるわ、これじゃいかにも評論家だと言うとはははと、いつものように笑いだした。
ただ、付け足したいことは、宮崎市街が、一元的価値観で路地や、横町などの暗い、汚れたと思われる闇の部分をうしなって、からっと晴れ渡り、美しいというだけで空っぽになったということを、ぼくは、嘆いてはいない。むしろ、はやく空っぽになって終末を迎えることを願っているのである。中心地活性化計画などで無駄な税金を浪費するよりは、である。
つぎに「死んでいるが生きている」というぼくの視点について、彼女は「生きているが、(感性は)死んでいる。」とわかりやすく表現をしている。あのインタービューで言わなかったが、あれは大衆のことでなく、ぼくが経験した街づくりの委員の出席者への批判であったのだ。市の都市計画課の係り員がきて、上野町(旧涙町のちに恵比寿町、統合されて上野町になった横町)も拡張が決定しましたよ、これから、元宮、末広とだんだん道路整備はすすみますと、いきようようと話し出したとき、道路だけひろげてどうするんですか、そこの商店街、隣近所のコミュニティ、歴史的雰囲気など問題はあるでしょうと、発言したのだ。そのときのかれの表情は今でもはっきりと思い出せる。かれはぽかんとして、まったく理解不能のことばを聞いたか、この委員はどうかしているんじゃないかという不安をたたえた表情であった。その瞬間、これじゃ加減乗除の算術だけで日常を送っているのに、関数の必要や有効性を説くようなものだと悟った。議論にもならぬと思った。それよりも、出席していた10数人の委員たちも都市論を抱くものたちだったが、だれひとり、ぼくの路地・横町の論をフォローしなかった。
ぼくには、そのときのかれらの発言をしなかった態度は、感性や知性の問題よりも責任と誠実さの放棄としかおもえなかった。つまり完全に人間として死んでいると、おもえたのであった。もっとも当時バルブ崩壊後の不景気のどん底、自治体からの発注はなによりもカンフル剤であったのも事実だ。こうして、生きるために自分の足を食う、蛸的自立があのときも始まった。あれからなんどもなんども、かくして、都市はだれでもが、生きられる自活のメカニズムを内臓するものだが、それが不可能になった。伝統的都市は死んでいったのだ。ただ、現在、ぼくはここをどう生きるか、これは可能と思えだしたのも実感である。希望は十分にある。
彼女は記事のしめくくりで、ぼくが関心を20数年いだきつづけていた「アングラ演劇」の盛況が、死んだ人間の感性をゆさぶり、人間らしさをとりもどしつつあると、その力を共感して記事を結んでいる。これはとんでもないぼくへのエールであり、じつはおどろいた。あんた、大丈夫、むりしなさんなと。
さて、このアングラとは、劇団どくんごのテント劇のことも意味しているのであるが、これは北海道テレビ局もアングラ劇団が来たという特集をスーパーニュースでオンエアしていた。ほかになかなかふさわしい言葉がないのだろう。
ぼくは、アングラ演劇というよりメタ演劇というほうがいいように思う。メタとはメタモルフォーゼ(昆虫の変態)からのメタであるが、演劇とはいっても、もはや演劇を超えた領域に入ってしまったという意味でである。
かって60年代のアングラは、それまでの伝統的、中心的な価値規範、文学や思想の無効性をまさに体当たりで実現してみせる運動であった。今はかれらの予言したように、文学も思想も大きな顔を失ってしまった。中心はなく、個人、個人それぞれのつながりだ。しかし、今どれだけの演劇がひとりひとりのためにえんじられているのだろうか。ほとんどがひとりとは無関係の祭りの一環として祭りのためではないだろうか。この状況のなかでメタ演劇はまさに、ひとりひとりのため、演じる側も製作者も観衆もそのひとりひとりが参加でき、したがってかれらひとりひとりの豊かさのために上演されている。どくんごのテント劇は、その意味でメタ演劇である。
そこでいいたのだが、宮崎市がどうなろうとかまわない、死んだ街には魅力がない。街が変わるまえに自分がメタモルフォーゼする。メタ人間になる。これが生き延びる希望ではないか、それはありうると、思うのである。かくして新しい都市構造が生まれてくる、この希望を夢見ているこのごろである
ただ、付け足したいことは、宮崎市街が、一元的価値観で路地や、横町などの暗い、汚れたと思われる闇の部分をうしなって、からっと晴れ渡り、美しいというだけで空っぽになったということを、ぼくは、嘆いてはいない。むしろ、はやく空っぽになって終末を迎えることを願っているのである。中心地活性化計画などで無駄な税金を浪費するよりは、である。
