昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

売国列伝

2006年06月19日 | Weblog
ポスト小泉 霞が関に「谷垣待望論」 根強い東大志向
(産経新聞) - goo ニュース


 まあ国民に対しては出身校の開示さえプライバシー保護を楯に拒む連中が、こんな機会には『東大にあらずば人にあらず』などと覆面パトのネズミ捕り根性丸出しの構えである。
 宮沢氏など既に隠居生活を楽しみ将来の行き先が天国か地獄かお考えになるのが筋であろうに、水戸のご隠居の印籠を翳してテレビ出演し、ことさら『日本ハンデキャップ論』を吹聴することしきりである。この方の功績により、外国から埒もなくなんぼの善良な日本国民、日本企業の血税をせびり取られたことであろう。被害の額は天文学的数字となろう。

 最近では、民主党に渡部恒三なる愉快なパーソナリティーも登場し、水戸の隠居の印籠と称する代物を盛んに翳して『元祖世直し』を叫んでおられる。真贋の軍配はいずれに挙がることやら。

 私とて、政治に興味をもって日が浅いので、所詮「新聞知識」の域を出ない薄識度であるが、東大出の系譜の代表人物の一人である元大蔵省次官の「ミスター円」と称される方の罪状はさる大学教授の売国奴列伝に堂々と名を連ねている。彼は原価4万円相当の十万円金貨を鋳造し発行したのである。最初限定だといって発行したのであるが、結構売れ行きが良かったので、大量に追加発行の愚に出たという。この話を聞いた元極道、現在は善良なる執筆家のさるお方は、「私がもし現役なら複製金貨を鋳造しただろう」とコメントしていた。ひょっとしたら、本物を凌ぐ偽物が出回っているのかもしれない。たいへんな東大出身者の知恵である。

 また、偽メール事件の仕掛け人も東大出の官僚出身の民主党衆議院議員であった。その顛末でつまびらかになった見苦しさは喩えようもなかったのは記憶に新しい。

 また、最近の証券市場を賑わしたホリエモンは東大中退、そのホリエモンを踊らせた村上ファンドの村上世彰氏も東大卒の官僚あがりの所謂超エリートであった。更に、この村上氏を日銀総裁という立場で支援していた疑いが持たれているのが、今や「時の人」に出世した現日本銀行総裁の福井氏である。彼も東大出身者に違いない。この方も、永田元民主党議員のようにその地位に恥ずかしげもなく留まろうと生き恥を晒すことであろう。何故なら何といっても東大出なんだから。
 これから、政界にも容疑をもたれる人も、ゴロゴロ出てくるであろう。

 冗談はさておき、次期自民党総裁兼日本国首相候補として谷垣氏に求められるのは、優等生的物分りの良さというより、むしろ理屈を超越した「野性味」なのだ。

 明治のロマン派詩人、与謝野晶子の縁の方は、おそらくその心も一点の曇りもなく純であろう。まさに「君死に給ふことなかれ!」とお祈り致すと共に健闘に期待したい。

今度は人工衛星打ち上げだと!

2006年06月18日 | Weblog
北、ミサイル発射準備 米、新たな制裁辞せず (産経新聞) - goo ニュース

 北朝鮮など極悪国家であるが、悪党なりの性強さには、不謹慎ではあるが、返って感心させられる。
 こんな国と万が一にでも戦うことあらば、日本人など易々とやられてしまうことだろう。今の日本の国民意識は『愛国心=悪だまナショナリズム』と、進歩的文化人の偉大なお仕事によって啓蒙されて一寸の疑義さえ差し挟む余地さえ与えない状況である。実に嘆かわしい。そしてその極めつけは『日本ハンデキャップ論』などという馬鹿げた理論に発展するのであるが、このような『ならず者国家群』が海を隔ているとはいえ隣人なのだから、日本にも当然のこととして、それ相応のナショナリズムが必要である。それも早急に醸成すべきであると思う。
 
 平成18年6月18日「静岡新聞」記事より:北朝鮮「人工衛星」打ち上げか(ネタ元北京共同)

 長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の発射実験準備を行なっているとされる北朝鮮が今年に入り、「人工衛星」の打ち上げに備え、宇宙工学分野の科学者を動員し、軌道の設定と計算の作業を進めていることが分った。同国に詳しい情報筋が17日明らかにした。
 「人工衛星」として発信機などを組み込打ち上げる可能性も排除できなくなったといえる。
 発射の場合は、北朝鮮は「平和目的の人工衛星」と主張するとみられるが、打ち上げに使われるミサイル自体を脅威とする日米が強く反発、制裁を含む厳しい姿勢で臨むのは確実で、緊張は一気に高まりそうだ。昨年9月の6カ国協議の共同声明や、日朝平壌宣言が破棄される危機に直面するのも不可避だ。
 北朝鮮は1998年8月にテポドン1号を発射した際、四日後に「初の人工衛星打ち上げに成功した」と発表、軌道も公表していた。(全文)

 「ああいえばこう、こういえばああ」というようなしぶとさで、鰻を素手で掴もうとしているような状況であるが、かつて、大日本帝国がこんな国民性の国を平定して併合し、文明化した歴史的実績があるのだから、当時の日本人の精神力は強靭であったと再認識するものである。

 いずれにしても、拉致された邦人たちを一刻も早く取り戻すという国民的願いに逆行する流れになりつつあるのは非常に心が痛む。「本当に何とかならんのか!」。

範をお示しになる両陛下

2006年06月17日 | Weblog
 天皇皇后両陛下は東南アジア歴訪の旅(平成18年6月8日~15日)を終えられ無事ご帰還されて一国民としてほっとしている。新聞報道等によれば実に実り多いご暦歴訪であった。

