興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

変わりたいけれど変われなくて困っている人のために

2014-09-12 | プチ臨床心理学

 生きていると、人それぞれ、本当にいろいろな悩みがあります。今の自分の人生の大半は満足しているけれど、どうしても治したいことがあって困っているという人もいれば、今の人生のあらゆる面においてうんざりしている人もいます。それは仕事のことであったり、パートナーとの婚姻関係、恋愛関係であったり、家族のことであったり、友人との人間関係であったり、依存症など、自分自身における問題であったり、様々です。

 そして、問題の種類は何であれ、それを治すために何とかしなくてはならないとはわかっているものの、それを行動に移せなかったり、始めた行動を続けることができなかったり、また、実際に何をしたらいいのかわからない、という人もいます。

 昨今本屋に行くと、『5分で変われる~』とか、『1分で変わる~』とかいった、分単位、時間単位、1週間以内、といった、非常に短期間のうちにあなたの人生が変わることをほのめかすとっても魅力的なタイトルの自己啓発本がずらりと並んでいるのを見受けます。思わず飛びつきそうになります。実際に手に取って、前書きや各章のサブタイトルなどを見て「これは!」と思って買ってみた方も多いのではないでしょうか。

 それで、そうした本を買ってみて、あなたの人生は実際に変わりましたか。人生とまではいかなくても、日々の生活に新しい良いものが始まって、それが続いていたり、問題になっていたことが著しく改善した、という方はどのくらいいることでしょう。これを読んでいる方の中には、実際にすごい名著に出会って人生が明るくなった、という方もいるかもしれません。しかし残念ながら、そういうあなたは、むしろ少数派ではないかと思われます。まず、もしそうしたごく短時間の時間単位がタイトルに入っている自己啓発本で「本当に効く」本があるのであれば、矛盾するようですが、あのように多くの同様のタイトルの啓発本が店頭に並ぶはずがないのです。そういう本が数冊存在していたら、後発で書いても売れませんから。

 そして、先に述べた、「実際にすごい名著に出会って人生が明るくなった方」は、実のところ、その本というよりも、あなたの本当に変わりたいという気持ちとそのモチベーションの強さのほうに理由があった可能性が高いかもしれません。別の言い方をすると、その本をあなたのお友達に勧めたところで、そのお友達があなたのように変われるかといえば、それは疑問であるということです。

 このように書いていると、世の中にはろくな自己啓発本がない、と言っていると思われる方もいるかもしれませんが、決してそういうわけではありません。私も本屋に行った際に気が向くと、そうした本を手に取って読んでみることがありますが、中には優れた本もあります。ただ、読んでいて感じるのは、タイトルはどちらかというと「言葉のあや」であり、潜在的な読者の購買意欲をそそるためのタイトルであり、実際に変わるためには、その1分なり5分なり1時間なりを、相当に長いこと続けていかなくてはならず、つまり、実際にはタイトルが示唆するような気軽さ、簡単さとはかけ離れた根気と努力が必要であるということです。

 最近の自己啓発本は、そうした努力や根気といった精神力や心の負荷などを現代人が避けたがる心理をうまくついてきているものが多い印象があります。まず、お気づきの方も多いと思いますが、文字のフォントが大きいです。そして、行間が広い。とても易しい言葉遣いで漢字も少ない。つまり、「本当の読書」に伴う心の負荷すら億劫に思う人たちでもすぐに読了できるように書かれています。スラスラ読めるので、普段読書が嫌いであったり苦手であったりする人も読了できて、それだけでも達成感があります。読んですっきり爽快感、なんかポジティブなこと書いてあってにわかに希望がでてきた。でも実際に何がポイントだったのか思い出せない、2週間もすればその本のことなどすっかり忘れてしまい、3週間目には知らずのうちに今までの気持ちに戻っている、ということが少なくありません。読んでみてなんとなく気持ちよくなった、しかしその本の内容に実態はなかった。恐ろしい話です。

 ここでもしかしたらあなたが聞きたくないかもしれない事実をいえば、No pain, No gain、痛みを全く伴わずに何かを本当に得ることはあまりありません。変わりたければ、やはりそれなりに精神力の必要な、こころの負荷のある行動をとらなくてはなりません。そのためには、あなたは変わることを決断しなければいけませんし、そこにコミットメントがないといけません。

 これを書き始めたときは宣伝する気は毛頭なかったのですが、それではどうして良質の(脚注1)サイコセラピーを受ける人が大きく変われるのかといえば、(それには様々な理由がありますが、ここでは)サイコセラピーには、こうした世の中に溢れる多くの自己啓発本の根本的な弱点をいくつかカバーしてることが挙げられます。

 まず、サイコセラピーには、そのモティベーションがあるに越したことはないものの、必須ではありません。実際、変わりたいけれどそのためのモティベーションが出てこなくて困っている、という方もたくさんやってきます。それでいいのです。一人では出てこなかったモティベーションも、秘密厳守の安心、安全な環境で、セラピストにこころを開いて話を深めていく中で、ゆっくりかもしれませんが、着実に出てきます。これはサイコセラピーにおける、クライアントとセラピストの「良い人間関係」のなせる業です。

