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若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

教師の愛国心評価が課題

2006年06月13日 | Weblog
通知表の「愛国心」評価、削除へ さいたま市の6校 (朝日新聞) - goo ニュース

 このメディアは「売国新聞」などという望外の高評価を国民の皆様から頂き、さぞかしご満悦のこととお察し申し上げる。

 しかし、愛国心に対する評価は実は教師が『児童』、『生徒』、『学生』に対して行なうものではなくて、子供たちが『教師』に対して、愛国度を評価すべき問題であるいうことを一点の曇りもなく認識しなければならない。
 
 教育組合員の意見かどうかこの記事ではつまびらかにされてはいないのでなんとも意見を申し上げるべくもないのであるが、日本国民たる者、国民的総意を早急に涵養し、教育界に対し強く、国民の希望をアピールしなければならない。

 その国民的アピールとは、「子供たちに愛国心を『紛うことなく』伝達できたかは、教える側の教師が、その教師たる素質において問われるべき問題であるにも拘らず、どのように子供たちを評価したらよいのかなどと子供たちに下駄を預けて責任回避し、蛆虫が如き泣き言を弄して、事の本質から国民の目をそらそうなど言語道断である」ということである。
 
 今こそ、無国籍教員(大抵は組合構成員=ヤクザ世界と同じ)が教育者として俎板の上に乗せられた時、生徒とその父母はどれ程の価値を彼らに認めるのか。この際、教員に対する評価を、教育を受ける側に委ねてみたら如何なものかと思う。
 
 彼ら(組合員)の主張とは、『子供たちの主体性を尊重することが正義である』という。それなら、子供たちの正義たるその主体性に、己が無国籍無愛国の主張が正統であるか否かお伺いすべきであろうと思う。そして、子供たちの主体性の欲するままに己が身の上が教師としての職責に耐えるかどうか自己判断すべきなのだ。
 
 愛国心に関して、生徒が教師に評価される必要などまったくない。生徒に対して愛国心のテストを施し、その学習習熟度をもって、『インチキ教師は、君は愛国心が足らない。そんなことではまともな日本人が育たないではないか』と針の筵に正座させられ非国民度を問われるシステムを創り上げれば良いのだ。かくして、無国籍教育団体は解体される運命にあるのだ。

 こういう提案をすれば組合員たる教師諸君は、我々を『未成年者』の餌食にするのかと被害者意識に苛まれることしきりであろう。

 しかし、保護者とて日本の将来を託す大切な若い命を、相手が公務員すなわち公僕だからと信じきって、公僕なればこそ、望ましい日本国民を育んでくれるに違いないと油断していたことが、「楽しんだけど、やっぱり大したことなかったんだよねー僕たち」などと言われた分にはたまったものではない。このコメントは村上、堀江組とワールドカップ監督と選手組の逃げ口上だけで十分である。

 我が静岡県においても石川嘉延県知事が、教育委員会のあり方に意見を述べておられる。

 教職員不祥事続発で石川知事「首長関与も必要」

 石川知事は12日の定例記者会見で、県内教職員の不祥事が続発したことにあらためて言及した。
 教育委員会のあり方について、政治の不当な介入を防ぐ趣旨で独立性が保たれていることに理解を示した上で「行政が予算の調整権しか持たないというのは考えたほうが良いのではないか」と指摘。「首長がもっと教育行政にかかわれる仕組みがあった方が良い」と述べた。(中日新聞)

 とにかく、日本の現在の惨状には無責任左翼またの名を無国籍左翼が深く係わっているという現状認識を持つことが求めれれる。