 折りしも、ワールドカップサッカーとこの両陛下の東南アジア三カ国歴訪が重なってしまい、国民の関心がそれてしまったのは、甚だ残念なことである。

 このたびの両陛下の歴訪の端緒となったのは、タイのプミポン国王在位60年の記念行事にご参列なさるためだったという。このご歴訪にあたり、両陛下は、6月7日に一時間にも及ぶ内外記者を集めた会見に臨まれていて、戦前からの、これらの地域の国々との皇室(王室)外交の歴史をつまびらかにされている。
 そのなかで陛下は日本国天皇のお立場で威厳をもって記者からの質問にお答えになっている。
 とりわけ、日本国民は明治以後の日本史について学校教育において教えることを放棄する歪な勢力が幅をきかせてしまって、正統なる歴史認識を教授されていないという国民的不幸を前に、陛下自らが我が日本国の栄光を「日本人が自己を賤しめる歴史の実相はそれほど悲観的なものではない」と堂々と知らしめてくださったことは誠に有り難いことである。
 私たちは、天皇皇后両陛下のお姿をテレビの映像を通して拝見するぐらいのものであるが、6月7日のご会見では、天皇陛下の天皇たる自負心と強い意志、また皇后陛下の一歩遠慮した神々しさに確かに触れることができたと思う。
 尚且つ、皇后陛下は国民に私は天皇のおきさきですというお立場を崩すことなく、堂々と自己のお考えを主張なされた。ご自身も体調をそこねられ、万全ではないにもかかわらず、お気遣いになるのは天皇陛下のご健康ばかりである。「何というけなげさであろう」、「日本女性は皇后陛下を範といたせ!」。
 更に付け加えれば、皇后陛下は、長時間に亘る機内においても、疲れたなどといって身を横になさることないという。なぜなら、四六時中緊張して両陛下に仕えている人たちに、自分だけ気を抜くようなことをしては礼を欠くと仰せになるそうである。
 また皇后陛下は、「(天皇陛下の)体調管理については、今も陛下が月々に治療を受けておいでですので、やはりそのことは常に心のどこかに掛っています。私にできることは毎朝の散策をご一緒することぐらいですが、旅行中は、できるだけ陛下と行動をともにし、陛下のお疲れの度合いを推し量れるようでありたいと思っております」・・・・かように仰せである。陛下は誠にお幸せなお方なのである。

 あまり褒められた慣行ではないのであるが、メディアが必ずする質問は、「先の大戦によって、日本に対する複雑な思いも残る地でもあります。戦後60年を経て再び訪問されることにどんな思いがおありでしょうか」。それに対して、天皇陛下は:
 戦後、日本は東南アジア諸国との友好関係を大切に育んできました。かつては、経済協力が中心でしたが、近年では交流の分野が広がってきていることは、非常に嬉しいことです。このたび訪れるシンガポール、マレーシア、タイには大勢の在留邦人がおり、それぞれの国との協力関係の増進に努めていることは、心強いことです。このたびの訪問が日本とそれぞれの国との相互理解と友好関係の増進に少しでも資するなら幸いに思います。
 先の大戦では、日本人を含め、多くの人々の命が失われました。そのことは返す返すも心の痛むことであります。私どもはこの歴史を決して忘れることなく、各国民が協力し合って、争いのない世界を築くために、努力していかなければならないと思います。戦後60年を経、先の大戦を経験しない人々が多くなっている今日、このことが深く心に掛っています。(サンケイ・ウェブより拾い読み)

 6月15日の「産経新聞記事」を写し取っておこう:両陛下「時の絆」再確認

 タイを訪問中の天皇、皇后両陛下は14日、古都アユタヤを見学し、東南アジア訪問の予定をすべて終えられた。日本と歴史的に縁の深いシンガポール、マレーシア、タイの三カ国。
 15年前の約束を果たされたマレーシア・ぺラ州お立ち寄り、長い交流のあるプロポン・タイ国王即位60年を祝う式典へのご出席。時間をかけ結んだ絆を再確認された旅だった。15日帰国の途につかれる。
 今回、マレーシア訪問は3カ国の中でも「お立ち寄り」という意義付けだった、ペラ州滞在は約6時間というあわただしさだった。 
 陛下は15年前、直前に山火事の影響で訪問中止を余儀なくされ、準備を整えていたペラ州クアラ・カンサーの人々をがっかりさせたことをずっと気に掛けておられたという。主賓の両陛下なしで開かれた700人規模の国王主催の食事会のことも聞き及んでおられただろう。
 当時の予定を再現された今回のご訪問。同国の人材養成校マレー・カレッジで両陛下を15年前に迎えるはずだった元生徒は「やっとお会いできた。微笑が素晴らしかったです」と感激の様子だった。
 現地の人々には「陛下は、私たちを忘れずにいてくださった」との思いが広がった。
 一方、両陛下を含め世界25カ国の王族らが参列した、プミポン国王の即位60年式典は、残念ながら報道規制のため地元放送局の生中継を見るしかなかったが、王族方が自然と両陛下を囲み、言葉を交わす様子は、戦後、昭和天皇の名代として皇太子同妃時代以来、培われた各国王室との厚い関係が目に見えた場面であったように思えた
 プミポン国王も両陛下との再会を楽しみにしていた。一同で国王の業績を振り返る展示会では、絶えず両陛下に付き添う国王の姿があった。宮内庁幹部は「国王と話された時間が一番長かったのは陛下だった」と語った。
 ご訪問直前に、皇后さまの体調不良があったが、両陛下ともスコールと厳しい暑さの中、旅を無事終えられた。・・・・・本当にご苦労さまでした。

 ここには、日本国皇室が普段に努力して各国王族や国民と交流して培ってこられた実績と名誉が滲み出ているのだ。日本国民は相応に評価申し上げ、敬意をはらうべきである。

みずほも改宗したらどうや!

2006年06月16日 | Weblog
共産・社民、今国会での民主党対応を批判 (読売新聞) - goo ニュース

 この際やな、細かいことはわしとてよう言わんが、しかし「みずほ」もええ加減に銭勘定ぐらい出来るようにならんと、そらいかんがわな。

 世間では、太閤殿下の御世から、そら~言うも憚られるさかいあまり言いとうはないのやが、・・・・・あまり、気乗りはせんのやが、この際思い切って、「一辺言うたろ!」。

 しょうもない「政党」の党首など、まあ~それにしても、ようやっておられたもんじゃ。今や、この日本国もここだの乱れぐあいなのは、わらわが愛猫「ニャゴ」ですら心得ておる。このわしなどようけい甲斐性もないから、ニャゴのほうから、朝飯やら昼飯やらを段どる甲斐性がご主人様おありかどうか、ほんにに都合がつくかつきへんのか、聞きよるねん。そこでわしかて、貧乏暮らしてる身やさかい、ない袖は振れぬわい、わしとて「飯抜きじゃ」と恐れながらきこし召さば、猫とて「されば、今日は隣の厄介になり申そう」と生きていく知恵は備えて居るからあり難いと諭されて居る今日この頃じゃ。

