昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

歴史再認識(第十一話)

2005年11月03日 | Weblog
 第十話では極東軍事法廷(中国の表現方法)の非正当性について申し述べたのであるが、引き続いて今日は、サンフランシスコ条約前後について歴史の再認識を試みたい。

 サンフランシスコ対連合国講和条約が発効したのは1952年(昭和27年)四月二十八日のことであった。この時をもって、日本は独立国となったのであるが、この時点において、連合国側の不当な不当な極東軍事法廷で「戦犯として拘束していた人々」が全て釈放されたわけではありませんでした。

 この時点で、1224人もの人が戦犯として連合国側に拘束されていました。これらの人々はは、単に日本の刑務所ばかりでなく海外の刑務所においても収容服役していました。
 そうした中、留守家族の人々が中心となって、「戦争受刑者の助命、減刑、内地送還嘆願」の署名運動を全国一斉に始めました。
 その成果は、地方公共団体によるもの2千万件、各種団体によるもの2千万件にも上りました。国会、政府、政党などに対する陳情も夥しい数に上りました。

 当初は、独立後も釈放されない人々への同情という色彩が強かった「戦犯釈放運動」でありましたが、この運動の盛り上がりと共に、東京裁判とは何だったのかという問題意識が国民的に高まりました。

 GHQによる占領政策が解けるや、東京裁判に対して批判する書籍も多く出版されるようになり、インドのパール判事の著書や、イギリスの元官房長官ハンキー卿の「戦犯裁判の錯誤」などは特に日本人が好んで読んだ書籍でした。
 この頃、日本国民は総じて、「東京裁判などは戦勝国による敗者に対する制裁」であるという認識をもっていました。
 その後、卑怯者の共産勢力(実は戦争にも行けなかった臆病者達)の巻き返しにあい、現在の私達の腰抜けぶりが演出されているのである。この者達の使命とは日本国を共産勢力に進呈しようとしているのである。
 見ての通り、ソビエトは経済破綻してしまってこの地球上から姿を消した。残っているのが中共と北朝鮮である。北朝鮮などを敬愛しているのが「N教組」などという勢力なのである。この組織の首領は憚りも無く公然と、朝鮮詣でなどしているという話である。この者達が日本の教育を牛耳っているのだから、どのような「日本人」が出来上がるのか想像に難くはないであろう。

 この頃の政治家には日本人としての気骨が残っていて、一致団結して戦犯(戦勝国の価値観による独断的な犯罪人)の釈放に努めました。

 昭和二十七年十二月九日労農党(極左政党)を除く衆議院議員の圧倒的多数で、「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」を可決し、自由党議員の田子一民は趣旨説明の中で、ハンキー卿の所論を引用して「東京裁判は失敗だった。この戦争裁判のしっぱいを拭い去るためにも一切の戦犯を釈放すべきだ」と訴え、また、改進党の山下春江も東京裁判を「法律の権威を失墜せしめた、拭うべからざる文明の汚辱」と激しく非難しています。
 この当時、国民の常識として日本人は東京裁判を不当なものとして認識していたことを現在の我々は再認識すべきです。

 このように、戦後国際社会に復帰した日本が先ずおこなったことは「東京裁判への異議申し立て」であったことを改めて再認識しようではないか。

 特に「和製中国人」たる国会議員であるとか「贖罪史観」に苛まれる臆病国会議員はその存在自体が国益に反する者として国民の謗りを受けるべきである。

 「皆の衆」のご意見は如何なものであろうか。
 (教科書が教えない歴史を参照したことを記しておく)


恐怖の暗黒大陸

2005年11月03日 | Weblog
米セミナー 中国メディア、反日の「要」 共産党が徹底支配「弾圧」 (産経新聞) - goo ニュース

 この種の報道がなされる度に、そこはかとなく、中国という国の空恐ろしさを感じるのである。
 
 日本は、このような報道統制、人権弾圧、汚職、宗教弾圧等、恰も「悪の権化」というべき国のプロパガンダに乗せられ、「反省と謝罪」を強要され、自尊心さえ喪失した政治家や経済人が阿る事しきりである。彼らを「和製中国人」と呼ぶのである。

 毛沢東の時代には、2千万人が惨殺されたとも、3千万人が惨殺されたとも、いやいや、1億人が犠牲になったという人もいて、一体どれ程の人が殺戮の憂き目をみたか定かではないのであるが、いづれにしても、天文学的数字であることには違いない。悪の化身と評される「ヒットラー」でさえ、青くなる夥しい数である。

