昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

大芝居(第三十幕)

2005年11月01日 | Weblog
 御前、一体何を吹いておられるのか?
 ほほう、よくよく見ればそれは膾(なます)では御座りませぬか。よほど「羹(あつもの)」に懲りたるものとお見受けいたす。お察し申す、お察し申す。

 貴公、わしのプライベートな時間帯にかように性懲りも無く侵入しおって、さような行動はまったくもって、プライバシーの侵害である。重い犯罪と心得ねばなるまい。

 さような他人行儀なおぞましき申されよう、全く「秘密主義の権化」ではありませぬか。
 拙者とて「浜松やらまいかの衆」の民意を背負う身なれば、声高に原因究明の声を上げなければなりますまい。御前にあらせられては、お見受けしたところ、はなはだ「女人偏向症」の気があるのではと案ずるのでありまするが?
 今は昔、初期御前内閣誕生の「マリア様」の悪夢を髣髴とする事態に立ち至ることがあってはならぬと、ことここに及んで、心配なされたのだと邪推致すものであります。

 世の中の森羅万象の中で、良きにつけ悪きに付け話題になるのは、それなりに評価されるべきである。「やらまいかの衆」の気持ちも分らぬものではないのであるが、この内閣は、官僚退治を果敢に決行していかねばならぬのである。
 退治劇を観劇して楽しむ観客の立場でみれば、「昨日」首をいくつ獲った「今日」はこれだけ、「明日」の予定はいくつなどと言っておれば良いのかも知れぬが、今、求められるのは機動力をもってことを決しなければならぬ時なのである。
 更に、参議院の元彼が真摯な忠告をおこなったなどという風評が流れたりしているようであるが、全くの考え過ぎである。
 しかし、ともあれ、その~、大変に根性のある「女人」であることか。先が楽しみである。

 拙者、いささか、御前節の煙に巻かれたらしい。
 ところで御前、やはり、「靖国詣で」が出来るか出来ないかをもって、厳然たる「差別」がありましたな。
 以前、「次の主役達」に書いておいたことが現実のものとなり、内戦においては、ものの見事金、銀、桂で玉を取り巻き、外敵に対しては飛車、角(AA)コンビで敵陣突破の陣形で戦いに臨まれるお覚悟のご様子、まことに見ごたえのある「大芝居」が演出されることでありましょう。この際、オペラグラスのひとつも、新調せねばなりますまい。

 貴公!わしを褒めているのやら貶しているのやら、その腹の内は知る由もないが、これからの「我が軍団」は知恵と勇気をもって突進するゆえ、事の仔細を見守るがよかろう。