 この際、社会党の亡霊などかなぐり捨てて、『回れ右!』と号令でも掛けてみたらどうか!。そうすれば、自民、民社の不満分子が「右寄りのみずほちゃんのおっぱいが恋しいと群れること仕切りであろう(男は母性に群れるのだ)。嘘やと思うたら、世論調査でもやってみるが良い。日本国のとりわけ右側美男子どもは右側のシンボル(乳房)の出現を待ちわびておるのだ。いつまでも左前(=死者の出で立ち)の無国籍の旗振りなどやっておっては、本懐を遂げる前に『おばあちゃん』になっちゃうんだよ~。今ならまだ間に合う『気付きての後の心に比ぶれば花こそ盛りにあらまほしけれとぞ思ふ(小野大町)』。悪いことは言わんさかい早よう改宗したらええわ、土井も村山も今となっては過去の亡霊=遺物なのだよ。

売国アホ集団を考える

2006年06月15日 | Weblog
国立追悼施設の設置求める提言了承…「考える会」 (読売新聞) - goo ニュース

 先ずこのゾンビ集団にその国籍を問いたい。貴殿らは元々の中国人か朝鮮人か?
 政治家と呼ぼうにもその名に値するのか?

 俺らが村の村長様の方が余程『国際的センス』、要は喧嘩の仕方を心得えてあらっしゃる。まあ、『福田に天下を』取らせたければそうしてやれ!。
 しかし、今迄の歴代内閣のうちで拙僧が記憶している短命内閣というのは、宇野の蜂の一刺し内閣というのがあった。古には、明智光秀の三日天下というのも有名である。

 ここに集う近視眼的な政治家どもは、どのようなシステムにより現在の地球規模の政治が胎動しているかも分らぬトンチンカンどもである。彼のアメリカ様が福田氏にどれ程入れ込んでいると思っているのか。
 方向音痴の和製中国人、最近では朝鮮総連が放った患者という評価がCIAあたりで下されている人物の神輿にのって、得意満々とは呆れた諸行無常ぶりである。

 小泉政権が、当の首相本人が欲も出さず(これは真意かどうか知る由もないのであるが)五年の長きに亘って高人気のうちに幕を閉じようとしている。しかし、これは戦後日本の権勢史上稀に見る偉業である。「天下、天下」と騒ぐ前に何故小泉首相の人気がいまだに衰えないかその理由を分析したことがあるのか。

 彼がとりわけハンサムなのか?。そんなことではないだろう彼などむしろ狐顔などと評価されているぐらいである。しかし、実にスマート(頭が良い)であることは紛れもない事実である。すなわち政治家としてスマートであるということである。
 彼は、根本的な政権安定のポイントをどこに置いたかといえば、中国や韓国の理不尽さとそれに対する日本国民の国民感情をうまくつり合わせることにより、絶えず国民感情を我が身(政権)の活力源としたのである。この発想において、靖国の英霊は彼に政権維持の超能力を付与した。これは紛れもない実相なのだ。

 その、日本魂の篭った靖国を蔑ろにして(貶めることを前提条件として)、日本国の首相或いは与党第一党の総理総裁を夢見るとは、それこそ『夢精』を『生殖』と勘違いするほどの愚かさである。

 輪をかけて、愚かしいのが「民主党」が野党第一党などと自惚れて事の真相に気付かない烏合の衆ぶりなことである。山崎ー加藤ー福田ラインに乗っていたのでは、アメリカ合衆国の観賞にも絶えず国民の信認も得られまい。

 最後に、世論調査が大好きなマス・メディアに提言したいのであるが、日本国民がどれ程中国を嫌っているか、そして、中国の言いなりになる政治化をどれ程好んでいるか世論調査してみてもらいたいものだ。そうすればお中国様など夢精の対象にもならないことが判明するに違いない。

中途半端な記事に抗議する

2006年06月15日 | Weblog
輸入ガニを国産と表示販売 朝日新聞の関連会社 (共同通信) - goo ニュース

 輸入ガニを国産などと偽って販売していたなど『朝日新聞』の資本で踊っている朝日子会社の日本人を食い物にしてせせら笑っている姿は、「なるほど」と「容易に納得」させられるのであるが、この記事が実に中途半端に終わってしまっているのはとても残念である。

 そのようなまがい物のカニを食わされた日本人は、それが『中国産』であったか『朝鮮産』であったかはたまた『ロシア産』であったかその辺のところを報道して欲しいのである。

 いずれにしても朝日という無国籍集団は連帯して、まがい物の密輸に励んで日本産などと偽り、日本人を食い物にしているらしい。真性国産と輸入(ひょっとして密輸?)の差額でなんぼの「不当差益」があったのか日本国民はそのあたりを心底知りたいのである。

 ここで、再度思い出した。朝日新聞の代表取締役の御曹司は『麻薬だか覚せい剤だか』知らんがご禁制薬物の助けを借りる『常習犯』であったのだ。世は無常、現の諸行これすべからく『連想』の囚われ人なり『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』。

限りなく空虚なばら色

2006年06月14日 | Weblog
 先日『スマート・ビューティー』の正論については書き記しておいた。今日は、男性軍に舞台を譲ろう、人呼んで『クール・ダンディー』に登場願おう。

 今日は、芥川賞受賞者である村上龍氏に登板して頂く。平成18年6月14日静岡新聞の記事を写し取っておこう。

 負けるべく負けた日本 W杯にまぐれはない:

