興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

自殺と精神的苦痛 (Suicide & Psychological Pain)

2015-08-28 | プチ臨床心理学

“I instantly realized that everything in my life that I'd thought was unfixable was totally fixable—except for having just jumped." ~Ken Baldwin

「僕はその瞬間に気づいた。自分の人生で、修復不可能だと思っていたすべてのことは、完全に修復可能だったと。たった今、(橋から)飛び降りてしまったこと以外は・・・」
~ケビン・ボールドウィン (ゴールデンゲイト・ブリッジの飛び降り自殺の生存者) (黒川訳)

 8月の終わり、新学期が近づくにつれて、その始まりを心待ちにしている子もいれば、そうでない子もいます。普通に夏休みがものすごく楽しかったため、学校に戻るのが億劫だ、という子供たちとは全く異なり、学校に戻ることが死ぬほど辛い、学校に行くことを考えると気が狂いそうになる、という辛い気持ちでこの時期を過ごしている子も、実は相当にたくさんにます。

 今これを読んでくださっている方の中には、小中高校生のお子様をもつ方や、きょうだいや親せきに、この世代の子がいる、という方もおられると思います。また、自分が生徒である、という方もおられるでしょう。毎回心掛けてはいることですが、今回はとくに、できるだけ多くの方をターゲットに、この文章を書いています。そうです、今回のテーマは、自殺です。

 人はなぜ自殺するのでしょう。

 それには本当に様々な事情がありますが、自殺を選ぶほとんどの人たちに共通することがあります。それは、自殺が、「どうにも耐えられない精神的な苦痛への対処法」であるということです。アメリカのサイコセラピストであり、クリニカルソーシャルワーカーである、Jack Klottは、その名著、"Suicide & Psychological Pain" (今回のタイトルは、彼の本の表題から頂きました)は言っています。誰もできれば死にたいわけではない。自殺するのは、そのどうにも耐えがたい精神的苦痛から、なんとか解放されるための、対処策である、と。私も同意見です。もし、自殺以外に、その精神的苦痛に対応できる方法があるのであれば、人は、その死なないオプションのほうを選ぶでしょう。

 問題は、今自殺を考えている人は、死ぬこと以外に、そのオプションがないと思っていることです。

 そこには多くの場合、ひどい落ち込みや、精神的なプレッシャー、閉塞感、どうしようもない孤独感、鬱状態、深刻な罪悪感、絶望感などによる、「一時的な」、認知の歪みが関係しています。認知の歪みについては以前このブログで紹介しましたが、たとえば、黒か白かの思考パターン、破局的思考、トンネル的視野などです。

 死を考えている人の世界観は、お先真っ暗です。白と黒でいえば、真っ黒な状態です。世界は真っ黒なのです。また、暗いトンネルのなかにいるように、実はあなたの周りに存在しているポジティブな要素が、まったく見えない状態になっています。それから、思考は自動的に、最悪の事態ばかりに向いています。

 今、これを読みながら、死ぬことを考えている方がいたら、今一度立ち止まって、認識してほしいのです。あなたの今の思考は、上記のなんらかの精神的なコンディションによって起きている、一時的なものであると。その「一時的」は、もしかしたら、長い「一時」かもしれません。しかしそれは、決して永遠に続くものではありません。そして、その精神的コンディションから抜けた時、あなたは全く異なった考え方をすると。つまりあなたの精神状態は、なんらかの理由で、一時的に、つまり、可逆的に、ひどく蝕まれれいる状態である、ということです。

 自殺は、我々メンタルヘルスの専門家のあいだでは、しばしば、「一時的な問題に対する、永遠の解決策」(" a permanent solusion to a temporary problem")と呼ばれています。そうです。自殺は解決策ですが、その「一時的な」問題に対して、あまりにも代償が大きく、決して取り返しのつかない、不可逆的な解決策なのです。そして、そのように致命的な犠牲を伴うものではない、他のオプションは、必ず存在します。それは、現時点で、あなたに見えていないかもしれませんが、必ずあります。