 さらに、自己啓発本は、その大衆を相手にしなくてはならない性質上、どうしても「フリーサイズのTシャツ」的な、つまり「誰にでも多かれ少なかれ当てはまるけれどピッタリ合う人はごく少数」であるアプローチに依存しなくてはならないのですが、サイコセラピーは、あなただけのためにオーダーメードで仕立てられたあなただけの幸せのためのレシピです。そしてこのレシピには、自己啓発本では決して到達できない深みがあります。実際、10人のうつ病に苦しむ方が私のところに来ると、10通りのユニークな方法で彼らは良くなっていきます。そこには10通りのユニークな人間関係があるからです。それから、これも自己啓発本では見落とされがちですが、10人鬱に苦しむ人がいれば、そこには10通りの独特な問題もあります。酷い精神科の5分以内の面接の投薬治療がどうして効きにくいのかといえば、彼らはこの「患者ひとりひとりのユニークな部分」を取り扱えていないからです。

 ここまで書いてみて、どうもやはり宣伝的な響きがあるので、サイコセラピーとは少し離れてもう少し書いてみます。

 今あなたが抱えている恐怖には、大きく分けて2種類の恐怖があります。ひとつは、変わることの恐怖であり、もうひとつは、今の不幸せな現実が続いていくことの恐怖です。変わることの恐怖にはいろいろな要素が考えられます。たとえば、変わることに伴う苦痛、変わるために傷つくこと、また、もし努力しても変われなかったらという不安などがあるでしょう。

 もう一つの恐怖、今の不幸せな現実が続いていくことの恐怖。これにはあまり説明は要らないでしょう。あなたを不幸せにしていることに対して何の行動もとらなければ、その現実は続いていくことでしょう。

 かつてある人が私のところに来て言いました。「母が死んだあとに、私のための人生が始まります。今は地獄だけど、母が死んだら私はずっと楽になります。自由になります」と。「でもあなたのお母さんはぴんぴんしていますね」。「そうです。でも私にはどうすることもできません。母は私が幸せになれないように何でもします。彼女が生きているうちは駄目なんです。待つしかないんです」。「分かりました。それでお母さんはあと何年ぐらい生きるんでしょう」。「分かりません。あと10年は生きるでしょう」。「10年経ったらあなたは50代も半ばになっています」。「・・・・・!!」。この方は、重度の自己愛性人格障害を持つ母親に人生を滅茶苦茶にされて苦しんでいて、このときは変わることの恐怖と変わらないことの恐怖の狭間で揺れ動いていましたが、これからしばらくして、変わることを決意しました。今までやられっぱなしになっていたこの方が勇気をもって自己主張をするようになり、母親も態度を変えることを余儀なくされ、「子供がろくでもないセラピストに会ってしまった」と文句を言いながら変わり始めました(これはこの母親の人生にとっても実際のところ良かったと思います)。もちろんこの過程は大変なもので、うまくいかないときもありましたが、ひとりでは出来ないことも、いつも応援して一緒に考えてサポートしてくれるセラピストがいると、出来るようになります(これも自己啓発本とサイコセラピーの違いです・・・)。

 この方のなかで、変わらないことでいつまでも続いていく現実とそれで失われてゆく時間という恐怖が、変わることで傷つくかもしれないことやうまく変われないかもしれないという恐怖をはるかに上回り、変わる決意をした訳ですが、これはあなたにも言えることだと思います。

 変わるための行動の過程で、あなたは傷つくかもしれないし、失敗して辛い思いをすることもあるかもしれません。でも、そのように、自分の人生に前向きに進むことに伴う痛みと、今の不幸せなことが続いていく痛みを比べたら、前者の方がましではないでしょうか。その痛みには大きな価値があります。あなたを成長させる、あなたを強くする、こころの筋肉痛です。前者は最悪の場合でも、うまく変われなかった、というぐらいです。今の現実で感じている痛みとその度合いは変わらないでしょう。しかし後者は致命的です。あなたの人生を損なわせるものです。

 危険であるかもしれないことと、致命的であることと、どちらがいいのか、という話です。

 今回私が書いたブログがあなたを変えられるとは思いませんが、これについてじっくりと考えることで、これがあなたの決断のきっかけになってくれたら幸いです。応援しています。

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(脚注1)なぜ私が「良質の」サイコセラピーと書いたかといいますと、非常に残念なことですが、近年は、こうした文字のフォントのでかい楽に読める自己啓発本と何ら変わりのない、クライアントのこころに何の影響もない、よって敷居は低いけれどもサイコセラピー本来の要素を欠いた、数回で終わるようなサービスが出回っているからです。受けてみて気持ちがよかった、すっきり、でも1、2週間経ったら元に戻っていた、そういう種類のファスト・フード、ファストクローズよろしく、ファスト・サイコセラピーです。まず、サイコセラピーは、「ただ吐き出す」こととは本質的に異なります。「不満を吐き出せ」ば、人はそれなりにすっきりしますが、「吐き出す」だけでは根本的な変化は期待できません。吐き出す、という言葉はあまり好みませんが、吐き出す(言語化する)のであれば、吐き出したものをゆっくりと見つめて、向かい合って、検討していくプロセスが必要なのです。そこには当然、セラピストとしては「傾聴」以上のスキルが必要です。