 初戦の負けを日本ではどう捉えているのだろうか。私は負けるべくして負けた試合だと思った。選手が悪いわけではない。つまり誰かが怠けたわけではない。オーストラリアは強かった。
ディフェンスは異様に落ち着いていたし、一点ビハインドでも決して慌てることがなかった。まるで「自分たちのサッカーを続けていれば絶対に同点にできるし、逆転できる」と信じているかのようだった。
 オーストラリアのサッカーは、背の高いFWに合わせてゴール前にボールを放り込むというような単純なものではなかった。現代最先端のサッカーを展開して、私はびっくりした。まさに高度な組織的サッカーだった。
 逆に日本は行き当たりばったりで単純な攻撃しか出来なかった。高原は中央でボールを受けることがなかなかできなかったし、柳沢はシュートチャンスがあっても打たずパスコースを探していた。駒野と三都主がサイドを駆け上がることはほとんどなく、センタリングの精度も低かった。中村俊輔は相変わらずボールを長く持ちすぎて攻撃のスピードが遅くなった。だがそういったことはこれまでもいつも見てきた光景であり、オーストラリア戦で彼らが特に不調だったというわけではない。
 日本は後半39分に追いつかれるまで1-0で勝っていたが、試合内容としてはいつひっくり返されてもおかしくない展開だったのだ。それにしても不可解なのはジーコの選手交代だ。終盤リードを守らなければいけないときに、どうして守備的な選手を入れなかったのだろうか。「選手の自主性を尊重する」というわけも分らないチーム作りが本番で破綻を見せたというしかない。
 確かに攻撃では自主性やアイデアが大切だが、守備は基本に忠実でなければならないし、しかも合理的なシステムで臨まなければならない。
 敵の左サイドからの攻撃によく対応してきた坪井が負傷して茂庭が出てきた。
 だが、茂庭は負傷した田中誠の代わりに急遽ドイツに呼ばれた選手で、準備ができていなかった。選手を固定して使い続けてきたツケが土壇場になって露呈した。 私は大勢の青いユニホームのサポーターの只中で観戦したが、一点先取した後も、このままではいつか追いつかれるだろうと切迫した気分が蔓延していた。
 だから、終盤立て続けに3点を奪われた時、驚くというより、見たくなかった現実が目の前出現したというような、達観したような雰囲気が全体に漂った。みんな、生で見るオーストラリアの強さにじわじわと圧倒されていたのだ。
 W杯にまぐれはない。
 ジーコは完全に采配を間違えた。
 だが、まだ終わったわけではない。非常に難しいが、クロアチアに勝ってブラジルに引き分ければ決勝トーナメントに進める可能性があるからだ。(全文)

 流石に芥川賞受賞者の意見である。
 一過性の熱病の後、『祭の後の静けさ』の内に味合う感慨とはこのようなものである。(まだすべてが終わったわけではない数値的には50%以上の可能性は残っている)

 しかし、村上氏のこの文章に滲み出ている思いというのは、「敵も知らず己の実力も認識できないものに勝利はなかろう」また、「戦略無き戦に勝ち目はなかろう」そして、最も重要なことは、「選手の自主性を尊重するなどという日本教育界の教育原理を至上のものなどと思えばサッカーの本質さえも理解できなくなってしまう。まして、我が陣地を防衛する機動力を鍛錬していないのだから勝利などおぼつくべくもないのである」。 
 しかし、まだ序盤戦である。WBCで王監督と日本の精鋭達が打ち立てた偉業に思いを馳せ闘争心を大いに喚起して欲しいものだ。

 みんなで手を繋いで平等にゴールすることが『美徳』などと教育された連中に世界の舞台で『勝て!』などと言う指令を出すこと自体とてつもなく気の毒なことである。
 

教師の愛国心評価が課題

2006年06月13日 | Weblog
通知表の「愛国心」評価、削除へ さいたま市の6校 (朝日新聞) - goo ニュース

 このメディアは「売国新聞」などという望外の高評価を国民の皆様から頂き、さぞかしご満悦のこととお察し申し上げる。

 しかし、愛国心に対する評価は実は教師が『児童』、『生徒』、『学生』に対して行なうものではなくて、子供たちが『教師』に対して、愛国度を評価すべき問題であるいうことを一点の曇りもなく認識しなければならない。
 
 教育組合員の意見かどうかこの記事ではつまびらかにされてはいないのでなんとも意見を申し上げるべくもないのであるが、日本国民たる者、国民的総意を早急に涵養し、教育界に対し強く、国民の希望をアピールしなければならない。

 その国民的アピールとは、「子供たちに愛国心を『紛うことなく』伝達できたかは、教える側の教師が、その教師たる素質において問われるべき問題であるにも拘らず、どのように子供たちを評価したらよいのかなどと子供たちに下駄を預けて責任回避し、蛆虫が如き泣き言を弄して、事の本質から国民の目をそらそうなど言語道断である」ということである。
 
 今こそ、無国籍教員(大抵は組合構成員=ヤクザ世界と同じ)が教育者として俎板の上に乗せられた時、生徒とその父母はどれ程の価値を彼らに認めるのか。この際、教員に対する評価を、教育を受ける側に委ねてみたら如何なものかと思う。
 
 彼ら(組合員)の主張とは、『子供たちの主体性を尊重することが正義である』という。それなら、子供たちの正義たるその主体性に、己が無国籍無愛国の主張が正統であるか否かお伺いすべきであろうと思う。そして、子供たちの主体性の欲するままに己が身の上が教師としての職責に耐えるかどうか自己判断すべきなのだ。
 
 愛国心に関して、生徒が教師に評価される必要などまったくない。生徒に対して愛国心のテストを施し、その学習習熟度をもって、『インチキ教師は、君は愛国心が足らない。そんなことではまともな日本人が育たないではないか』と針の筵に正座させられ非国民度を問われるシステムを創り上げれば良いのだ。かくして、無国籍教育団体は解体される運命にあるのだ。

 こういう提案をすれば組合員たる教師諸君は、我々を『未成年者』の餌食にするのかと被害者意識に苛まれることしきりであろう。

 しかし、保護者とて日本の将来を託す大切な若い命を、相手が公務員すなわち公僕だからと信じきって、公僕なればこそ、望ましい日本国民を育んでくれるに違いないと油断していたことが、「楽しんだけど、やっぱり大したことなかったんだよねー僕たち」などと言われた分にはたまったものではない。このコメントは村上、堀江組とワールドカップ監督と選手組の逃げ口上だけで十分である。

 我が静岡県においても石川嘉延県知事が、教育委員会のあり方に意見を述べておられる。

 教職員不祥事続発で石川知事「首長関与も必要」

 石川知事は12日の定例記者会見で、県内教職員の不祥事が続発したことにあらためて言及した。
 教育委員会のあり方について、政治の不当な介入を防ぐ趣旨で独立性が保たれていることに理解を示した上で「行政が予算の調整権しか持たないというのは考えたほうが良いのではないか」と指摘。「首長がもっと教育行政にかかわれる仕組みがあった方が良い」と述べた。(中日新聞)

