市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

キム・ギドク 「サマリア」2

2005-07-11 | Weblog
  キム・ギドク監督作品「サマリア」の後半は、「ソナタ」とタイトルが降られている。そうなるとサマリアとは、音楽形式に名称なのかと思った。さて、そのソナタの展開である。ヨジンの刑事の父親は、まさに刑事の本能で娘の援交を執拗につけまわし、終わった男に暴力を振るう。路地の奥で、マンション暮らしの家族の前で、そんなある日、公衆便所で、男を抵抗されたためコンクリート塊で撲殺してしまう。ヨジンにとっては、この男で終わっていたのだ。彼女は、すべての男の名前が塗りつぶされ返金が終わった手帳を道に捨てていた。父親はそれを拾い、ページをめくっていった。

 翌朝,憑きがおちたような顔の父親は、娘を誘って母親の墓参りで出かける。山奥の墓で二人で食事(これが巻き寿司)のあと、父親は号泣する。しかし、やがてふたたび車で山を下り、とある場所で娘に運転をすすめてみるが、怖いからと断られた。そのまま山の廃屋で一夜を明かし、翌朝は、麓の川原にたどりついた。父親がいつ娘を殺すのだろうか。ついに川原だ。その川原で、父はヨジンの首を締め上げ殺害する。砂の下の死体へ、音楽が流しこまれる。それがサティのジムノべディである。つまりシューベルトのセレナーデか、マスネーのタイスの瞑想曲を聴かされる按配、この感傷性、これで殺されるなんて割にも合わんと思ったとたん、ヨジンは眼を覚ます、つまりこれは夢であったのだ。シュールでしょうが!!

 娘が眠っている間に父は川原にペンキで黄色く塗った石を並べて、クランクから車庫入れまである運転コースを作っていたんだ。ここもシュールいつこれほどの石とペンキ塗りをおわったのだ。ま、とにかくヨジンは運転に熱中しはじめる。その間に刑事の同僚に自主を連絡した父親は、迎えに来た車で去り始める。それに気付いたヨジンは、習い覚えた運転で後を追う。しかし追いきれず、途中で水溜りにはまり、立ちすくむ。これでエンドである。
 
父の殺人を知ったらヨジンはどうなるんだよとか、疑問は意味が無いのだ。ソナタの一曲を美しく聴いたのだから、それで完結であるとうわけだ。この曲を聞きほれる奴は立てないほどの感動にしびれるし、何も聞こえない奴は頭にくるということである。 でなんななのだ。つづきます。乞う続読を!!

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