昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

おぱん亭ちずこ

2005年11月11日 | Weblog
「ジェンダーフリー蔓延度」 文科省 初の実態調査通達 (産経新聞) - goo ニュース

 全国津々浦々の「お嬢ちゃん、ぼんぼん、オッサン、父ちゃん、母ちゃん」に至るまで、いかがお過ごしであろうか?・・・・何、つつがなくお過ごしであると。・・・・それはそれは益々もって結構である。

 おや、闇夜に動くものの影あり、「そこの者、暫し待たれよ!」。高貴な装いに、唐草模様の下品な頬被りのいでたち、そこもと「名を名乗られよ!」

 「この身、此処にありと見破られたからには致し方なかろう、されば、見よこの顔を、知れ我が姿を」

 な、な、何と!その身なりお顔立ちといい、「御前(ごぜん)」その人ではないか。まったく、夜這いに出かけようという時に、このような場所で拙者に見つかるとは、悪さを犯す才覚も御座らぬではないか。

 まったくもって、不覚であった、しかし、捕らえられた以上、観念せねばなるまい。「おぱん亭ちずこ」とは、はなはだ「意味深」というか、「いかがわしい」寄席である。この際、わしを共演させてもらえぬものかの。

 場違いの来場には感謝申し上げる次第で御座りますが、御前の「主演番組」は「大芝居」で御座る。しかし、かような低俗番組にご来場のうえ、ご出演希望とあれば、「相方」の役どころをご演じ願いたい。ただし、本日は無礼講に御座りまするぞ。そこをご承知の上ならば苦しゅう御座りませぬ。


 貴公、わしの察するところ、これは「おパンティー地図子」と読ませたいのであるな?・・フムフムさすがに、とても奥ゆかしい表現である。わしらも若き時代「夢精時代」を経験したものである。懐かしいのう。これは「艶夢」の講談か?面白そうじゃの。

 ほほう、御前とて、一皮むけば「下世話な話」もお得意とお見受け致す。誠に結構で御座る。
 今は昔、さる新人女性議員のスカートの丈が短かかったのはいうに及ばず、この方には「見せパン」を所謂「老人男子議員」にそれとなくお見せすることいとわずという「理念」がござって、下世話にいう「パンチラ」をやってのけたそうな(これは以前の拙者の日記参照のこと)
 この話を漏れ聞いた新聞記者どもが色めきたって、老議員達に「詰問」したところ、その色、形については「ノーコメント」であったとか。
 ところが、この新人は「スカートの中の劇場」愛好家であったため、まさか「トランス・アピアラントおパンティー」愛好家ではないかという憶測さえよんだのであります。

 何ともいやはや、とんでもない劇場に迷い込んでしまったものである。
 ならば貴公、恥を忍んで気になることを質問するのであるが、「地図子」とは、ひょっとして、小学生の時学んだ所謂、「女性の艶夢」のことをいうのか。

 いい年をして、何と晩生の質問をなさるのか。さようなことは、かの「ジェンダー・フリー」女史など幼稚園の時に教育しなければならないと主張しているので御座るよ。十年一昔の遅れに御座ります。

 ところで貴公、その「ジェンダー・フリー」とは日本語で「全裸自由」とでも言うべきものなのか。

 御前、いささか稚拙とはいえ、いかにもそう訳しても一向に差し支えないものに御座ります。

 ジェンダー・フリーとは: ジョン・コラピンというアメリカのジャーナリストが書いた「ブレンダと呼ばれた少年」という小説に起因するのである。
 実は、このブレンダは一卵性双生児のうちの一人であったのであるが、生後八ヶ月経った時、男性器の包皮切除手術をうけたのであるが、医師が手術に失敗して、男性器を切り取ってしまったという尋常では考えられないところから話は始まるのである。困った担当医は元々の男子を女子に性転換してしまったのである。
 そういういきさつでこの子は「ブレンダ」という名を付けられ、女の子として育てられたという奇怪な話です。
 (今回ジェンダー・フリー狂の某男女共同参画大臣となったお方は双子の母親であるという理由でまさか一人を性転換するのではないかという興味本位の憶測がもたれて注目されているという・・・実に下世話な話ではあるが)

 ところで、手術をこの双子の両親に勧めた「ジョン・マネー」という性科学者は「実際に女の子として育っている」と論文などをメディアを使い大々的に発表し、世界的に注目を集めました。

 この話に、飛びついたのが元東京帝国大学とよばれていた某大学の「パンティー文化論者」たる「おぱん亭ちずこ」氏でありました。
 この学派の「ノーターリン」なところは、『生物的性差(生まれつきの雌雄)の基礎の上に、心理学的性差、文化的性差(ジェンダー)が積み上げられるという考えを否定し、人間にとって性別とはほんらいの性ではなくジェンダーであることを、明瞭に示したと、この奇怪な一例をもって万象を演繹するという冒涜を犯すのである』

 この者達は、これぐらいの軽薄さであるため、ブレンダが性転換した女性の心理的葛藤には目を向けようとしません。心理の健全さという点において、この幼児期における性転換手術は失敗でした。このブレンダは半ば精神障害者となてしまい十四歳で再び性転換手術を受け「デイビット」という本来の性(男性)に戻ります。
 この話の本来の趣旨は、「馬鹿げた性転換手術のおかげでとんでもない苦悩を強いられたのだから、そのような神をも冒涜するような愚行を行うべきではない」という教訓を社会に訴えたものでした。
 その後、この「デイビット」は結婚しましたが心の傷が癒されず昨年自殺したとのことです。
  
 この日本において問題なのは一部の偏執なマニアがこのような愚行をすることは心情の自由が保証されているのだから止めはしないのであるが、性懲りもなしに「小学校の教育課程」に持ち込むことは断じて許すべきではない。(諸君十二月号参照)

 わしらも政争に明け暮れている身ゆえ、世間を見渡す目が曇っていたとつくづく思い知らされた。大いに有意義な漫談に参加させていただいたことに感謝いたす。