 とにかく、日本の現在の惨状には無責任左翼またの名を無国籍左翼が深く係わっているという現状認識を持つことが求めれれる。

これぞ極めつけの意見

2006年06月12日 | Weblog
 将来に亘って日本が生き残っていけるかという命題が喉元に突きつけられているのではないかという焦燥感がそこはかとない不安を呼び、日本人とて国際的民族存続基準に照らし合わせて、まともな判断基準を持つべしというマグマの轟きにその耳を晒すべきときに生を授けられた我々は、それこそ「愛国」に己が存在理由を見い出すべきであり、日本人としての「アイデンティティー」を持たなければ「日本民族の揺り篭=日本本土」は日本人の意に反して、中共の侵略により、消滅を余儀なくされるのではないかという切迫した脅迫観念に苛まれるようになったのが昨今の日本国本土を取り巻く国際情勢である。

 近未来を予想できる出版各社と一部の正常なメディアは危機意識を平和ボケ国民に発することしきりである。私など日本民族の将来の繁栄を願う一輩にとっては、誠に喜ばしい流れが定着しつつあると感慨無量である。

 例によって、毎度のこととはいえ、前置きが長くなってしまった。
 今日は、日本正常化路線の一翼を担う小学館の「SAPIO」の読者投稿欄に目を向けたい。この雑誌では一般読者の投稿欄を「The Letters From READERS」と呼んでいる。
 その中に、『これぞ極めつけ!』という投稿を発見し、興奮をもって記憶すべき意見であると直感し書き記すものである。小学館は素晴らしい読者を得た喜びを噛み締めるべきである。

 題名:『日本国憲法を世界がマネしたか』 
 K.K氏(山形 46歳・自営業 サピオ6月14日号参照)

 5月3日の憲法記念日、今年も護憲派、改憲派の会合が開催されていたが、どちらとも盛り上がりに欠けていたようだ。一体、この祝日に何の意味があるのだろうか。理解に苦しむ国民も少なくないと思う。
 護憲派の相変わらずのピントのずれた主張は、ただあきれかえるばかりである。彼らは本気で憲法9条が日本を守っていると信じているのだろうか。そして、世界が、この憲法を評価していると考えているのか。
 答えは『NO!』である。どの国もこんな現実離れしたものを信用していないのは明白なのだ。
 もし、評価されていれば、日本国憲法をマネた憲法を持つ国が、生まれるはずである。世界は「日本はアメリカの属国だから」と思っているだけである。
 そんな主体性のない日本に、憲法などという宝物はいらない。
 いい加減、そのことに我々は気が付く時が来たと思う(全文)。

 まったく、ごもっともな意見をこのように、噛み砕くように簡潔に書いてくれたものであると、このK.K氏に敬意を表したい。

 公明党、日本共産党、社民党、民主党などが小和田かに平和憲法などと世界に発信している所謂『平和憲法』なるものは、実に中国や北朝鮮、韓国に対して『日本国に対する侵略勝手たるべし』と宣言しているに過ぎない。彼らその本性は『無愛国売国奴』であるという認識をさしものお人好し日本人も認識しつつあるのだが、共産化することが日本国民にとって降服をもたらすのか不幸をもたらすのか真剣に考えるべきである。明治以来の日本の国是とは『共産勢力』の侵略に対しては命を賭して戦うというのが我が『皇国』の有り様であったことをゆめゆめ忘れるべきではない。
 

大芝居(第三十二幕)

2006年06月11日 | Weblog
 人間五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻のごとくなり ひとたび この世に生を受け 滅せぬものの あるべきや~

 御前(ごぜん)、その能装束を纏ったいでたち、学芸会のリハーサルに御座るか。

 何といやはや、慣れぬことに挑戦するは、骨の折れることよのう~。
 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ・・・・わしとて、清く美しく粛々と身をば引きなむとぞ思う。

 おお、御前よ!何という自己陶酔の境地に遊んでおらるるのやら。されど、行く川の流れは絶えずして、また元の水にあらず。流れに身を任せずして竿立て立ち止まるは、即時代遅れの朴念仁の証しなり。敦盛も細川ガラシャも分らぬでも御座らぬが・・・・・ 先ずは、この中国消息(中国ニュース)をお聞きなされよ。

 中国主席が訪日希望:
 中国の胡錦濤国家主席は十日、北京の人民大会堂で日本の宮本雄二・駐中国大使と会見し、中断している日中首脳の相互訪問に関し「条件が整えば、適当な時期に貴国を訪問したい」と明言した。
 北京の日本外交筋によると、胡主席が条件付きながら自らの訪日に言及したのは、就任以来初めて。「条件」が小泉純一郎首相の靖国神社参拝の中止を意味しているのは明白で、中国トップ自らが、小泉首相が参拝を中止すれば日中相互訪問を即時再開するとの意向を示した形だ。
 胡主席の発言は、小泉首相だけでなく、後継首相に向けられたメッセージである可能性もある。
 胡主席は会談で「政治面の障害が取り除かれ、両国関係が早期に健全、安定的な発展の機動に戻ることを願っている」と述べ、靖国神社参拝問題解決に向けた日本側の政治決断を暗に要求した。ただ小泉首相を名指しせず、靖国神社への直接的言及も避けた。
 日中首脳の相互訪問に関しては「自分は二十数年来、日中友好事業に関与してきた。日本には友人も多い」とも述べ、日本を重視している姿勢を重ねて強調した。
 また、宮本大使が伝えた小泉首相の「よろしく」とのメッセージに謝意を表明。「首相によろしくお伝え願いたい」と返答した。(静岡新聞)

 ほほう、流石胡錦濤主席である。『ペキニーズ』の風格がある、手下どものポメラニアンやスピッツの姦しさに比べれば、大した風格である。しかし、内容たるや寸分も違わないではないか。いずれの国においても名は体を表わすものである「胡説了」といえば「嘘でしょー」という意味になるのだから、趣には深いものがある。・・・・ところで、貴公、内緒話をしたいゆえ、ちと耳をこちらへ・・・・本音を申さば、わしとて胡錦濤殿には感謝しているのであるよ。考えても見よ、わしなど五年にも及ぶ長期に亘って、そこそこの人気を継続し、思いもよらぬ長期政権を維持できたのも、彼の苔の一念たる「靖国参拝反対」と「靖国神社に祀られた日本国英霊の霊力」に支えられていた政権であるというに尽きる。正反対の立場であるが、双方とも国を守る、特に中国では内乱を抑えねばならない、日本においては中国の侵略から身を守らねばならないという強烈な意志に変わりはない。
 ここで、万が一でも『日本国首相の靖国参拝』を中国や韓国に同情するなどと宣言し『中止』する者が日本の首相に就任することあらば、それこそ我国は骨の髄まで中国にしゃぶり尽くされること必定である。対中韓政策の神髄は『靖国参拝は首相たる私の意志により適切に判断する』これ以外の言葉質を決して与えてはならない。これこそが日本国首相たる資格のDNAそのものである。
 そして、とりわけ国民に周知させねばならぬことであるが、『靖国というブレーキ』があったればこそ、中国のゆすりたかりに対して堂々と対抗でき無駄な出費が抑えられたことを我が後継者は条件反射の如く認識し実行せねばならない。・・・・お分かりか。