 このような恐ろしい数字は、親子で殺しあうとか兄弟で殺しあうとかを国全体で行わない限り、出てくる数字ではあるまい。扇動されれば国ごと「気ちがい」となれる国柄であると一点の曇りも無く認識すべきである。

 「日中八年戦争」を反省せよなどというなら、先ずもってこの民族が持つ「狂気」の部分に目を遣るべきなのである。一説によれば「食人文化」さえあったと聞く。無防備にこの国に経済進出などしようとすれば、袋の鼠になりに行くようなものである。金を貸せれば相手は貰ったものだと思うのである。取立ての手段を持たない「丸腰」の者がすべき行為ではない。

李登輝先生将訪『奥之細道』

2005年11月03日 | Weblog
 これはほとんど「一個日国老僕的笑談(オジンギャグ)」であるからして、取るに足らないことであるが、何ゆえに李登輝先生が芭蕉という詩人に思いを寄せられるかといえば、それこそ「台湾バナナ」と先生の脳裏に深く刻まれているからであろうと、邪推するからである。
 
おそらく李登輝先生のセンチメンタリズムと言いますか感覚において、一、日本の俳諧詩人が「芭蕉」なるペンネームを使用したこと自体が興味深いことであったのではないかと憶測するのである。

 台湾に限らず漢字圏で「芭蕉」と書けば「バナナ」を意味するのである。
 こういう意味合いもあって、先生は、バナナ・・台湾芭蕉・・松尾芭蕉と連想されるのではないだろか。

 この李登輝先生ほど現在の東アジアにおいて「老いたりと雖も鯛は鯛」と言うべきお方はいないのである。アジアの長老である。

 台湾人に対して、韓国よりも先に「不要ビザ入国」の特権が与えられたのは周知の事である。
 ならば、私人となられた「先生」も松尾バナナの足跡を辿られてしかるべきだと、愛知万博における対台湾人への特別入国計らいをフルに利用して、「奥の細道を辿られて見たら如何なものか」と日記に書きしるした事があった。

 『おいでませ日本へ!!芭蕉が江戸を出発し「白河の関」越えを果たしたのも旧暦の弥生、太陽暦では四月である。時、まさに桜の花が咲き乱れる頃である』

 「李登輝愛好紙」の伝えるところによれば:

 李登輝氏は、第三次小泉改造内閣の発足について、「自民党内の派閥政治が終焉し国益中心の組閣となった」と評価した。

 麻生太郎氏の外相起用にも触れ、「強い外相になるだろう」と述べ、日本の独自外交の展開に期待感を表明した。自身の訪日については、「来年四月に『奥の細道』を必ず歩きたい」と話した。

 先の衆院選での自民党圧勝に関し、「国益を優先するよう人民が求め(中国などへの)土下座外交への反感があった」と分析。そのうえで、組閣について、「指導者が国全体の立場を考えた。日本は民主政治が伸びて国が強くなる」と見ている。

 また、「憲法改正を推進して、自衛隊などと遠慮がましい言葉をやめて、国の軍隊とすべきだ」と第三次小泉内閣への期待を強調、日米と台湾による東アジアの安全保障の枠組みにも言及した。

 李氏は、麻生太郎、中川昭一、小池百合子、安倍晋三、額賀福志郎、与謝野馨という入閣組の六氏に祝電を送ったことも明らかにした。いずれも李氏とは旧知の仲という。

 「家内に来年の四月には(念願の)奥の細道を必ず歩こうと話した」と明かし、桜の開花時期に合わせて、東北地方を訪れる希望を表明し、その目的は、「夕焼け小焼けの童謡にあるような人間と自然が溶け合う日本人の持つ情緒的ないい面は他国にないことであり、(李氏が奥の細道で芭蕉について語ることなどで)日本人に改めて(日本)の良さを知ってもらいたい」と話した。・・ということである。

 元日本人が現在のナマクラ日本人に日本伝統の良さを知らしめてくださるというのであるから、頭の下がる話である。

 次回の李登輝先生訪日に対しては、日本政府は毅然として「彼の希望」に応えて欲しいものである。日本が「独立国家」であるかと言う事が国際的に問われるのである。