市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

自主映画「107+1 天国はつくるもの」

2005-07-01 | Weblog
 軌保博光監督の自主映画『107+1~天国はつくるもの~』を観た。動けば状況は変る、諦めるな、夢は適うという主張の映画だ。昔から言う「意志あれば道あり」「たたけ、さらば開かれん」「求めよ、さらば与えられん」の古来有名な「コピー文句」をそのまま映像化した作品である。ドキュメンタリーとしているが、これはコピーを、描いた映画である。冒険や探検や、極限状況への挑戦、そんな若者ドキュメンタリーテレビ番組をなんども見たことがある。それらは、本質はフィクションである。つまり結果は、初めからわかり、その筋道は主題を生かすべく構成されているからである。

 というように「107+1・・・」を開始数分で感じたぼくにとって、後はもはや退屈でしかない2時間を超えた長時間映画であった。未来君ごめんね、ぼくには、こうしかみえなかったんだ。シニカルな批評家だもんね。熱く燃えている君たちの情熱まで否定しているわけじゃないのよ。ここはよく理解してもらいたい。大人だって、ほとんどの人がやれば出来る、やるしかないという気持ちは抱いたことはある。そして行動し、やっぱり夢も天国もなかったという挫折経験はもっている。だから後は敗残の人生とか負け犬というわけではない。ま、それはそれとして、若者たちよあきらめずにやりつづけよと願うのは大人として当然だよ。

 行動すればなにかが変わる、それは当然である。ここで知るべきなのは、じつは、この映画の行動は、一人だけの野放図な行動ではないことである。まずチームを組み、目的が明確になり、目標が与えられ、その実現に向けて全力をそそぎ、夢がかなうまでやり続け、決して諦めない。それをひっぱっていけるリーダー、そしてチームの行動の斬新さ、他との差異性がある。行動全体がかぎりなく遊びや、ゲームに近いので、ほとんどそこに強制感はなく、自主的な自発的な行動と意識されている。ところで、この本質はビジネスのやり方とまったく同じである。映画では天国の実現であり、ビジネスでは経済的成功である。

 国際ジャーナリストの千葉敦子は「ニュー・ウーマン いい仕事をして豊かに暮らす法」という本(三笠書房 知的生きかた文庫1987)を書いた。彼女がそこで強調しているのは、組織に捕らえられぬな、いつでも組織と独立できる自己研鑽を怠るなということである。仕事はこの映画若者のように、沖縄から鹿児島で舟をこぐより辛い忍耐と自己研鑽を強いられる。しかも天国に入るには「針の穴」を通るよりむつかしい。これも世界の現実である。仕事でなく遊びによって、天国を実現できると信じられる若者は、豊かな日本が生んだ若者の不幸を逆に伝えていると、ぼくはこの映画を観て感じたのだけど、未来君、どうなんだろうか。君たちは不幸なんかな、それとも幸福なんだろうか。
コメント (2)
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