 ・・・・何と!海よりも深く天よりも高い見識に感服つかまつるのでありまするが、御前、それでは一体どなたが御前のおめがねに叶っているのか。ヒントの一つも教えてはもらえぬのであろうか。是非お願い致す。

 貴公、既にヒントは与えたではないか、私は「まさに適切に判断」するのである。秘密にして置くのも力の維持に欠かせないのだよ。

愛国心なくしてワールドカップが見れるか

2006年06月10日 | Weblog
「愛国心」盛り込んだ通知表、全国190小学校に (朝日新聞) - goo ニュース

 今時愛国心があって悪いなどと性懲りもなく他愛もない主張をしているのは、教師の中でも、日教組などという組合(最近では、この団体の組織と構成員を教育暴力団体と感じ取っている国民が多数を占めるようになったようであるが)は『愛国心=それは憎むべきもの』などと日本国民に吹聴し、日本人のアイデンティティーを剥奪してしまった元凶である。売国メディアなどと評判の高いマスコミも彼らの片棒を担ぎ日本人骨抜き作戦に精を出すことしきりであった(現在でも、彼らは熱心に愚業に邁進している)。

 それにしても、この記事の歯切れの悪さは一体何なのだ。先日の「天皇皇后両陛下にたいして、敬語の使い方も知らない新聞」への国民的批判を浴びて畏れをなしたのでは無いかと察せられる。しかし、かと言って礼儀正しい表現をすれば、左側の所謂『進歩的文化人』や『日教組』どもが「これでは我々に対する配慮が足らないではないか!」とこの新聞を攻めるのか、それとも「啓蒙的日本精神破壊」の指導者の役を演じているのか「善良なる国民」は知る由もない。
 一方善良なる国民とて愚民ではないのだ、彼らの思いに反比例して、国民の良識はそんなメディアを疎むように、ひょっとしたら憎悪するようになるだろう。

 石原都知事などは、国旗に頭を垂れず、国歌の斉唱も拒否する教員については、厳然と懲戒罰をもって処分すると宣言しておられる。他の道府県も右へならえの大行進が始まろうとしている。その理由は日本人が日本人としてのアイデンティティーを持たなければ、外国人も受け入れていかねばならない国際化の波に対応して行けないという現実が目の前にあるのだ。

 今や、将来を担う大切な人材に、無国籍を強要する教職員組合など『官権』を善用して解体してしまうに限る。その流れが出来つつあるのは、遅きに失したとはいえ、日本国存亡に係わる大事なのである。

 折りしも、天皇皇后両陛下は東南アジア親善の旅に出られ、歴訪される各国においてその扱われようは国賓である、国賓を迎える国は歓迎式典において粛々と、両国の国旗掲揚、国歌演奏をもって自国のアイデンティティーを再度認識し、その認識に基づいてそれぞれが相手国に敬意を表しあうのだ、何と感動的な国際的習慣であることか。そして、両陛下は遺憾なく『日本の元首』として堂々と、しかし決して奢られず日本国の存在感をお示しになるのだ。日本国民はそのありがたさを認識すべきである。

 また、ドイツ国に於いては、ワールド・カップ・サッカー(W杯)が開幕した。日本国民は心底願っている、「日本の精鋭たちが一回でも多く日本の『日の丸』を揚げ、国歌『君が代』を聞かせてくれますように」と!。・・・・・
 そして、この思いは日本人だけのものではない。代表を世界のひのき舞台に送り込んだ各国が共通に自国の国旗掲揚と国歌演奏の名誉に欲したいと、それぞれの国の精鋭に期待を寄せている。世界の晴れ舞台でそれぞれの国民が一回でも多く自国の国旗掲揚と国歌演奏を求めて止まないのである。

 この、感動さえ国民に否定せよと叫ぶ勢力が日本国内には厳として存在するのである。この馬鹿どもの「暴走」を許し難しという決断を国民として下す時に来ているのだと思う。

 『Boys be patriots!』少年よ愛国者たれ!。愛国者の使命とは教壇から無国籍日本民族否定教師どもを追放することである。

 最後に、この新聞記事は、畏れ多くも『NIE』などと提唱するものに値する のであろうか。一体何を言いたいのかサッパリ真意が伝わって来ない。ここでも火事場の野次馬精神が光る。
 

American Know How

2006年06月10日 | Weblog
後継首相は平和憲法継承を 中国党幹部が表明 (共同通信) - goo ニュース

 日本の指導者たるものは根本的な価値観をどこに置かなければならないかという基本的な「ノウハウ」について啓示的な報道に目を向けて、『親中派』これは『媚中派』とも『和製中国人』とも呼ばれる人材が日本国宰相として君臨すること相成らずという警鐘をアメリカがどれ程強く発信しているかを認識して頂きたいものだ。

 先ず、「静岡新聞」の記事を引用してみよう。

 平成18年5月27日 田中首相裏訪中「裏切り」キッシンジャー氏「蔑称」で日本非難:

 ニクソン米大統領の中国訪問など1970年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)が72年夏、田中角栄首相が訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ=日本人」との表現で日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことが、26日までに解禁された米公文書で分った。
 キッシンジャー氏の懐疑的な対日観は解禁済みの公文書から既に明らかになっているが、戦略性の高い外交案件をめぐり、同氏が日本に露骨な敵愾心を抱いていたことを明確に伝えている。日米繊維交渉などで険悪化した当時の両国関係を反映しており、70年代の日米関係史を紐解く重要史料といえる。
 文書はシンクタンク「国家安全保障公文書館」が国立公文書館から入手。26日の公表前に共同通信に閲覧を認めた。

