昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

これぞ極めつけの意見

2006年06月12日 | Weblog
 将来に亘って日本が生き残っていけるかという命題が喉元に突きつけられているのではないかという焦燥感がそこはかとない不安を呼び、日本人とて国際的民族存続基準に照らし合わせて、まともな判断基準を持つべしというマグマの轟きにその耳を晒すべきときに生を授けられた我々は、それこそ「愛国」に己が存在理由を見い出すべきであり、日本人としての「アイデンティティー」を持たなければ「日本民族の揺り篭=日本本土」は日本人の意に反して、中共の侵略により、消滅を余儀なくされるのではないかという切迫した脅迫観念に苛まれるようになったのが昨今の日本国本土を取り巻く国際情勢である。

 近未来を予想できる出版各社と一部の正常なメディアは危機意識を平和ボケ国民に発することしきりである。私など日本民族の将来の繁栄を願う一輩にとっては、誠に喜ばしい流れが定着しつつあると感慨無量である。

 例によって、毎度のこととはいえ、前置きが長くなってしまった。
 今日は、日本正常化路線の一翼を担う小学館の「SAPIO」の読者投稿欄に目を向けたい。この雑誌では一般読者の投稿欄を「The Letters From READERS」と呼んでいる。
 その中に、『これぞ極めつけ!』という投稿を発見し、興奮をもって記憶すべき意見であると直感し書き記すものである。小学館は素晴らしい読者を得た喜びを噛み締めるべきである。

 題名:『日本国憲法を世界がマネしたか』 
 K.K氏(山形 46歳・自営業 サピオ6月14日号参照)

 5月3日の憲法記念日、今年も護憲派、改憲派の会合が開催されていたが、どちらとも盛り上がりに欠けていたようだ。一体、この祝日に何の意味があるのだろうか。理解に苦しむ国民も少なくないと思う。
 護憲派の相変わらずのピントのずれた主張は、ただあきれかえるばかりである。彼らは本気で憲法9条が日本を守っていると信じているのだろうか。そして、世界が、この憲法を評価していると考えているのか。
 答えは『NO!』である。どの国もこんな現実離れしたものを信用していないのは明白なのだ。
 もし、評価されていれば、日本国憲法をマネた憲法を持つ国が、生まれるはずである。世界は「日本はアメリカの属国だから」と思っているだけである。
 そんな主体性のない日本に、憲法などという宝物はいらない。
 いい加減、そのことに我々は気が付く時が来たと思う(全文)。

 まったく、ごもっともな意見をこのように、噛み砕くように簡潔に書いてくれたものであると、このK.K氏に敬意を表したい。

 公明党、日本共産党、社民党、民主党などが小和田かに平和憲法などと世界に発信している所謂『平和憲法』なるものは、実に中国や北朝鮮、韓国に対して『日本国に対する侵略勝手たるべし』と宣言しているに過ぎない。彼らその本性は『無愛国売国奴』であるという認識をさしものお人好し日本人も認識しつつあるのだが、共産化することが日本国民にとって降服をもたらすのか不幸をもたらすのか真剣に考えるべきである。明治以来の日本の国是とは『共産勢力』の侵略に対しては命を賭して戦うというのが我が『皇国』の有り様であったことをゆめゆめ忘れるべきではない。