昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

安倍氏の人徳者ぶり

2005年11月07日 | Weblog
安倍官房長官、公明の靖国参拝自粛要請に「ノー」 (読売新聞) - goo ニュース

 日本人は、何かにつけ「・・七不思議」などといって、数字の「七」を使って、その不思議さぶりを表現するのが得意である。

 ところで、私の価値観による「日本政界の七不思議」とは、某カルト集団が日本政界の中枢にいて、何やかやと多数派に物議をかますことを「政教分離」を高々に謳いあげる押し付け憲法に照らし合わせてみても、許容範囲を超える傍若無人ぶりであることに意義の申し立てをしないことである。

 何故に宗教人である聖なる方々が、「食人国家」、「宗教弾圧国家」に対して、これ程までに媚びるのか全くもって理解に苦しむのである。(宗教とは食人文化の肯定か?)

 彼の国において、「宗教弾圧の標的」になっている宗教集団は法輪功である。これがはたして、真に主教集団と言えるかどうかも疑わしいのである。何故なら、この法輪功などという所謂宗教集団は日本国の宗教団体とは根本的に違って、政治的野心など最初から無いということに着目すべきである。

 ところが、日本における宗教集団というのは、政界工作を目論む異形の集団である。この柔軟な日本の政治風土に違法に成長した宗教集団が、中共などと言う宗教弾圧政権のお世辞に乗り、「日本固有の宗教行事」所謂「靖国問題」にまで口を挟もうと言うのだから、我が国民よ、「臍で茶を沸かそうではないか」

 この「イカレタ教団」は中国で市民権を得られると妄想するほどの身の程知らずである。

 明日からでも、胡錦濤と話をつけ布教の許可が得られるものかどうか交渉してみればよいのである。億分の一の確立をもってそのような機会に恵まれる功徳が、彼の「超能力者」におありになるのなら、日本国憲法を「法華経」に改宗しようではないか。

 聞くところによれば、「法輪功」を信じたがゆえの犠牲者(処刑者)は何十万にも及ぶと聞いている。これは、世界における国際社会問題である。

 かつての「カルト教団」でさえ、ロシアへ進出することは試みたが決して中国へ進出はしなかった。彼らとて宗教弾圧によって命を落とす事は真っ平御免だったのである。

 そうこう考えを巡らせばこの「安倍氏」こそ日本国きっての「人徳者」なのである。