 冒頭の引用は、アメリカ合衆国カリフォルニア州の、サンフランシスコの自殺の名所、ゴールデンゲイト・ブリッジから飛び降り自殺を図ったケビン・ボールドウィンさんのものです。人生において、取り返しがつかないと思っていたすべてのことは、実はなんとかなることだったと、彼は、橋から飛び降りた瞬間に悟ったといいます。

 自殺学 (suicidology)でも良く知られている事実に、自殺者の多くは、死ぬ瞬間に、自殺という選択について、後悔するということがあります。これは、多くの自殺未遂者の証言からも知られていることです。

 これは精神分析的に言うと、あまりにも辛い現実における精神的苦痛で、あなたが本来持っていた、生の本能、あらゆる願望や希望、夢などが、あなたから、無意識に切り離されてしまっている状態(Disowned)です。それであなたは、そうしたことを、感じられなくなっています。ところが、あなたが死を決断し、死ぬ間際になって、そうした、自分から無意識に切り離してしまっていたいろいろな良きものが戻ってくるのです(Re-owned)。

 それから、メンタルヘルス最先端のアメリカでは、自殺とは、その人が、なんらかの状況によって殺される、という解釈が現在は主流です。自分の手で自分を殺す、というと、一見能動的な行為ですが、実際のところ、そうではありません。その人は、なんらかの要素、たとえば、深刻な鬱状態、過酷な状況などによって、殺される、命を奪われる、という解釈です。

 つまり、あなたは、なんとしても、あなた自身をその何かから守ってあげないといけません。殺されないように、対応しないといけません。

 もしそれが学校だとしたら、学校に行くのをやめましょう。周りのみんなが通っている学校に、自分だけ行かないのは、気になると思います。でも、あなたをそんな風に追い込んでしまっているところになど、行く必要がありません。

 実際、世の中を見まわしてみると、そういう場合に、学校に行かない子は、実はたくさんいます。そして、そういう時に学校に行かずに、立派に大人になって、自分のやりたいことをやって生きている人はたくさんいます。

 あなたが小中高校生だとすると、学校というものは、あなたの人生において、とても大きな存在だと思います。まるで学校が世界のように感じているかもしれません。でも、実のところ、学校が絶対ではありません。行くに値しない、どうしようもない学校もあります。それから、今は一昔前と比べて、学校に行かないことを選んだ人たちのためのオプションも、だいぶ増えました。

 ずっと行かないかどうかは、まだ分かりません。ただ、少なくともはっきりしていることは、あなたが死にたいくらい辛くなっている場所は、あなたにとって、とても間違った場所である、ということです。まずはそこから距離を置いて、自分を安全な場所に置いてあげてから、今後のことは、じっくりと考えていきましょう。答えは必ず見つかります。死ぬことよりもずっと良い答えが。

 もしこれを読んでいるあなたが、学校に行きたくないと言っている子の親であれば、どうか、その子の味方になってあげてください。あなたも困惑していると思うし、分からないことがたくさんあると思います。

 ただ、ひとつだけ確かなのは、今の時点で、学校は、あなたの子にとって、非常に間違った場所である、ということです。学校に居場所がないんです。家に居させてあげてください。あなたの子を守ってあげられるのは、あなただけです。

 学校側からは、異なった話が聞こえてくるかもしれません。しかし、このあいだの中学教師や校長のように、生徒から再三にわたってSOSがあったにも関わらず、無視して死に追いやってしまう病的な教育者も、残念ながら存在します。

 学校よりも、あなたの子供を信じてあげてください。

 あなたの子は、ひとりぼっちです。あなたが味方になってあげることで、あなたの子の、そのどうしようもない孤独感や、精神的苦痛は、軽減することでしょう。寄り添ってあげて、一緒に、ゆっくり考えてあげてください。

 あなたの子供が、他の生徒と同じである必要はありませんし、同じことをする必要はありません。また、今は学校に行きたくなくても、将来行きたくなるかもしれません。

 つまり、今学校に行かないということは、いくらでも取り返しがつくことです。

 ただ、嫌がる子を無理に行かせることで、その子を本当に追い込んでしまったら、それは本当に取り返しのつかないことになるかもしれません。

 今あなたが、あなたの子をしっかり守ってあげるということが、その子にとって、これから、掛け替えのない財産になります。