興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

ドラマを越えて

2010-02-05 | プチ精神分析学/精神力動学
 夫婦や恋人など、特に親密な関係のなかで、多くの人が知らず知らずのうちに繰り返し繰り返し展開するドラマがある。「ポジティブなドラマ」と、「ネガティブなドラマ」。まずは「ネガティブなドラマ」について考えてみたいと思う。

 「知らず知らず」とはいっても、それは何度も何度も同じような状況でそれぞれがまるであたかも台本でもあるように同じような役割と台詞を繰り返しているものだから、多くの人は、「あぁ、またか」、「また始まった」、と、その繰り返されるパターンそのものには遅かれ早かれ気付くものだ(もしそのパターンそのものが長年の関係のなかで見えてこないようであれば彼らは余程そのドラマの中に嵌ってしまっていることになる)。

 しかし、「ああ、また・・・」、と思ったところで、そこには、前述のようにそれぞれがまるであたかも第三者の監督によって動かされているように、その一連のやり取りが終わるまで「やめられない」性質があるので、夫婦や恋人同士は、ほとんどうんざりした気持ちになりながらも、その役割をその後も長いこと演じ続ける。そこにほとほとうんざりしたり、そのやり取りがやがて互いにとって破壊的になってきて、その人間関係が破局を迎えることもあれば、そこまで極端な状況には至らずに、それがさらにずっと続いていくケースも多い。

 いずれにしてもひとついえるのは、その当事者が、そのドラマの存在に、そこに参加しなければならないことに強い不快感を経験していたり、あまり幸せではないということだ。

 ところで前述したように、その親密な関係には、多かれ少なかれ、「ポジティブ」なドラマも存在する。それは、「あ、また」などと思いつつも、そして、そこにやはり隠された台本の存在に薄々気付きつつも、それが互いにとって愉快であるためにそれぞれがやめようとしないために永続する種類のドラマである。

 夫婦や恋人は、この「ポジティブ」なドラマと、「ネガティブなドラマ」の量や質や割合によって(たとえば一週間のうちでポジティブ7対ネガティブ3だとか、ポジティブ1対ネガティブ9とか。それから、このたった1のポジティブなドラマがあまりに強力であるため、たとえ9の不快なドラマが展開され続けても続いていくカップルも多い)そのカップルの幸福度はある程度決まってくる。

 興味深いことに、それから信じがたいことに、この、まるで正反対で、まったく無関係に見える二つのドラマは、多くの場合、実は同じ精神力動や対象関係の、つまり一枚のコインの表と裏である。ここがカップルの関係のからくりなのだけれど、皮肉なことに、破壊的な、「ネガティブ」なドラマを修正していくためには、同時に「ポジティブ」なドラマも修正していかなくてはならない。

 冒頭から、「『ポジティブ』、『ネガティブ』」、と、括弧付きで書いているのにはわけがあり、それは、一見「ポジティブ」に思われるドラマも、無意識の世界ではそれほど建設的ではない可能性があるし、逆に、「ネガティブ」なドラマも、それほど非生産的ではないかもしれないからだ。

 それよりも大事なのは、その二つのドラマのなかに共通点を見出し、その表面的で目に見えるやり取りの奥に「何が起こっているのか」について見極めて、自覚していくことだ。そこには往々にして、それぞれの生まれ育った家庭(Family of origin)で、とくに幼少期の主要な大人との関係性(通常は母親)によって無意識に身につけた対象関係(Object relations),つまり、人間関係の主要なテンプレートが関係している。このテンプレートは、ひとが大人になるにつれて交流する様々な人間関係のなかで多様化し洗練されていくものだけれど、その一番核にあるものは、まずそうそう変わらないものだ。社会的な人間関係(たとえば友人や同僚や上司や隣人など)は良好なのに、なんで寄りによってパートナーとこうなのだろう、と感じるひとが多いのもこのためで、特別に親密な人間関係のなかでは、そのテンプレートの原型の、一番Rawなものが出てくるからだ。そのテンプレートの性質に気付いて、自覚していくことによって、ほとんど自動的に行われているやり取りには歯止めが利き始め、より成熟した、自発的で満足度の高い人間関係も可能になりはじめる。