昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

ならば国防省と改称すべし

2005年11月22日 | Weblog
防衛庁、「省」昇格へ 自民、次期国会成立目指す (産経新聞) - goo ニュース

 私も一日本人であるが、こうも自己卑下を国是とするような国柄というものは地球広しと雖も世界で唯一の贖罪国家の真骨頂である。防衛省に昇格すると「口を開ける」ことができるようになったことだけは、いささかの進歩である。
 しかし、謙遜して防衛などと、一体何を防衛するというのであろう。こういう目的語を含まない表現は「百害あって一利もない」愚行であると、いい加減に悟ったら如何なものか。日本人が日本国民として守らなければならないものは、日本国以外の何ものでもないはずである。
 そういう見地で物申すべき国会議員は「一体何を憚って」防衛省などと主体性のない表現をするのであろう。日本国民が真っ先に守らねばならないのは「日本国」そのものであるはずである。
 元来、防衛などという単語は疫病から国を守るとか、鳥インフルエンザから国を守るとかとの程度のインパクトしかない。その程度の問題は厚生労働省にでも任せておけばよい。
 外国の侵略、軍事的挑発から国家を守る任を負う省は「国防省」と改名してしかるべきである。そういう表現をすることが愛国の情をはぐくみ国民として、他人を思いやる精神を醸成して行くのである。

 話は変わるが、以前この「産経新聞」の青少年の投稿の中に外国の教育を受けて帰国した所謂帰国子女の文章を見かけたことがあったが、その青年(男子)は、自分が滞在した外国では『愛国教育』というものをしていた。国を愛するという教育は、ひいては他人を思いやるという精神を育むのだという。
 だから、適切な愛国教育の行われている彼の滞在した国では、今日日本で頻発しているような「凶悪少年犯罪」が少ないという趣旨の発言をしていたのが今でも頭に残っている。傾聴に値する意見であったことを記憶している。