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若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

対中韓骨太外交の神髄

2005年11月20日 | Weblog
 今日は「静岡新聞」の拾い読みをしよう。

 韓国釜山での内外記者会見: 小泉純一郎首相は十九日夕、韓国釜山で内外記者会見を行い、首相の靖国神社参拝で悪化している中韓両国との関係について「たとえ一つの問題で意見の相違があっても全体の友好関係を損なわないことが必要だ。中長期的に関係を悪化させない努力をしなければならない」と大局的見地に立って関係修復に取り組む重要性を強調した。
 その上で、中韓両国と日本は貿易、文化芸術などの面でかつてないほど交流が拡大している」とも指摘。「時間がたてば理解されると思う」と述べた。
  
 靖国参拝については「総理大臣である小泉純一郎が一人の国民として参拝している。二度と戦争を起こさず、戦没者への哀悼の誠を捧げるためだ」と私的参拝を強調。
 靖国神社が先の戦争を正当化しているとの指摘に対し、「その見解は支持しない」と述べた。

 また、麻生外務大臣も大分県別府市で記者会見し、韓国釜山で十八日に行われた日韓首脳会談でノムヒョン大統領の年内訪日が確定できなかったことに関連して、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題で譲歩してまで実現を図る必要は無いとの考えを示した。
 麻生氏は「来てもらうために日本は何を譲るかという話になり、それが靖国の話になるのは果たして正しいか」と強調した。
 ただ、「日本は通常通り声はかける」と述べ、今後も大統領来日の要請は続ける意向を表明。

 私など、ただの「無芸大食」だけを取り柄とするしがない一日本人であるが、この対外国へのスタンスこそ「本来望まれていたものである」と感銘するのである。 相手にこちらの価値観なりものの考え方を理解させない限り、まともにイーブンな付き合いなど成り立つ訳はないのである。

 小泉純一郎首相には所謂日本人としての「土くれの苔の一念」を感じる。外交とはこの方が標榜されるように、先ず「日本と日本人の魂」を外国に遠慮なく発信し共感を得ることから始めるべきなのである。
 そういう立場で得られた成果こそ「真の国益」に適うべきものである。麻生外務大臣も国民は「小手先の戦利品」などには興味をもってはいない。腰を据えて事にあたって頂きたい。

 日本国首相が日本国内に在る神社に参拝すれば外交の障害になるなどとは一部の大陸、半島系報道機関が善良な日本人に植えつけた「妄信」である。そして、それに迎合する無国籍宗教団体の扇動に耳を傾けるべきではない。彼らこそ大陸に亡命すべき運命にあるのだ。