興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

better late than never

2022-01-10 | 戯言(たわごと、ざれごと)
アメリカ人が時々口にする、私の好きな言い回しに、”better late than never”というものがあります。何もしないよりは遅れてでもしたほうが良い、何もないよりは遅れてでもあった方が良い、というところでしょうか。

彼らはまた、”sooner is better”とも言います。早ければ早いほど良い、ですね。

こんなことを書いていると自由連想法的に思い出したセンテンス、”a late marriage is better than a bad marriage,”これも共感できます。遅い結婚は悪い結婚より良い。

もうひとつ、自由連想で思い浮かんだのは、日本語の言い回し、「遅きに失する」です。これは冒頭の “better late than never”とは対照的ですね。

こうして徒然なるままに書き出していくと、これらはいずれもタイミングに関する概念であることに気づきます。

遅い事が必ずしも悪いことではない、という考え方は、迅速さや時間厳守が美徳とされるアメリカ社会の価値観に対するひとつのアンチテーゼ的なものだと思います。

やはり基本的には物事早いに越したことはないですが、そこに質が伴わなければ意味がありません。物事はある程度しっかりと熟考してから行動に移す必要があります。しかし完璧を求めすぎたり、うまくいかなかった場合や失敗を恐れたりして、決断できずに機を逸する、という事もあります。

世の中、長年お付き合いしている恋人と、結婚願望はあり、2人の間に大きな問題はないけれど、「本当にこの人で良いの?」、「本当に自分は結婚した方が良いの?」という漠然とした疑念によっていつまで経っても結婚に踏み切れないうちに相手の方が愛想を尽かしてしまう、という悲しいケースも多いです。

何かで相手のことを深く傷つけてしまって、罪悪感はあるのに、プライドなどが邪魔してうまく謝れず、うまく償えないうちに相手の気持ちが不可逆的に冷めてしまう、という事例も多いですね。

なんか新年早々暗いお話になってきましたが、今回私は何を言いたかったかというと、やはり私たちは心の中にあるものをきちんと大切な相手に伝える事、意識化して行動に移していくことが大事だということです。特に自分の中で大事なことは、どんなに遅くなっても形にしていった方が良いと思います。

遅すぎる償いは、相手の心にはもはや届かないかもしれない。遅きに失するかもしれない。それでも、その人がきちんと自分と向き合って、心から自分の非を認めて、今できる形で償いをすることは、決して無意味ではないと思うのです。

それでも遅きに失したものは、決定的なもの、根本的なものが不可逆的に損なわれた状態で、得られるもの、取り返せるものは限られています。本当に悲しくて残念な事です。

そういうわけで、やはり自分ときちんと向き合う事は大事だと思います。相手ありきの事ならば、自分と向き合うのと同時進行で相手ときちんと向き合う必要があります。相手と向き合えていない人が自分と向き合えている事はないですし、その逆もまた然りです。

一方、相手ありきではない事で、自分の中で、ずっとやりたかった事、ずっと手に入れたかった事があって、それがこれからの努力で実現可能であれば、やはり今からでも、どんなに遅くても、行動に移していったほうが良いと思います。例えば還暦を過ぎた方が進学したり新しく資格を取るお話はよく聞きますが、本当に素敵だなと思います。

アルフレッド・アドラーがかつて言っていたように、恐怖と勇気は本当に常に連動しています。恐怖心がなければ勇気を出す必要もないですし、恐怖心に負けずに勇気を出して自分が正しいと信じる事ができた時、人は成長しますし、その時の喜びは計り知れません。