 ハワイで日米首脳会談が行なわれた72年8月31日付けの部内協議メモ(極秘)によると、キッシンジャー氏は部内協議の冒頭で「あらゆる裏切り者の中でも、ジャップが最悪だ」と発言した。
 続けて、中国との国交正常化を伝えてきた日本の外交方針を「品のない拙速さ」と批判、日中共同声明調印のために田中首相が中国の建国記念日に合わせ訪中する計画を非難。首相訪中に関する日本からの高官協議の申し入れを拒否したという。
 また、フォード大統領訪日を直前に控えた74年11月12日付けの国務省会議録(秘密)によると、国務長官も兼務していた同氏は省内会議で田中首相について「日本の標準に照らしてみても嘘つきだ」と言明した。
 今回判明した発言内容に関し、キッシンジャー氏は共同通信の取材に応じていない。

 これが、故田中角栄首相がロッキード事件の濡れ衣をもって、アメリカ合衆国の『制裁』するという断固たる意志のもとにまさに『制裁」された真相である。
 世の中には、天心爛漫、純心無垢なそれこそ聖母マリア様のような愛娘もいるのだから、驚かされぬるというものである。彼女には真相を告げる菅原道真公の東風(こち)が運ぶ梅の香さえも雑音にしか聞こえないのであろう。
 聖母マリアよ、ここは日本なのであるから、お気付きなされ、古来この大和においては「東風」とは左遷の風なることを!。
 親の失態の轍を愛弟子に踏ませること相成り申さぬとは余計なお世話か。
 
 彼の政党とは、トン・チン・カンと申すのであるが、トンとは昔トンちゃんと呼ばれた土下座首相の別称であり、チンさんとは元衆議院議長を彷彿とするお方であるるそのアイデンティティは現職にも色濃く継承されている。彼らが中国などに出向かば。その遺伝子に掛けて『土下座』するであろう。そして、カンとは愛娘そのものである。カンというよりガン・ガンと、とても姦しいのである。
 さて、品の良い冗談はこれ位にして、ジャスト・イン・タイムでこの公文書が出てきた意味を咀嚼する能力を政治家には求められるのである。
 血のめぐりの悪い向きに警告するのだが、『アメリカの怒り=実数、であるが中国の脅しなど所詮、虚数』である。

 参考までに、解禁された米公文書の要旨を記しておくことにしよう:

 1972年8月31日のバンカー駐南ベトナム大使とキッシンジャー大統領補佐官の内部協議メモ(極秘)
 1、あらゆる裏切り者の中でもジャップは最悪だ。
 1、中国との関係正常化を品のない拙速さで進めるだけでなく、中国の建国記念日に訪中したがっている。
 1、昨日、日本側はこの件で鶴見清彦外務審議官が私と打ち合わせをしたいと面会を申し入れてきた。ロジャーズ国務長官にも同様の申し入れをして来た。長官らがどう対応したかは知らないいが、私は審議官には会わない。

 74年11月12日付けの国務省会議録(秘密)
 1、ハビブ国務次官補(東アジア・太平洋担当)日本の内閣は厳しい状況だ。フォード大統領訪日後に、田中角栄首相は辞任するだろう。
 1、キッシンジャー国務長官 大統領訪日で何を達成するのか。
 1、訪日自体が一つの目標達成だ。大きなインパクトがある。訪問を取りやめたら政治的に大きな影響が出る。 
 1、国務長官 田中首相にそれほど関心があるわけではない。
 1、次官補 彼がやめても涙を流すことはない。彼は退屈な首相だった。
 1、国務長官 日本の標準に照らしてみても嘘つきだ。

 かくして、USAの意向に沿わないものは徹底的に江戸の仇を長崎で討たれることになるのだ。媚中派などとのんきなことも言っては居られまい『アメリカ様は中国が大嫌いなのだ』。
 

当然の批判

2006年06月08日 | Weblog
陛下報道で敬語なしを批判 文科相、教基法特別委で (共同通信) - goo ニュース

 聞く所によるとこんな国語能力もないような新聞の記事が大学受験の材料に使われるのですと。大学の品位が大いに問われなければなるまい。
 その記事は、流石に『売国新聞』新聞の真骨頂である。参考までに、馬鹿馬鹿しいことではあるが、書いておこう。

 両陛下がお忍びで皇居外を(ご)散策

 天皇、皇后両陛下は14日朝、皇居近くの北の丸公園をお忍びで散策した(なされた)。両陛下は朝食前に皇居内を散策する(なさる)のが日程だが、「外出」をともなった散策は極めて異例。宮内庁によれば、最近では、03年8月に皇居外苑を散策して(なされて)以来という。
 両陛下は出かける(お出かけになる)さいに、同公園そばを通ることが多く、以前から公園内での散策を希望して(なされて)いたという。この日、ともに軽装の両陛下は皇居・北側の乾門を徒歩で(ご)出発。途中の横断歩道では、赤信号で信号待ちする珍しい光景を見られた。数分で公園に到着した(された)後、約30分間、植物を見る(ご覧になる)など散策を楽しんだ(しまれた)。
 両陛下の(お)姿に公園に居合わせた人は一様に驚いた様子だったが、両陛下は「おはようございます」と声をかけられていた。医務の散歩中だった主婦は「母の日に合わせ、天皇陛下から皇后さまへのすてきなプレゼントになったのでは」と話した。

 あまりに『礼を欠く』表現に呆れ、最低限の添削を施させて頂いた。こういう国語表現しかしない(おそらく分っていて無礼の限りを尽くす)メジャー・メディアに正常な世論を語ったり、世論を誘導する品位や資格があるのであろうか。それを受ける日本国民の品格が問われているのだと思う。

Cuando Caliente SHIZUOKA#45

2006年06月07日 | Weblog
村上代表「金もうけ、悪いことですか」 つきまとう酷評 (朝日新聞) - goo ニュース

 世に盗人の種も尽きまじ:

 この男に踊らされた善良なる投資家も多かったことだろう。しかし、この村上代表(今では元代表というべきである)の小物ぶりに『絶望』している向きも多かろう。これらの人材を輩出した冷蔵庫は東京大学という最高ブランドであるという事実に先ず気付くべきである。最近では元民主党議員で職責を追われた永田氏、ライブドアーの堀江氏(彼は東京大学中退)、それに真打はこの村上世彰(よしあき)氏である。どれもこれも東京大学もやし発芽部で大切に育成された日本国の人材であった。元々背骨の発育が特に遅れていると医師団に指摘されていた連中であるが、骨抜きの順序をべき順に並べれば、村上、永田、堀江ということになろう。
 