つぎに「死んでいるが生きている」というぼくの視点について、彼女は「生きているが、(感性は)死んでいる。」とわかりやすく表現をしている。あのインタービューで言わなかったが、あれは大衆のことでなく、ぼくが経験した街づくりの委員の出席者への批判であったのだ。市の都市計画課の係り員がきて、上野町(旧涙町のちに恵比寿町、統合されて上野町になった横町)も拡張が決定しましたよ、これから、元宮、末広とだんだん道路整備はすすみますと、いきようようと話し出したとき、道路だけひろげてどうするんですか、そこの商店街、隣近所のコミュニティ、歴史的雰囲気など問題はあるでしょうと、発言したのだ。そのときのかれの表情は今でもはっきりと思い出せる。かれはぽかんとして、まったく理解不能のことばを聞いたか、この委員はどうかしているんじゃないかという不安をたたえた表情であった。その瞬間、これじゃ加減乗除の算術だけで日常を送っているのに、関数の必要や有効性を説くようなものだと悟った。議論にもならぬと思った。それよりも、出席していた10数人の委員たちも都市論を抱くものたちだったが、だれひとり、ぼくの路地・横町の論をフォローしなかった。
ぼくには、そのときのかれらの発言をしなかった態度は、感性や知性の問題よりも責任と誠実さの放棄としかおもえなかった。つまり完全に人間として死んでいると、おもえたのであった。もっとも当時バルブ崩壊後の不景気のどん底、自治体からの発注はなによりもカンフル剤であったのも事実だ。こうして、生きるために自分の足を食う、蛸的自立があのときも始まった。あれからなんどもなんども、かくして、都市はだれでもが、生きられる自活のメカニズムを内臓するものだが、それが不可能になった。伝統的都市は死んでいったのだ。ただ、現在、ぼくはここをどう生きるか、これは可能と思えだしたのも実感である。希望は十分にある。
彼女は記事のしめくくりで、ぼくが関心を20数年いだきつづけていた「アングラ演劇」の盛況が、死んだ人間の感性をゆさぶり、人間らしさをとりもどしつつあると、その力を共感して記事を結んでいる。これはとんでもないぼくへのエールであり、じつはおどろいた。あんた、大丈夫、むりしなさんなと。
さて、このアングラとは、劇団どくんごのテント劇のことも意味しているのであるが、これは北海道テレビ局もアングラ劇団が来たという特集をスーパーニュースでオンエアしていた。ほかになかなかふさわしい言葉がないのだろう。
ぼくは、アングラ演劇というよりメタ演劇というほうがいいように思う。メタとはメタモルフォーゼ(昆虫の変態)からのメタであるが、演劇とはいっても、もはや演劇を超えた領域に入ってしまったという意味でである。
かって60年代のアングラは、それまでの伝統的、中心的な価値規範、文学や思想の無効性をまさに体当たりで実現してみせる運動であった。今はかれらの予言したように、文学も思想も大きな顔を失ってしまった。中心はなく、個人、個人それぞれのつながりだ。しかし、今どれだけの演劇がひとりひとりのためにえんじられているのだろうか。ほとんどがひとりとは無関係の祭りの一環として祭りのためではないだろうか。この状況のなかでメタ演劇はまさに、ひとりひとりのため、演じる側も製作者も観衆もそのひとりひとりが参加でき、したがってかれらひとりひとりの豊かさのために上演されている。どくんごのテント劇は、その意味でメタ演劇である。
そこでいいたのだが、宮崎市がどうなろうとかまわない、死んだ街には魅力がない。街が変わるまえに自分がメタモルフォーゼする。メタ人間になる。これが生き延びる希望ではないか、それはありうると、思うのである。かくして新しい都市構造が生まれてくる、この希望を夢見ているこのごろである
どくんごの動画☆
http://www.youtube.com/watch?v=bqNxAuH7ULI
http://www.youtube.com/watch?v=7iFZSydQd80
http://www.youtube.com/watch?v=LHw_FEBGPP8
お久しぶりです!
先日はDVDありがとうございました。
正直…忙しくて、中々観れなかったのですが、最近ようやく観ました。
その翌日・・・、他の用事でyoutubeを観ていて、ふと「どくんごの動画もあるかも…」と思い付き、探したらありました。
youtubeは便利ですね~!
あ、近々、DVDをお返ししたいのですが、いつごろがいいですか?