キム・ドク監督の「サマリア」は映画祭ベスト作品とすすめられ、観た。ぼくが「コニー&カーラ」だけがすばらしいとうイメージのブログを書いたので、これもあるのにという配慮を感じたのだ。
そこで観た。いい作品です。うっとうしい、というような言葉で排除はできないと思った。まずは失言をご容赦ください。
さて、この「サマリア」だけど、去年の「悪い男」にしても、この監督の映画は、嫌いな奴と好きな奴にはっきり分かれる思う。また、なんだこれはと腹を立てる奴と、腰が抜けるほど感動する奴と両者になると思う。ぼくとしては、観たくはないが、観れば惹かれた映画だった。ほんとおもしろいにも、外食、旅行、ドライブ的おもしろさから、この鬱屈した、いや哲学的か、シュールレアリズムとしかいいようのないおもしろさまで、いろいろあるのを痛感した。映画祭であれば、さまざまのおもしろさを提供するのも必然だろう。ただ映画祭でどのお神輿を、どう担ぐかが問題になるだろうと思う。「SoRa」の田中編集長のコメントは、この点を指摘していた。(7月7日第11回宮崎映画祭への遭遇コメント ~ディレクターが必要かと~参照)
キム・ドクの「悪い男」そうだったが、「サマリア」でも処女、前回は大学生、今度は中学生がレイプされるのが悲劇の根源になる。韓国ではまだ処女性がふつうなのか、このシュールな現実。ヒロインのヨジンは親友のチェヨンに援助交際をさせ、自分は見張りと金の管理に徹して、身を売らなかった。しかし、見張りを怠った目、チェヨンが警察に踏み込まれ自殺した。瀕死のチェヨンに頼まれ、相手になった男を見舞いに連れていこうとして、男にレイプされ、病院に連れてきたときはすでにチェヨンは死んでいた。
ここから映画は主題を展開する。ヨジンは、チェヨンとおなじセックスを売り
彼女がいつもしたように客にありがとうと笑顔をみせる援交の苦業を始める。しかも、チェヨンの相手を一人一人誘い、その受け取った金銭を男にもどすのというのである。それだけが喜びとは!その現場をぐうぜんに刑事である父親に見られる。父は号泣するのだが、かれは、相手になった男に暴力を加え始める。しかし、そのことを一言も娘に告げることもなく、娘を責めることもない。ひたすらマグマのように吹き上がる悶々たる苦悩を背負いながら、相手にした男たちへの暴力をはけ口していくのであった。どうだろ、なんとシュールな男ではないか。そして他方には、自虐というにはあまりにも突き抜けたシュールなヨジンではないか。
なせ、かくもシュールなのか、そのシュールはさらに大団円に向かって極限状況になっていく。このキム・ドク映画の真骨頂について次回に。
そこで観た。いい作品です。うっとうしい、というような言葉で排除はできないと思った。まずは失言をご容赦ください。
さて、この「サマリア」だけど、去年の「悪い男」にしても、この監督の映画は、嫌いな奴と好きな奴にはっきり分かれる思う。また、なんだこれはと腹を立てる奴と、腰が抜けるほど感動する奴と両者になると思う。ぼくとしては、観たくはないが、観れば惹かれた映画だった。ほんとおもしろいにも、外食、旅行、ドライブ的おもしろさから、この鬱屈した、いや哲学的か、シュールレアリズムとしかいいようのないおもしろさまで、いろいろあるのを痛感した。映画祭であれば、さまざまのおもしろさを提供するのも必然だろう。ただ映画祭でどのお神輿を、どう担ぐかが問題になるだろうと思う。「SoRa」の田中編集長のコメントは、この点を指摘していた。(7月7日第11回宮崎映画祭への遭遇コメント ~ディレクターが必要かと~参照)
キム・ドクの「悪い男」そうだったが、「サマリア」でも処女、前回は大学生、今度は中学生がレイプされるのが悲劇の根源になる。韓国ではまだ処女性がふつうなのか、このシュールな現実。ヒロインのヨジンは親友のチェヨンに援助交際をさせ、自分は見張りと金の管理に徹して、身を売らなかった。しかし、見張りを怠った目、チェヨンが警察に踏み込まれ自殺した。瀕死のチェヨンに頼まれ、相手になった男を見舞いに連れていこうとして、男にレイプされ、病院に連れてきたときはすでにチェヨンは死んでいた。
ここから映画は主題を展開する。ヨジンは、チェヨンとおなじセックスを売り
彼女がいつもしたように客にありがとうと笑顔をみせる援交の苦業を始める。しかも、チェヨンの相手を一人一人誘い、その受け取った金銭を男にもどすのというのである。それだけが喜びとは!その現場をぐうぜんに刑事である父親に見られる。父は号泣するのだが、かれは、相手になった男に暴力を加え始める。しかし、そのことを一言も娘に告げることもなく、娘を責めることもない。ひたすらマグマのように吹き上がる悶々たる苦悩を背負いながら、相手にした男たちへの暴力をはけ口していくのであった。どうだろ、なんとシュールな男ではないか。そして他方には、自虐というにはあまりにも突き抜けたシュールなヨジンではないか。
なせ、かくもシュールなのか、そのシュールはさらに大団円に向かって極限状況になっていく。このキム・ドク映画の真骨頂について次回に。