 永田氏は政界の人であったゆえ、コメントは差し控えるのであるが、この村上という小物に恫喝され、その仮面に踊らされた経済人は所詮踊らされた『ポンポコリン』であるが、彼の『ピーヒャラ』がそんなに上等なものとも思えない。騙す方も騙されるほうも、ママゴトに余念がなかった。

 いつものことではあるけれど、日本人の悪い性向というものが今回も頭をもたげている。それは何かというと「取引自体を規制しようという動きである」。
 先般の15年越しの経済不況の原因がどこにあったかといえば、土地バブルを押さえると称して、ヒステリー女の如くサディスティックに土地税制や土地取引を規制しすぎた因果応報の法則に起因するものであったことを思い出すべきである。巷ではそれを『官製不況』と評していたことを忘れてはなるまい。

 やはり日本人の欠点が今回も色濃く出てしまうとは民族的悲劇である。聞き心地のよい「お上の規制」これほど、馬鹿馬鹿しい証券市場に対する仕打ちというものはない。立法府がやるべきことは規制の強化ではない。そんなことをすれば、日本から瞬く間に健全な投資資金さえも出て行ってしまう。ここは、このような犯罪紛いの行為を行った者(摘発されて初めて世間は知るのであるが)に対して、厳罰を科し、市場の自由性については、原則「自由」という立場を貫くことだと思うのは私だけであろうか?。
 
 今回の一連の証券不祥事で国民が学ぶべきことは、東大のエリートには自分の尻の始末もできないということである。この者達にとって、命の保障のある場所は、所謂『刑務所』である、世の中、3~4万円のコンビ二ストアーの売上金で命を落とす時代である。彼らの希望は、命の保障と引き換えにできるだけ長い『服役』を希望することであろう。

 それでは、小悪党のケチな所業を静岡新聞から拾っておこう。

 村上容疑者 保有株現金化狙う ニッポン放送株共同取得提案時売り抜け画策

 ニッポン放送株をめぐるインサイダー取引事件で、「村上ファンド」の村上世彰容疑者(46)が、ライブドア側に同放送株の共同買付を持ちかけてた2004年9月には、同放送株の大量保有が長期化し、早期に現金化して利益を確定させる必要性に迫られていたことが7日、関係者の話で分った。
 東京地検特捜部は、村上容疑者が当初からライブドアの買占め発表後に保有株を高値で売り抜ける狙いで共同取得を持ちかけたとみて、実体解明を進めている。
 関係者によると、村上ファンドは2003年に本格的なニッポン放送株の買い付けを始め、筆頭株主となった。同年にはフジテレビとの共同持ち株会社設立を提案、保有株を買い取らせようと画策したが失敗。04年6月の同放送株主総会では、自身の社外取締役就任による経営参画を狙ったが、これも退けられた。
 投資額が多額で、早期に利益を確定させる必要があったが、市場で大量の株を売却することは値崩れを起こす恐れがあり困難。ライブドアに同放送株の共同買い付けを提案した同年9月ごろは、保有が長引く中、売却先を探していた時期だったとされる。
 村上容疑者は同月15日、「ニッポン放送の経営権が取れる。一緒にやろう」などとライブドア側に持ちかけ、共同での買い付けを提案した。ライブドア側はこれに応じ、昨年2月8日大量買占めを発表。村上容疑者は保有株の一部をライブドアに売ったが、残る株の大半は発表直後の株価急騰時に共同買付の約束に反して市場で売却。
 前取締役宮内亮治被告らライブドア側は、こうした村上容疑者の「裏切り」への不信感から、特捜部の事情聴取に、一連の経緯を詳しく証言。これがインサイダー取引摘発の発端となったとされる。

 投資家よ利口になれ!。「株式投資」などと言う甘い誘いに乗っていけない。そこは博打の場であると心すべきである。この犯罪人ども(まだ刑は確定していないが)のいう投資の世界とは『数学でいう実数の世界ではない』即ち、『虚数の世界』と心得るべし。
 貴方方は、現金という実数を持ってその世界に入り込み『時価総額』という夢を見させてもらうことになる。しかしそれは、実体があると思えばあるないと思えばない世界である。すべては博打場の『大勢感』に懸かっている『虚数=虚構』の世界である。この世界で成功するには『大勢感が実数』であるうちに人より一歩早く降りて現金という実数を手にする才覚があるかないかが問題なのだ。
 

金正日は叫ぶ「兄ちゃんだけ良い子はないじゃん!」

2006年06月06日 | Weblog
 金正日君も干されればなんでも吐いてしまう。悪の本源は今一歩で暴露されるであろう。引き続き徹底した「金融制裁」が続行されるべきである。平成18年6月6日産経新聞の記事を書き留めておこう。

 「中国の方が偽札大量製造」

 北朝鮮が紙幣偽造などをおこなったとして米政府が科した金融制裁に対し、北朝鮮側が「中国の方がもっと大量に偽札を製造している」として、不満を表明していることが5日明らかになった。
 北朝鮮は、「わが方は偽造貨幣の製造流通の被害者」(外務省報道官)と反発しているが、中国を放置し自分たちを制裁するのは不当という認識が反発の根拠の一つになっていることを示すものだ。
 北朝鮮事情に詳しい消息筋は、先ごろ訪朝して北朝鮮関係者と接触した際、米国の制裁に関連して「中国も大量に紙幣を偽造しているのに何故中国は放置して我々だけに制裁を科すのか」との趣旨の話を聞いたと説明。北朝鮮の偽札造りについては明確に否定せずに「中国の方がより多く製造している」と答えたという。

 この話を聞くにつけ、「さもありなん」という感想を持つのは私だけではあるまい。ひょっとしたら、『お中国さまの思し召しを素直に受け入れて、偽札造りに盛を出したのかもしれない』。かくして、中国の親愛なる北朝鮮は、「三歩下がって兄の影を踏まず」とお中国さまをお立て申し上げたにも拘らず『濡れ衣』だけを負わされた悲哀を噛み締めているのであろう。

 北朝鮮は悪徳の師たる中国情報をすべて世界のメディアに開放せよ!、さすれば世界の同情は北朝鮮に集まり「生きる糧」を世界があてがうであろう。中国の被害者たる地位に甘んじ続ければ、北朝鮮の血は滅びるであろう。

 それにしてもお中国さまは何と冷たいお方であるあることか。兄思いの弟が飢え死にしようと一向に知らん呈である。ここは勇気を持って、拉致被害者を解放し、西側の『援助』に己が命を託すべきなのだ。それが北朝鮮の生き残る道であろう。