市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

第11回宮崎映画祭への願い

2005-07-27 | Weblog
 7月のブログの半分は、自主映画会や映画祭について書いていた。おまけに新聞にも宮崎映画祭への批判や注文を発表した。聞けば,宮崎市の補助金も半分以下に減ってきたという。まさか、ぼくのコラムが、映画祭への支援を減らすことがないように、もう一度、ぼくの願いをのべてみよう。

 ぼくは映画とは娯楽であると主張したい。ところが、映画祭といえば、宮崎にかぎらずどこの都市でも、なんだかお勉強会のようなものものしさが漂ってくる。これが嫌な感じがする。それをまず省こうじゃないかと願いたい。そのためには、トークショーを止める。地方関連作を外す、「創造」か「世紀の」とかいう冠かぶった映画を敬遠し、監督が監督自身のために作った作品を落とし、国際映画祭の、批評家賞受賞作とか、特別賞受賞作を避ける。これだけで、映画祭は、風通しがよくなる。

 映画が娯楽であるとする映画祭であれば、みんなが楽しめる。昔、マンガ本と文学作品を並べて、マンガは下位文化、つまり下らぬ娯楽作品として、公共図書館は蔵書に加えなかった。今となっては、その文化的損失はたいへんなものである。映画祭でも同じように、ほんとうに面白いフィルムが藝術とういうくだらぬ物指しをあてられ、除外されている。
  
宮崎市では、映画祭チケットはプレイガイドで100万円くらいのチケットが売れていくとか、確実に映画祭は大衆化されつつある。しかし、映画は娯楽であると面が軽視されつづけると、未来は無いかも。
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