興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

無意識の攻撃性

2019-06-14 | プチ精神分析学/精神力動学
前回書いた「無意識のストレス」、意外に多くの方が読んでくださっていて、肯定的な感想をくださいました。誰もが経験しているのが無意識のストレスであり、その潜在的な問題に、気づいておられる方は多いようですね。

今回扱う「無意識の攻撃性」は、「無意識のストレス」と密接に関係しているものです。

この「無意識の攻撃性」が問題になっている人は、日本社会に遍在しておられますし、この攻撃性は、本人の自覚がないままに蓄積されていくこともあり、それが極端に大きくなった時が怖いです。

その攻撃性が他者に向けば、対象を著しく傷つけることになるし、それが自分に向いた時、極端な場合、自殺にも繋がります。心優しい人が、本来他者に向けるべき正当性のある怒りを表現できずにその破壊力が自己に向いて自分を傷つけるのは本当に痛ましく、やり切れません(自殺のすべての原因が自己に向けられた攻撃性とか言っているわけではありません。ひとつの可能性としての話です)。

ストレスが溜まってイライラする、という経験は誰にでもあるでしょう。

こういう時、健全なあり方のひとつとして、自分が強いストレスを感じていたり、慢性的にストレスが溜まっている事をきちんと自覚して、「ストレスでイライラする」と、自分のストレスにも攻撃性にも自覚のある状態が挙げられます。このように自覚のある人は、不機嫌になるものの、自分も他人も傷つけるには至りません。なんとか時間を見つけてその人なりのストレス軽減法を実行しますし、可能な限り、ストレス源そのものの解消を試みます。

問題は、こうした自覚があまりなかったり、皆無だったりする人達です。自分は機嫌がいい、絶好調と思っているけれど、無自覚の攻撃性がすごくて職場や家庭や学校などで自分よりも弱い立場の人に八つ当たりします。

カスタマーハラスメント(カスハラ)とか煽り運転などにもこうした原因があるかもしれません。

声を荒げたり、相手に対してものすごく無遠慮で無神経な、暴言とも取れるようなことを言っていて、無自覚に他者を傷つけているひとも多いです。こういう人は、その時の自分の言動を覚えていない事も多いです。なにしろ、自身の攻撃性に無自覚ですから(ストレスが溜まっている事を自覚していて他者を使ってストレス解消をしている方はまた別の次元のお話です)。

ストレスに、意識化できている領域と、無意識の領域があるように、攻撃性にも、自覚できている部分とそうでない部分があります。

ここでよくある誤解ですが、すごく穏やかで優しい人は、実はものすごいレベルの怒りを無意識に抑圧しているのでは、という話ですが、本当に健全で、攻撃性の低い方も世の中少なからずおられますし、この仮説は基本的には不正確なものです。この仮説のような人は確かに存在しますが、こうした人は、どこか無理をしているのが伝わってくるものです。

ついつい話が横道に逸れてばかりでなかなか本題に入れません。

さて、今回私が問題にしたいのは、先述した、「無意識のストレスに起因する、無意識の領域の攻撃性」です。

本人が自分のストレスや攻撃性に全く無自覚、ということはあまりありません。ほとんどの人が、多かれ少なかれこうした事には自覚があります。

問題は、本人が思っている攻撃性のレベル、つまり、ストレスレベルが、かなりの過小評価であり、実際は相当な強度の攻撃性が抑圧されて無意識に存在している状態です。

昨今、幼児虐待の報道が後を絶ちません。親側に明らかな悪意があり、深刻な病理があるケースもあれば、突発的に取り返しのつかない事をしてしまうその瞬間までは、すごく良いお母さんであったと周りから定評のある方も少なくありません。

周りからのサポートがなく、頼れる人もいない中で、ストレスを感じながらなんとかワンオペで育児をしていた母親が、ある晩衝動的に、というケースです。

彼女達は、深刻なレベルにまでストレスが溜まっている事を感じています。私やばいかも、とも思っていたりします。

でもまさか、自分が衝動的に子供を殺めてしまうとまでは思っていなかったかもしれません。

鉄道自殺をする人達もそうです。

「飛び込み自殺は、後日遺族に高額な賠償金の請求がいくから、飛び込み自殺をする人は家族に恨みのある人だ」という説が、大間違いである事も、自殺学がはっきりと示しているところです。

例えば、自殺をされた方の遺留品の鞄の中からは、その日の会社の会議で使う予定であった資料や、有効期限がずっと先の定期券などが出てきます。

彼らの多くはむしろ、その日も昨日と同様になんとか生きるつもりだったのです。

しかし、疲れ果てて、視野狭窄の精神状態に陥り、判断力が低下し、吸い込まれるように飛び込んでしまうのです。

自殺を、自己に向き変えられた攻撃性とみる立場には賛否両論があり、認知行動療法の創始者のベックなどはこれをきっぱりと否定しています。しかし、精神力動的な心理療法で自殺念慮が消失していった数え切れないほどのクライアントさんを見てきた臨床経験から個人的に思うのは、こうした側面は確かに存在する、という事です。

というのも、ぼろぼろになって、自殺念慮に苛まれてやってきたクライアントさんと対話を重ねていく中で、今まで「自分が悪い」と激しい自責の念や罪悪感に苛まれていた人たちが、そうでない要因、本質的な問題に少しずつ気づき始め、そうした対象に対して激しい怒りを経験するようになります。

それは時に本人も驚くほどの強烈な怒りですが、そうした怒りに二人で向き合い続けていくうちに、自殺念慮は次第に減退し、その人が心の整理ができて怒りが解消して元気になる頃には、自殺念慮もすっかり消え失せている、という事が本当に多いからです。

こうした事は、多くの皆さんにとっては極端なお話かもしれません。

ただ、こうした大変な事になる前の予防策として、自分がイライラしているなと感じている時、そのイライラの原因についてゆっくりと考えてみるのも良いと思うのです。

実はそれはものすごい怒りの氷山の一角なのかもしれないし、本当に小さな苛立ちに過ぎないかもしれません。

原因がわかってきたら、早い段階で、できれば根本的なストレス源の改善、解消を目指したいですし、それが現実的でないのであれば、他者に助けを求めたり、自分のリソースを増やしたりして、ストレスを一定以上溜めない事を心掛けましょう。本当につらかったら、逃げたっていいんです。


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