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若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

songzhaoのボケ封じ数学講座第36講

2007年05月27日 | Weblog
 今回は、『偏差値への偏見を捨て偏差値を復権させよう』をテーマにしたいと思います。

 ・・・で、一体偏差値って何なんだい?と聞かれただけで、それは悪魔の数字などという先入観が先に立ってしまって、思考停止すなわちパニックである。・・・学生に序列を付け、『差別』を誘発する『数字』となってしまった感がある。これはもう何が何でも平和憲法9条改正反対と叫ぶのに似ていて、それで安全か?という議論さえ封じ込めるようとする理論とそっくりである。

 そもそも、偏差値とは(個人の得点-集団の平均値)/標準偏差 を意味しています。(個人の得点から集団の平均値を引いた数を母集団の標準偏差で割ったものをいう)

 これが、どういうことを意味しているかというと、標準偏差を基準として個人の得点と集団の平均点との隔たりをはかった場合、どれくらい平均(中心)からずれているかを見る指標ということになります。この数式のままだと平均以下の得点の人はマイナスになるし、計算の結果出てくる数が小さいうえ、狭い範囲に集中してしまうということで、この数式の答えを10倍に拡大し、更に平均点を50という指標であらわそうと考案されたのが、現在使われている『偏差値』の計算式である。

 偏差値=10*(個人の得点-集団の平均値)/標準偏差+50

 何とも美しいこの数式は、戦後間もない頃、実は日本の中学校の先生が創作したとのことです。団塊の世代とともに産声を上げたこの数式は私たちを競争という試練の場に誘い大いに勉学への励みと喜びとついでに挫折をも与えてくれました。受験地獄を勝ち抜くためのスケールであったことは間違いありません。

 団塊の世代は、まさしくこの数式によって鍛えられました。・・・・本来なら、日本人が創作した傑作として、世界に誇るべき数式であったはずです。今からでも遅くはないのだから、世界遺産にでも登録する運動でも起こしたらいいのにと思わずにはいられない。ただし、世界遺産にそうしたカテゴリーがあればの話である。しかし、憲法9条を世界遺産にしようというより、余程普遍性と可能性はあると思います。

 例えば、10万人が受けた数学のテストの平均点が47.8点、標準偏差が6.95だとします。このとき59点を取ったあなたの娘の偏差値はどうなるでしょうか?

 ・・・・偏差値=10*(59-47.8)/6.95+50=66.1・・となります。

 偏差値はどのように使われるかというと、英語の試験で50点、数学の試験で60点とったとき英語の平均点が35点数学の平均点が43点という場合、どちらの点数のほうが価値があると評価すべきか判断もつきません。こういうとき、『偏差値』という物差しを導入することによって、明瞭な判断が下せるのです。・・・・

 こういう点において偏差値は合理的且つ平等な評価のための判断基準を提供するものであることが再認識される必要があります。

 一生懸命努力し成果を上げた生徒には「よく頑張ったね!」と心からの声援を偏差値は送るのである。反対に怠けていた生徒には「もう少しまじめに勉強しなさいと!」冷静に励ましの言葉を発するのである。

 しかし、能力のない教師にとって、この偏差値ほど邪魔なものはなかった、自分の担任するクラスの偏差値が低いと『無能なことがばれる』のではないかと不安で仕方がなかった『無能教師』どもが右往左往して考えついたことは、「え~い、この際偏差値を悪者にしちまえ~」ということだったのです。大体その種の『無能教師』は日教組などという「何とかして子供に教育をしないで済まそう」とする組織に属し、馬鹿なプロ市民=浅はかなヒステリー母親どもを扇動して、本来大切に育てなければならない教育の芽を跡形もなく摘んでしまいました。

 教育を堕落させた舞台裏が一点の曇りもなく認識できるようになった今、日本の公教育は即刻是正されるべきだと願って止みません。